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観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

こんな壁は如何でしょう?(銃規制)

2018-03-01 17:48:14 | 政策関連メモ
トランプ米大統領、銃改造部品「バンプストック」の禁止を指示(BBC 2018年02月21日)

>「決まり文句や代わり映えしない議論をやめて、実際に効果があり、警察官たちが我々の子供や我々の安全を守りやすくなるような、証拠に基づいた解決法や安全措置に焦点を当てなくてはならない」

トランプ大統領、いいこと言ってますね。イメージだけで叩く人は多いですけど。解決法はネットの何処かで見ましたけど、金属探知機による検査かもしれません。

まずは何となく一般論で考えてみますが、学校に出入りする人は銃を持ち込めないようにしてはどうでしょう?銃規制派の皆さんも学校に銃を持ち込みたい訳ではないはずです。登下校の問題はありますが、そもそも子供は銃を所持してないはずですし、親が来るまで送り迎えしたりするんでしょう?とりあえず、学校に侵入して乱射する事件を防ぐべきかと思います。金属探知機にひっかかる時計やスマホなんかは、カバンから出して通るだけですね。空港と同じです。何かものものしいですが。ただ、これは日本の発想です。日本の学校は壁で囲まれており、不審者は侵入しにくくなっています。アメリカの学校がどの程度壁で囲まれているかは分かりません。壁を乗り越えることもできますが、銃を抱えてますし、ワンクッション入ることで多少なりとも違ってくるはずです。3Dプリンタで樹脂製の拳銃をつくれるという話もあるようですが(ゆえに金属探知機をすりぬけられる)、多分NRAの皆さんもそんなチャチなものの規制に反対はしないんじゃないですか(まぁこれで反対するようなら、事件があった方が宣伝になるとでも思っているんでしょうね)。

調べましたが、今時はブロック塀は地震で危ないという理由や内部を見通せないから逆に防犯上問題があるということで、フェンスが設置されることも多いようです(参考:外塀はデザインと機能のバランス TOPICS)。フェンスじゃ外からの銃の乱射は防ぎきれませんけど、ないよりはマシなはずで、その辺は事情に応じてケースバイケースでしょうね。必要に応じて専門家でも交えて地域の皆さんや学校の方々が考えればいいのではないでしょうか?

フェンスと塀の基礎知識フェンスと塀の基礎知識(LIXIL)

米フロリダ州の高校で乱射、少なくとも17人死亡 容疑者は退学処分の元生徒(BBC 2018年02月15日)

>ブラワード郡のスコット・イスラエル保安官によると、マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校から退学処分になった元生徒のニコラス・クルーズ容疑者(19)は同日午後2時半、同校前で半自動式のアサルトライフル銃「AR-15」を発砲し、3人を殺害した疑い。続いて校内に入り、12人を殺害したという。さらに2人が搬送先の病院で死亡した。容疑者は「複数の弾倉」を持っていたという。

>目撃者たちによると、容疑者は自分で火災警報器を鳴らしてから、発砲し始めたという。

>容疑者は現場を離れて約1時間後に、近隣コーラル・スプリングスで発見された。病院で手当てを受けた後、警察に身柄を引き渡された。

具体的に事件に即して考えると、門に登下校時は特にガードマンがいると全然違うかもしれません。ちょっと腕に覚えがある教師でもいいと思います。日本で言えば体育教師みたいなものです。教師の銃装備はそれはそれで問題あるとは思いますが(日本でも学級崩壊などありますし、教師が撃ちたくなることもないとは言えません)、信頼できる一部の教師が役割を明確にして限定的に持てば教師が原因の銃乱射はそうそう考えられないと思います。出入り口を限定してそこを警備すれば、犯行する時には塀越えする可能性が高まるとは思います。でも犯人がこの事件のように警報を自分で鳴らさなくても、壁越えを見かけたら即警報を鳴らせば多少は逃げ易くもなりますし、難なら有刺鉄線で壁越えできないようにするのも一案です。犯人も逃走し難い状況は嫌だと思うんですよね。門から逃げる時は逃走経路が限定されますし(門あたりに警備員を常駐させることもできます)、壁からまた逃げようとしたら、後ろから撃たれるのが怖いということになります。学校を要塞にする訳にもいかないでしょうが、ちょっとした工夫で銃乱射事件から子供を守り易くなるかもしれません。

余談ですが、日本の城には縄張という考え方があります。筆者の出身小学校・中学校の側には何故か川や用水路があったんですよね。不審者が入り難いようにあえてそこを選んだのか、たまたまなのかそれは知りませんが。こういうことを考えるなら、駐車場の位置も重要になってくるかもしれません。車で学校に入られたら意味ないですしね。ただ、駐車場の近くにガードマンを配置することも考えられます。アメリカでは駐車場の身分証提示があるところもあるようですね。詳しいアメリカ事情は勿論分かりませんが、要するに銃乱射を想定して、乱射し難いように学校を整備したり、ガードマンを配置するなり警備を行えば、変わってくる可能性があるのではないだろうかということです。

縄張(城用語集 underZero)

ラスベガスの銃乱射事件に関しては、銃販売の身元確認をどれだけやるかが重要かもしれません。犯人のスティーブン・パドック(ウィキペディア)は仕事が長らく不明で、交際していた女性に養ってもらっていたのでしょうか?お金をどう工面していたか不明で、女性に貰った小遣いで買っていたとすると、交際していた女性が知らなかったということはないはずです。犯罪者は無職のことが多いでしょうから、可能であるならば仕事も確認できればいいかもしれませんね。検索してみましたが、こういうことは当然考えられているようで、トランプ大統領も支持しているようです(トランプ氏、銃購入時の身元確認手続き改良を「支持」 BBC 2018年02月20日)。史上最多の犠牲者数を考えると自動小銃の類は問題かと思いますが、強い武器って持ちたがる人も多いようで・・・。

やっぱり、ちゃんと発言を追わずにイメージだけで批判するのはどうなのかなって思いますね。多くのマスコミと対立しているのは自業自得のところもありますが(【フロリダ高校乱射】トランプ氏、教師が銃で戦えば「たちまち終わる」 BBC 2018年02月22日 >大統領は2016年大統領選では、教職員の武装について「悪者ヒラリーは、学校への銃持ち込みを僕が支持していると言った。違う!」とツイートしていた。・・・こういうのは申し訳ありませんがちょっと笑っちゃいますよね)、偏向報道されると誰でもイラついてしまうかと。

「必要最小限度の実力組織としての自衛隊」の明記案に反対します

2018-02-25 23:40:49 | 政策関連メモ
自民党 首相の指揮権明記へ 文民統制明確化 改憲本部(毎日新聞2018年2月25日 07時30分)

>自衛隊が、9条第2項が禁じている「陸海空軍その他の戦力」には該当しないことを明確にするため、「必要最小限度の実力組織としての自衛隊」と明記する方針。「憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度でなければならない」との従来の政府解釈を踏まえた表現だ。

「必要最小限度の実力組織としての自衛隊」の明記案に反対します。

理由は解釈変更が難しくなるからです。平和安全法制は憲法解釈を変更して制定しましたが、必要最小限度と明記してしまえば、現状の自衛隊で固定化されてしまい、新しい自衛隊に関する法律等が通らなくなるんじゃないですか?具体的には完全にネガティブリストの行動にするとか、軍刑法を制定するとかそういうことができなくなる恐れがあります。それだったら現行の9条のままにしておいた方が、解釈変更で自衛隊をバージョンアップする余地があって、政策的に望ましいと思います。

憲法9条改正のハードルの高さを考えると、安倍政権で改憲してしまうと、新しい法律をつくりたくなった時に、まず改憲できる状態にないと思われ、単に政策を後退させただけに終わると思います。違法リスクが残るのは問題ですが、自衛隊を凍結する方が問題のような気がします。

だから反対です。

それだったら、9条改憲案は取り下げて他の改憲案に絞った方がいいと思います。

内閣支持率横ばい56% 教育充実の改憲「賛成」72% 本社世論調査(日経新聞 2018/2/25 19:30)

>対照的に賛否が割れたのが9条への自衛隊明記だ。いまの条文を変えずに自衛隊の存在を明記する条文を追加することに賛成は47%、反対が33%と賛成が上回った。支持政党によって賛否の差が大きい。自民党支持層は賛成が67%、反対が17%だが、立憲民主党支持層は賛成が22%、反対が68%と逆の結果になった。

必ずしも明記案が圧倒的優位にある訳ではありません。政策的に後退の恐れがあるわ、世論受けも大してしない、この世が終わるかのように反対する連中がいる、何が悲しくてそんなことをしないといけないんでしょうか?だったら9条改憲は今回は見送っておいた方が、得策だと思いますね。

筆者は護憲派ではありませんが、「必要最小限度の実力組織としての自衛隊」の明記案で国民投票になったら、恐らく反対票を投じると思います。

安倍首相の明記案の賛成に転じた時は、必要最小限度の文言明記を想定してなかったんですよね。素人考えを反省しなければなりませんが、2項削除案に拘った最初の直感が当たっていたような気がしないでもありません。

首相官邸未来投資会議平成30年2月1日

2018-02-25 13:50:10 | 政策関連メモ
一ヶ月近く経っていますが、ふとしたきっかけでこのページを見たので、いろいろ考察したことを書きとめておきます。

首相官邸未来投資会議平成30年2月1日(首相官邸)

>従来の産業分類にとらわれない革新的なビジネスが次々と登場してくる時代に、いわゆる業法のような縦割りの発想に基づく20世紀型の規制システムから脱却し、サービスや機能に着目した発想で捉え直した横断的な制度改革を進めていく必要があります。その先駆けとなるのが規制のサンドボックスであります。この通常国会に法案を提出いたします。

構造改革徹底推進会合「第4次産業革命」会合(第1回)「規制の「サンドボックス」制度について」を読むと、サンドボックス制度による規制緩和で新技術確保・人材確保の競争が始まっているそうですね。サンドボックス制度とは、金融情報サイトiFinance「レギュラトリー・サンドボックス」によると、「一般にレギュラトリー・サンドボックスは、現行の法制度が想定していない革新的な商品・サービスに対して適用され、企業が当局と相談して試験事業を始め、各種問題を「走りながら考える」という仕組みであり、具体的な対象として、フィンテックや人工知能(AI)、個人情報の加工・分析サービス、IoT技術、スマートシティなどが挙げられます。」だそうです。全て有望でしょうが、Iotなんかは特に日本の主力産業工業との相性が良いかもしれません。

デンソーはなぜ工場のIoT活用を急ぐのか 2020年、「ダントツ工場」実現に向けた道筋(日経XTECH 2016/04/22)

伸びている会社というのは、進取の気性に富み、不断の改善をするのかもしれませんね。

IoTによる可視化で経営まで変わる可能性(情報センサー2015年11月号マーケットインテリジェンス)

>IoTによって事前に不良の予兆が分かるとなれば、「壊れない」という品質を突き詰めるよりも、より廉価に作ってフォローアップ体制を充実させるという商品戦略も、採用しやすくなる可能性があります。

今後伸びる日本の会社、それはIotを経営に取り入れられる会社なのかもしれません。こういうのができる経営者っているんですかねぇ・・・。自分では分からなくてもアドバイザーの意見を取り入れることも出来るはずです。経営って現場に細かい指図をする仕事というより、大きな方針をつくる仕事だと思うのですが。

日本は後進国? フィンテックの今と新卒採用(株式会社ディスコ)

>フィンテック業界へ入る場合、就職先はベンチャー企業になることが多いことも認識しておくべきことです。急成長中とはいえ、まだまだ成功できるかどうか分からない業界なのです。

>そういったリスクがある反面、新たな価値を生み出せる仕事であることも事実です。

フィンテック業界は実力があれば、若いうちから活躍できるのかもしれませんね。IT業界だと外資が年功序列ではなく若いうちから活躍できて人気のようですが、そういうやり方が好きで勉強している人・適性のある人はチャレンジしてみるのも面白いかもしれませんね。仮に上手くいかなくとも身につけた技術・経験は役に立つはずです。

「AI後進国」日本、その原因は行政?企業?国民性? AIや自動運転の分野で日本が大きく遅れている理由を識者に聞いた(IoT Today 2017.11.09)

>「私は、AIを『人工的につくられた知能を持つ実態。あるいはそれをつくろうとすることで、知能そのものを研究する分野』として定義しています。そのため、研究に重きを置く必要があると考えているのですが、日本のAIに関する研究予算は欧米に比べて2桁ほど少ないのです」

>AIを含む情報技術開発の研究予算の少なさは、そのまま研究開発の遅れを招いているという。

>「研究予算の少なさは、行政側、とくに財務省は、テーマの重複を嫌い、切り分けようとします。また、失敗を嫌って短期的成果を求めます。これは“研究”という行為の本質が分かっている人がいないことの表れです。失敗をせずに必ず成功をさせようと思っていたら、大きな研究はできません」

日本がAI後進国と指摘されるのは残念ですね。予算は少なくとも10倍にするべきでしょう。今から最新技術にキャッチアップするのは難しいかもしれませんが、AIは必ず発展するので、日本の研究者が研究することに意義があると思います。過剰な成果主義は研究にはマイナスでしょう。新しいことは誰がやっても成功するか失敗するか分からないのですから、ドンドンチャレンジの数を増やすこと自体が重要です。多分日本の技術がこれまで優位にあったのは、年功序列終身雇用的な安心して研究に打ち込める環境があったことと無関係ではない気がします。

>ドイツが自動運転分野に尽力する理由は、歴史的な事情も含まれる。ドイツでは、速度無制限の高速道路「アウトバーン」の建設が1933年からはじまり、それと連動して、安全技術を核とした自動車技術の開発も進められていたという。

自動運転技術に関して、ドイツがアウトバーンなら、日本は過密・渋滞がキーワードでしょう。道路交通情報通信システム「VICS(ビックス)」と連携するカーナビで、自動的にスイスイ渋滞回避できれば、凄く役に立つのではないでしょうか?(日本から渋滞が消える日は来るのか-東京五輪、IoT、自動運転…その時VICSは(GAZOO)運転が上手な人の基準にあわせていては事故は減りません。画面を見ながらの運転は基本的に危険なはずです(国土交通省「カーナビでわき見事故をおこさないために」によると「アンケート調査によりますと、カーナビを操作中または注視中に、「危ない!」と感じたことのある運転者は3割に達しています。」だそうです)。そう考えると、カーナビの精度を上げていくことが死活的に重要かもしれません。入り口ではなく裏通りに案内されて道に迷うことがあるんじゃないですか。日本版GPSみちびきに期待かも知れません。対応カーナビも出ていますね(みちびきのカーナビ対応商品がこんなに出てる!精度は違うの?反応まとめ FlyHigh!(個人ブログ) 2017.10.10)。過密ということは、歩行者・自転車・バイク・自動車どうしの事故が必然的に多くなります。日本こそが自動運転による事故防止を本気で考えてもいいのかもしれませんね。事故が減ることは経済的にも大いにプラスのはずです。狭い日本車庫入れが苦手な方も現状パーキングアシストがあるようですが、あるいは自動運転で問題解決してしまうのかもしれません。アジアには日本と似た環境の国も多いので、日本の環境に対応した技術が世界に普及し易いかもしれませんね。

世界の「スマートシティ」ランキング、東京が6位に(Forbes 2017/11/13 12:30)

>ランキングの1位はデンマークのコペンハーゲン。東京は6位。台北やソウル、テジョン(韓国)、香港や北京、上海、クアラルンプール、ニューデリー、ムンバイ等もランキング入りを果たした。

コペンハーゲンでは自転車の普及に力を入れているとか(第5回 デンマーク・コペンハーゲン――高い目標掲げ、官民連携で環境技術開発やスマートシティ構築を推進 日経BP 2016.12.26)。これは中々日本ではマネできません。ダガチョットマッテホシイ。日本の地下鉄の利用者数はブッチギリで世界トップです(世界の地下鉄ランキング 図録)(利用者数に比べて総延長は少ないようです)。鉄道+徒歩という環境に優しい視点を取り入れたら、日本が1位になる可能性もあるんじゃないでしょうか?超過密都市だからこそ鉄道が効率的でペイする訳で、自動車が一々大都市を走りまくってはパンクしてしまいます。環境問題の視点から、鉄道+徒歩を特に大都市では促進すると良いかもしれません。大江戸線は赤字が指摘され悪い公共事業のように言われましたが、今は黒字化して利用者も多く造って良かったのではないかと言われているようです(開業26年 都営地下鉄の「苦労人」大江戸線、ついに黒字化? 乗りものニュース 2017.07.22 杉山淳一(鉄道ライター))。新線を可能な限り建設していくといいのかもしれませんね。乗客数が巨大な山手線でも副都心近辺は特に乗客が多く副都心線は大成功しているようです(「いちばん儲けている地下鉄」はどこの路線か 全国各都市の地下鉄「営業係数」を独自試算! 東洋経済online 2016年07月08日)。悪名名高い満員電車を解消していくことが、都市の魅力を上げることにも繋がると思います。五輪には間に合わないでしょうが、五輪後も東京は続きます。

以上でサンドボックス制度に絡む個別の分野の考察を終わります。以下、首相官邸ページに戻って、他の論点を考察します。

>技術革新により通信と放送の垣根が無くなる中で、国民の共有財産である電波を有効利用するため、周波数の割当て方法や放送事業の在り方の大胆な見直しも必要であります。

電波の有効利用で言えば、コミュニティ放送が促進される可能性もありますね。これは地方創生に繋がります。コミュニティ放送は東日本大震災で防災上の役割が認められ数が増えたそうです。 コミュニティ放送における防災時の役割は何か議論して役割を定めた上免許の取得と更新を条件にした上で、成功させる自信がある人にやってもらうのが一番かもしれません。つまり審査してタダで渡すのではなく、最低限の条件をクリアした上で一番お金を出した人にやってもらいます。多少なりとも財政に寄与はするでしょう。

>自動運転時代の交通ルールの在り方、刑事、民事責任の所在はどう在るべきか

ハンドルの無い車で運転者の責任が問われることは有り得ません。最終的には運転という概念そのものが無くなっていくでしょう。整備の責任とか、自動車の製造物責任、歩行者・自転車のマナーなどが事故の時に問われるはずです。歩行者等を検知するセンサー技術が重要になるはずですが、高性能のセンサーが開発されれば、夜間や悪天候時に現状の目視より事故がグっと減る可能性もあると思います。ドローンなんかも自動運転が実現すれば状況が変わる可能性がありますね。船も自動操舵が進めば、海難事故はグッと減る可能性があります。


セルフコントロール教育、幼保の関係

2018-02-24 12:19:14 | 政策関連メモ
教育政策を考えていて最近気になっているのがセルフコントロール教育です。ただし、筆者はわりと好きなように生きているタイプです。別にそれで別段迷惑をかけているつもりもありませんし、その結果に対する責任は自分で勿論負いますし、後悔はしていませんね。そういう訳ですが、自分なりの視点でセルフコントロール教育に関して考察します。

子どもを伸ばす「セルフコントロール」ってなに?(マイナビニュース 2016/01/13 09:58:00)

>子ども時代のセルフコントロール能力が高いほど、成人後の健康度や社会的地は高く、困窮度は低くなるというデータもあるようです。

大人になってからこういうセルフコントロール能力を磨くのも難しいかもしれませんが、健康の問題もありますし、やらないよりはマシなんでしょう。家庭の躾がもっとも重要でしょうが、学校でもやれるかもしれませんね。というより学校である程度やれてなければ、家庭での躾がキチっとしてない場合、ノーチャンスということになってしまいます。

そもそもセルフコントロールとは何でしょうか?

セルフコントロール(ウィキペディア)

>セルフコントロール(Self-control)、克己(こっき)、自制(じせい)とは、誘惑や衝動に直面した際に、自己の意思で感情、思考、行動を抑制すること。直接的な外的強制力がない場面で自発的に自己の行動を統制する行動プロセスである。

外的強制力がない場面で自己の行動を統制するのがセルフコントロールです。つまり外的強制力を持ってセルフコントロール能力を身につけさせることは出来ません。強制力=躾で特定の習慣を身につけさせることはできると思いますが、型に嵌るでしょうし、そうした手法で新しい習慣を身につけることはできないと考えられます。強制力がない状況下で自身の判断でセルフコントロールできれば、様々な状況にも対応できると考えられます。

>「短期的利得が長期的損失あるいは(短期的利得以上に得られる)長期的利得と対立する状況下において、長期的結果を選ぶ能力」ともされ、たとえばアルコール依存症の患者では、飲酒をセルフコントロールする能力が喪失しているため、自分では飲酒をやめることができなくなり長期的には健康を害してしまう。

何が長期的利得かという知識も必要ですが、それが分かった上で欲望を抑えて短期的利得を選ばない能力がセルフコントロール能力なのでしょう。お酒は飲まないも選択肢ですが、お酒に強い人はほどほどに飲むのは構わないのではないかとは思いますね。イタリアの長寿地域でワインはよく言われますね。勿論アル中が健康に良い訳はありません。教育を通じて児童がセルフコントロール能力を身につければ(例えばアル中にならないよう自分を抑えるテクニックを学べば)、より良い社会になるのかもしれませんね。ただ、子供時代はそもそも飲んではならず、大人になってから飲む機会ができますので、直接的に躾でこれを教えることはできません。それを考えても、個別の習慣づけとは別にセルフコントロールのテクニックそのものを身につけさせたり、アル中は如何に怖いかを教えることも必要だと考えられます。基本は家庭の躾ですが、じゃあアル中の家庭に育てば、親を反面教師にしない限り、ノーチャンスなのかという議論も有り得ます。

>研究によれば、セルフコントロールは筋肉のようなものである。それは感情的なものか行動的なものかに問わず、エネルギーのような限られた資源であるという。つまりそれを過度に使用しすぎると、短期的には枯渇してしまうのである。しかしそれを何度も繰り返していくと、強化され容量が増えていくのだという。

単に欲望を遠ざけて無菌室で育てば逆に欲望に弱くなるという見方もできるのではないかと思います。セルフコントロール能力もトレーニングで強化できるというような見方は面白いですね。まぁこの情報が真実だとしても(脚注文献は英語で確認していません。昔メンタルトレーニングに関心をもった時(結局実行できませんでしたが)、買った本も英語の本の邦訳だったような気がします。日本人でこうした分野に興味を持つ人自体少ないのかもしれません)、トレーニングだと自覚していなければ、できないとは思いますが。

>バラス・スキナーの研究 Science and Human Behaviorにおいては、人が自分を制御する方法として9つの方法が挙げられている。

>感情状況を操作する
>私たちはある反応を引き出すために、感情的な状況を操作する。たとえば劇場が代表例である。俳優はある人物の役を演じるとき、必要に応じて辛い記憶を引き出し、意図的に涙を流している。

>嫌悪感を使う
>嫌悪的な刺激は、対象となる行動をとる可能性を増減させる手段として用いられる。

>罰
>望ましくない行動に対して、自分で自分に罰を与えること。たとえば僧侶や宗教関係者などが行う、自分自身の鞭打ち行動に見られる。

>"何か他のことをする"
>スキナーは「汝の敵を愛せ」といった訓示に見られるように、様々な哲学や宗教がこの原則を実証したと指摘している。怒りや憎しみに満ちているとき、我々は自分で「何か他のことをする」、あるいはより具体的に応答とは関係してない事をやることで、自身を制御しているのだという。

全部意味があるんでしょうが(気になる方はご自身でご確認ください)、筆者が気になったのは引用した4点ですね。全体的にパーソナルなテクニックが多いと感じます。個人的にはセルフコントロールに課題がある人間として、できていることはあまりありません。そのまんまですね。

>ひきこもりと発達障害の関連性を示す特徴の一つとして、感情や情動のセルフコントロールが困難であるために些細なことで気分が不安定になって落ち込んだり、腹を立てたり無気力になるといった傾向があげられている。

遺伝的な傾向もあると思います。発達障害児のセルフコントロールに関して研究もあります。

ADHD等児のセルフコントロール能力を育てるための支援の工夫~学級活動を通して~ (那覇市立教育研究所 那覇市立金城小学校教諭 當眞 聡子)

確か松野博一議員も講義の時に発達障害について言及していたように記憶していますが、日本の親は子供に個別のプログラムを組むことに否定的な傾向があって、皆と同じ普通の教育を望むのだそうです。国民性もあるでしょうが、こうした専門的な知識を知らないということもありそうです。個別のプログラムなら上手くいくものを普通に扱って予想通り上手くいかないというようなことがあるとすれば、残念な話ではあります。

小学校生活を円滑にスタートさせるための幼稚園における取り組み ― 有効な連携で「具体的支援」を小学校につなぐ ―(『特別支援教育コーディネーター研究』(6 号)2010年3月 山中久美子 兵庫教育大学)

近頃は文部省管轄下にある幼稚園でのセルフコントロールに関する教育や幼小連携も考えられているようです。厚生労働省管轄下の保育所がセルフコントロール教育を全く考えていないということもないと思いますが、どちらがどの程度やれてどういう体制が整っているか、必要な体制整備をするためにどの程度投資をしなければならないのか、その負担はどうするのか、管轄が違う以上保育所と小学校の連携に問題もあるかもしれませんし、課題は山積みかもしれません。0-2歳時の保育にセルフコントロールはあまり関係ないような気はしますが(超ド素人の考えです)、幼稚園に行くぐらいになったら、保育所でも必要な教育はしないといけないのではないかとも思います。保育所を幼稚園化していくか(保育所にもメリットはあるかもしれませんが、筆者には良く分かりません。子供を預かるだけで教育に欠けているようにも見えますが)、保育所は0-2歳児に集中して待機児童の解消に力を入れ幼稚園を設立していくか、幼児教育の必要性を認識した上で、省をまたいだ役割分担の整理と連携を考えていくべきなのかもしれません。

何となくセルフコントロール術を身につけないまま大人になった人も今からでも遅くはないのかもしれません。出来る女性はこっそり努力している!セルフコントロール術(A_Angel)、成功者がもっている「優れたセルフコントロール能力」の身につけ方(cafeglobe)

セルフコントロールとはやや違うかもしれませんが、メンタルトレーニングなんかはプロスポーツの世界(芸術家や企業経営者の間)でも行われていると言いますね(本田圭佑が持つメンタルの秘訣はそぎ落とすこと…メンタルトレーナーが説く勝負を分ける力とは サッカーキング)。

心の教育と言いますと、道徳教育が注目されがちですが、こうした科学的観点から心を考えるようなことがあってもいいのかもしれません。道徳教育で社会的規範を学ぶことも、特に家庭教育でそのような教育が重視されなかった場合、重要だとは思いますが。社会的規範に関する知識があっても必ずしも実行できるとは限らず、テクニック的なものの学習も必要なのかもしれません。

憲法改正と地方と国の関係(合区解消、国会議員と知事の兼職)

2018-02-24 01:24:21 | 政策関連メモ
合区解消案は利己的すぎる(日経新聞 2018/2/20)

>まるで自民党の自民党による自民党のための憲法改正である。同党憲法改正推進本部がまとめた選挙制度に関する改憲案はあまりに自民党に有利な制度設計であり、到底受け入れがたい。

去年の9月27日に最高裁が参院選での3.08倍の一票の格差を合憲と判断しましたが、これは2010年と2013年の違憲状態判決を受けた合区を含めた「10増10減」を実施で、格差が13年の4.77倍から3.08倍に縮小したことを受けてのようです。読売社説でも同様の社説がありましたが、筆者は合区解消に賛成です。ハッキリ言って、3倍も格差があって法の下の平等があるとの判断も疑問でしょう。島根・鳥取はまだ山陰という枠組みで選挙区をつくる合理性がまだしもあるかもしれませんが、高知・徳島は可愛そうでしょう。聞いたことありませんが、南四国という枠組みでもつくるんでしょうか?つくったとして何をアピールするんでしょう?山深い四国は4県バラバラとも言われます。中山間地域も重要ですが、そこ(高知-徳島間には広い中山間地域が広がっています)に過度の注目が集まるのも変な話です。あまり広い選挙区だと選挙資金も馬鹿になりません。狭い選挙区の都会はお金もかからずクリーンな選挙ができるかもしれませんが、高知・徳島選挙区なんてほとんどイジメではないかとさえ思います。以前平沢勝栄議員も仰っていましたが、東京の区の会合には国会議員が複数現れるそうです。都じゃなくて区です。あんなに狭いのに、国会議員そんなに必要ですかね?大体が選出議員は高知と徳島の会合のどちらに出ればいいのですか?バッティングしないよう毎回調整してもらったとしても、2倍活動しなければならなくなります。都道府県は地方自治の重要な単位ですし、それに沿って県連もありますし、テレビや新聞も県ごとであり、大都会と違ってその存在も決して小さくはありません。合区解消反対はあまりに地方の実態を知らない暴論だとも言えると思います。道州制でも実現したら違うのかもしれませんが、現状ではその実現可能性は見えてきません。地方から都会に人が流れる傾向は止まっていませんから、このままだとドンドン合区が生まれる流れになります。裁判所が3倍もダメと言い出したらどうするのでしょうか?人間の実数が絡む2倍ならまだ動かないかもしれませんが、3倍なんて大して根拠も無さそうな基準の安定性を信用する訳にはいきません。法の下の平等に厳密に拘って参院の定数を増やすという議論もおかしな話だと思いますし、そもそも人の移動がある度に一々選挙区を作り直すのも絶対揉めますし労多くして功少なしでしょう。時間は有限ですからそういう大して意味の無さそうな仕事をしないことも重要だと思います。法の下の平等という理念に基づく一票の格差論を必ずしも否定はしませんが、国会議員はあくまで選挙区から選ばれた国の代表であって、地方代表そのものではありませんから(地方代表は知事でしょう)、あまり杓子定規に考えるのは疑問です。事実参議院では大きな一票の格差は許容されてきました。首相は事実上衆議院議員から選ばれています。強すぎる参議院の問題があると自分も思いますが、例えば内閣総理大臣は国会議員の中から選ぶとしている67条の規定を衆議院議員の中から選ぶと現状追認するように改正することが考えられます。州単位で選出されるアメリカ議会の一票の格差は物凄くありますが、議員の皆さんは国のために働いているのだろうと思いますし、特別問題になっている訳でもないようです。国のトップである大統領は選挙人制度で一票の格差が考えられているようですし、日本も人数が多く半数改選もなく結果一票の格差が少ない衆議院議員から首相を選べばある程度法の下の平等は実現しますし、そうしてきました。国会とは結局立法府なのであって、法案審議で衆議院と同等の権限があること自体はそれほど問題ではないんだろうと思います(ねじれ問題は重要ですが、それは合区で法の下の平等が完全実現したとしても、別種の問題ですから何ら解決に資さないことは明らかです)。それよりは政治活動の実態を重視すべきでしょう。ねじれに関する参議院改革に関しては何処か具体案を出すところがあれば検討したいですが、自民党次第なところは確かにあります。

地方と国会議員に関して、ここで注目したいのは改憲のキャスティングボートを握る維新の橋下氏の意見です。具体的には国会議員と知事の兼職です。経営感覚がある知事が国会議員の仕事を通じて国政に参加するのは決して無駄にはならないのではないかと思います。例えば意欲的な知事が地方独自の法改正をすることが考えられます。構造改革特区ですが、今は活用されていません。この原因はいろいろあると思いますが、国の法律に通じてない知事と地方経営の実態に通じてない政府・国会議員の間の齟齬があると考えられます。知事が国会議員を兼職して勉強すれば、ほしい法律の改正を提案できるかもしれません。それは全国一律の法律であっても構いませんし、構造改革特区のような制度の利用を通じてでも構いません。兼職に反対意見はあると思います。それに対しては知事と大臣・副大臣・政務官・首相の兼職を禁じて理解を得ていけばいいと思います。国と地方の行政府両方に関与するというのが有り得ない話だからです。自分のところの県に国の施設を誘致する大臣など現れた日には目も当てられませんしね。経験を積んだ知事が手応えを感じたら国政一本に絞って首相を目指せば良い訳です。アメリカ大統領は知事出身が多いですが、経済No.1の秘訣は経営感覚のあるトップの存在にあるのかもしれません。成長著しい中国もトップは省トップを経験することが多いですね。兼職を実現するには憲法改正が必要になります。

地方偏重は問題です。ですが、あまり一票の平等に固執し過ぎると、返って平等の理念からは遠ざかるとも考えられます。格差の是正に資する地方交付税を無くすとか、大都会は独立しようとか、そういう議論に繋がりかねないからです。実際カタルーニャ独立問題は揉めていますし、これは考えられない話ではありません。地方は経済的に足を引っ張ると思う人もいらっしゃるかもしれませんが、地方もあっての国です。地方が活性化しないと国が活性化しないのも事実です。要はバランスではないでしょうか。合区は都会偏重の始まりと見ることも可能ではないかと思います。

我田引鉄の問題の懸念は確かに考えられます。ですが、それの解消に合区がそれほど資するとは思えません。政府の透明性だとか記録の保存などのルールの整備で常軌を逸した我田引鉄を防止していくのが本質的かつ妥当ではないでしょうか?ここではその具体案は考えませんが、機会があればそうしたことも考えてみたいですね。それは兎も角、政治家が選挙区のために尽力すること自体は否定されるべきではないんだろうと思います。機密が重要な特定の仕事を除き、知られてはならない活動をすることが問題で、それが防止されていたら構わないと考えるべきでしょう。しても構わないこと、寧ろするべきことが何となく悪いことと考えられるのも問題です。

※筆者のfacebook投稿の再録。一部修正。

給食費補助

2018-02-23 22:40:20 | 政策関連メモ
給食費補助について少し触れます。名護市の選挙で給食費の補助が議論されていたのが意識したきっかけです。

就学援助制度について(就学援助ポータルサイト)(文部科学省)

>学校教育法第19条において,「経済的理由によって,就学困難と認められる学齢児童生徒の保護者に対しては,市町村は,必要な援助を与えなければならない。」とされています。

現状では義務教育の無償とは授業料の無償を指すようですが、義務の履行が困難な家庭に対して法的に市町村が援助しなければならないということになっているようです。憲法に規定がある義務教育の無償とは授業料の無償を指すようですが、経済的理由で就学困難になる児童が現実問題存在することから、法律によって(地方)政府の義務を定めたものではないかと思います。

大阪も貧困率が高いと言われますね。維新の憲法改正案に経済的理由の文言があるのもこうした理由からでしょう。

>市町村の行う援助のうち,要保護者への援助に対して,国は,義務教育の円滑な実施に資することを目的として,「就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律」「学校給食法」「学校保健安全法」等に基づいて必要な援助を行っています。【要保護児童生徒援助費補助金】

貧困率が高い市町村は財政が苦しくなりますから、教育の機会均等の観点から国の補助があるのは問題ないと考えます。治安の悪いスラムとかあったら怖いですしね。

論点は国がどの程度援助するかでしょう。特定の地域を国が優遇する訳にはいかないと思いますが、貧困地区を抱える市町村の財政が苦しいという実態があるのであれば、全国一律で補助金を上げるという選択肢はあるのではないかと思います。財源問題はあるとは思いますが、就学困難なほどの貧困は貧困の悪循環(ウィキペディア)を生むと考えられ、教育の機会均等を定めた教育基本法から支援は肯定されるのではないかと思います。

教育基本法資料室へようこそ! 第3条 (教育の機会均等)(文部科学省)

>第3条 (教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

>◎本条の趣旨
・憲法第14条第1項及び第26条第1項の精神を具体化したもの。

憲法の規定を基に法律はつくられますから、やはり憲法改正は重要ではないかと思います。これに徹底反対する方々がいるのは残念ですね。発議に3分の2必要なのですから、アベノセイダースの皆さんも同罪でしょう。今回の議論で改正が流れたら、次の機会は当分ないだろうと誰もが思っています。憲法改正に必要な国民投票法は短命に終わった第一次安倍政権下で制定されました。当時は筆者も大して注目していませんでしたが、今にして思うと慧眼でしたね。9条改正がよほど嫌なのかもしれませんが、寧ろ議論を避ける方が危険だと筆者は思います。

教育に関する憲法改正の考察

2018-02-23 21:51:15 | 政策関連メモ
維新、自民の改憲案「教育無償化は努力義務」に反発も(産経ニュース 2018.2.21 07:57)

>日本維新の会は、教育無償化を憲法改正の大きな柱に位置付けるだけに、自民党の改憲案が無償化を「努力義務規定」にとどめたものとなれば、反発しそうだ。

教育無償化は今回の憲法改正では見送るべきだと思います。理由は最初の憲法改正は極力多くの国民が賛成するような内容にするべきだからです。そもそも日本国憲法は改正のハードルが高い硬性憲法ですので、賛否両論分かれるテーマというのは難しいと思いますが、特に今回は最初の改正ですので、多くの国民が憲法改正良かったねという内容にする必要があると思います。教育無償化に必ずしも反対ではありませんが、どうしても財源問題があるので、無償化は結局揉める話ではないかと思います。国民的議論が深まれば深まるほど揉めるはずです。幼児教育は応能負担で既に補助はありますから、無償化は幼児教育の支援とは受け取られず、子育て世代への所得移転と受け取られ、政治的には反対票が多くなるはずです。多分子供手当てみたいな扱いになるんじゃないでしょうか?幼児教育の無償化は賛成ではあるんですが、現実的に考えると、硬性憲法下での最初の憲法改正のテーマとしては相応しくないんじゃないかと思います。高等教育の無償化は元々自分は否定的ですが、少子高齢化社会・大学全入時代において無駄遣いと受け取られる恐れがあります。9条改正の議論が進むにつれ、現実的な必要性の高い改正が重要だと考えるようになりましたが、憲法改正は一歩一歩進めるべきテーマなんだろうと思います。多分教育の無償化はフルスペックの軍隊(自衛隊)を憲法に書き込むような議論ではないかと思います。高い目標は目標として維新が暖めておくのが適切ではないでしょうか?自民党が挙げた憲法改正4テーマの内、教育がもっとも国民的議論を呼ぶテーマだと思います。そういう意味で維新が教育を重視するのは、意義深いことです。教育に関して憲法改正が必要ないということはないというか、大いに意味はあると考えます。

自民改憲本部 教育条文案、大筋了承 環境整備に努力義務(毎日新聞 2018年2月21日 11時30分)

>条文案では、26条第3項に、国に「教育環境の整備に努めなければならない」などと規定した。

自民党案はそつがないというか反対はないと思いますが、何故この改正がなされないとならないかという指摘は当然有り得るだろうと思います。維新に譲歩を促す意味でも、より改正の意義が感じられるようにしたいところです。そこで考えました。「教育の重要性に鑑み生涯を通じた」教育環境の整備に努めなければならないとしてはどうでしょうか?生涯を通じたという文言を入れることによって、これまでなおざりにされてきた幼児教育(特に0~2歳教育・待機児童問題)や大学教育・生涯教育に焦点を当て国民的議論を促し加速させるのが狙いです。教育の重要性は直感的に分かり易いですが、単に勉強ができる云々だけではなく、数字に出難い様々な意味を持つと思います。憲法に教育の重要性をあえて書き込むことによって、教育の意義に関する国民の認識を深めるのも狙いです。日本国憲法26条1項は教育を受ける権利を規定し、2項は普通教育の無償化、義務教育の無償を定めています。国民に教育を受ける権利はあっても教育機関が無ければ教育は受けられません。つまり教育の供給サイドに着目することも大事な訳ですが、義務化してしまうと建前上例外が認められなくなります。さすがに大学教育や卒業後の生涯教育を義務化する訳にはいきません。日本は学力上位の国(例えば国際学力テストPISAの高得点に着目して「日本の15歳は何故学力が高いのか?」(早川書房)という本が出ています。この本はエコノミスト誌年間ベストブックに選ばれた本の邦訳です)で教育熱心な親や先生がそれを支えたと思いますが、待機児童問題は放置されましたし、大学教育は質の問題・国際競争力の無さを指摘され、生涯学習は進んでいません。アクティブラーニングでも小中学校は注目されてきたようですが、受験勉強の影響か高校では十分でないとも言います。この原因はいろいろあるでしょうが、ひとつには決まった枠組みで努力できる国民性があるかもしれません。普通教育(初等教育・中等教育)は義務であり、学習指導要領に基づく教育課程ですが、それ以外が野放しになってきたからこそ、問題が山積みなのかもしれません。それ以外を義務にできないにはしろ、努力規定を設けることによって、改善を促していきます。将来的には高校(やそれに準ずる教育機関)や幼児教育の義務化も視野に入るかもしれません。そう考えると努力規定でも憲法に書き込む意義は十分です。更にその意図を明確化するには、義務化されている普通教育以外に焦点を当てる文言が必要ではないかと思った次第です。これで学力十分だからあえて改正が必要ないのでは?という反対論を回避し易くなります。これまで憲法改正が一度も起こらなかったように現状日本人はそれほど新しい枠組みを考えるのが得意でない方かもしれませんが、枠組み・指針さえあればメキメキ伸びるのではないかと思います。重要性をあえて強調するのは、罰則規定のない努力規定・プログラム規定の空文化に歯止めをかけるためです。それほど重要だと考えられないものが義務である必要性はありませんが、広く重要だと認識されるものは半義務化されることが望ましいでしょう。罰則規定のない理念ではありますが、理念も憲法に書かれていると中々反対しにくいものです(現実的に考えて有り得ないような規定も憲法に書かれていると変えるのは中々難しいものがあります)。義務化すると例外は基本認められませんが、努力規定は個別の判断が必要になります。重要性に鑑みの文言が入ることによって、重要なもの→やる、そほれど重要でないもの→やらないということが明確になるのではないかとも思います。

>現行89条は「公の支配に属しない」教育への公金の支出を禁止しているが、この部分を「公の監督が及ばない」などと変更した。

私学助成の追認になります。本来は憲法を改正してから、私学助成をするべきでしたが、改正しないまま放置するより、改正した方がいいと思います。大阪市の塾代助成事業なんかも厳密に考えれば、違憲の恐れがあります。通塾は学力に影響をやはり与えるようです(4.学校外の学習機会の利用と学力 第3回学習基本調査 小学生版(CRN)。個人的な体験でもこれは頷けます。家で勉強しないタイプの子供にとっては明らかに学習量の増加に繋がるでしょうし、要領が良い子は分かりませんが、そうでなければ学習の質の向上にも繋がると考えられます。問題は経済的観点で、格差の是正を目指す自治体に補助を出すという選択肢があってもいいのではないかと思います。こうした取り組みに対して裁判に訴える人もあまりいないとは思いますが、なし崩しが常態化するのも良くありません。政府の憲法解釈の変更を違憲だと主張して憲法改正に反対する方々もいらっしゃいますよね。万が一ということもありますので、用心するに越したことはありません。

>一方、「経済的理由によって教育上差別されない」との文言を加えた26条第1項には「そもそも必要なのか」と異論が出た。「この文言も第3項に移すべきだ」などの意見もあり、執行部は修正を約束。修正内容について一任を取り付けた。

維新には申し訳ありませんが、経済的理由によって教育上差別されないためには、差別禁止と無償化はセットになるでしょうし、上記の観点もあって、差別禁止を規定するのは難しいのではないかと思います。

面白いのは教育の都道府県格差です。大阪を含め関西は結構教育に強いようです。そういう文脈から維新の教育に関する憲法改正案は出てきたのかもしれません。以下記事を参照。

都道府県間の東大・京大進学率、深刻な格差と意外な調査結果 青森は奈良の40分の1(Business Journal)

>トップになったのは奈良、次いで京都と、日本を代表する古都コンビが最難関大学への進学率でワンツーを占め、開成高校、灘高校という進学校の双璧を擁する東京、兵庫を上回った。上位の顔ぶれを見ると7位の神奈川、10位の愛知あたりは順当といえるだろうが、5位の大阪、8位の広島は意外な印象を持つ方も多いかもしれない。特に大阪は全国学力テストでも下位の常連で、学力不振エリアとのイメージは根強い。ただ両府県ともに「早い時期から行政の肝いりで公立校のテコ入れを行い、最近はその成果が現れている」(私立高講師)という事情があるようだ。

>地域として健闘しているといえそうなのが、北陸地方だろう。8位に入った石川、11位の富山、17位の福井と上位に入っている。いずれも県内在住の高校生の数は4万人に満たず、上位の都府県のように毎年大量の東大・京大合格者を出す私立有名進学校も存在していない。

塾がいいのか学校教育がいいのか分かりませんが、公立学校もまだまだやれるところはあるのかもしれません。日比谷高校の復活もありましたね。時間外労働の問題はあると思いますが、その辺はまたの機会に考察します。

西修教授の憲法改正案に賛成します

2018-02-23 15:23:51 | 政策関連メモ
私の憲法9条改正案を提示する 駒沢大学名誉教授・西修(産経ニュース 2018.2.22 11:00)

個人的には以前私案を出しましたが、西教授の案に賛成します。自分の案では解釈次第である日突然自衛隊が今以上に「軍隊」になるのではないかと言われる可能性もありますが、西教授の案なら、憲法改正をしても法的に認めるだけで、今現状の自衛隊と変わらないことが明快になると思います。また、状況の変化に対しては法改正で対応できるようになっていますから、憲法改正することで新しい事態に寧ろ対応できなくなるということもありません(つまり次の憲法改正のチャンスを心配する必要はありません)。法改正は勿論やろうと思えば何時でもできるでしょうが、必ずしも安保法制をやったばかりで次の法律を立て続けにつくらなければならないということもありません。9条2項を残していますから、これまでと同様の歯止めがかかるのも明らかです。9条をそのまま残して9条の2を加憲するというのも9条を大切にしている方々への配慮にもなるでしょう。憲法改正に対する高いハードルを踏まえ、しかしながら国民の大半が支持している自衛隊に対する違法リスクを無くし(出動しない権利を求め国を訴えてしまう元自衛隊員の方もいらっしゃいます)(日本の憲法学者の多くが自衛隊を違憲と捉え裁判所がそれに何処か配慮もしているような様子が伺えます)、短中期的に考えられる課題に対しては必要に応じて国会での法改正を持って対応できる良く練られた案であるように思えます。軍国化を心配する向きに対しては、現状と変わりないことを指摘すると共に(9条は手をつけずに残ります)、政策的に必要と考えられる時には、新しい法改正をもって対応するので、その時に議論しましょうと言いたいですね。今のハードルの高さでもう一回憲法改正しないと状況の変化に対応することが難しくなる改正にはあまり賛成ではないです。憲法解釈を否定したい向きも法改正での対応に反対ではないのではないですか?平和安全法制は憲法解釈で物議を醸しましたが、この改正が通れば、戦力でないと考えられる(9条の)範囲で自衛隊は認められるので、改正後は憲法解釈を問題視するそもそも論を抑止し易くなる効果があって、政策的意義も決して小さくないと考えられます。

※筆者のfacebook投稿の再録。一部修正。

9条3項私案

2018-02-14 00:03:05 | 政策関連メモ
日本国憲法(E-gov)

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

安倍首相の3項追加案に沿って私案を2つつくってみました。

○3 自衛隊を組織し、及びこれを文民統制することは、国民固有の権利である。(※第十五条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」を参照)
○3 国民は、自衛する権利を有する。(※第二十五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」等を参照)

前者は自衛権の保持を自衛隊の組織で間接的に認め、戦前の反省に立ち文民統制が明記されています。「固有の権利」は防衛省・自衛隊が関係条約としている国連連合憲章の第五十一条を意識して入れてみました。

後者はシンプルイズベスト。国民が当然持つ自衛権を明文化することによって、自衛隊が違法と認定されるリスクをゼロにするのが狙いです。

自衛隊明記案を考えてみるにあたって、自衛隊をただ明記してしまうと、2項で(1項の目的を達するためとはいえ)戦力を保持しない・交戦権を認めないと書いた直後に自衛隊を持つと書いてしまうことが気になりました。現行の9条とは結局権利放棄の条文な訳ですが、放棄されていない権利があると解してこれまで自衛隊を保持してきた訳です。その放棄されていない権利とは何なのか考えて明文化することによって、自衛隊が最高裁判所に違法と判断されてしまうリスクをゼロにした上で、かつ1項2項に矛盾しない感じで収まるのではないでしょうか?

安全保障論を重視する人達の間では、2項を残して改正すると、今後しばらく改正できなくなるから、マイナスが大きいと見る人もいらっしゃいます。これに対しては①最高裁判所で違法と判断されるリスクを軽視するべきではない。②しばらく改正できないとは限らない、以上2点をこれまで指摘してきましたが、加えて③「安全保障論的に日本の「軍隊」は自衛が主目的で十分でしばらくそれで問題が無いと考えられる」というのも付け足しておきたいと思います。というのも人口大国中国の経済成長の勢いがいいのは誰の目にも明らかですから、日本はこれに対応して自衛するのが精一杯な訳です。そこが英仏独を中心とした欧州との状況の違いで、安全保障環境の厳しさを考慮すると自衛隊を本格的に世界展開する余裕はそもそもないと考えていいのだと思います。長期的な視点に立てば、中国が超少子高齢化で伸びがストップする可能性もありますが、そうなったらそうなったでその時に状況の変化にあわせてまた憲法改正をすればいいのではないでしょうか?

存立危機事態考

2018-02-11 00:16:48 | 政策関連メモ
自衛隊法

(防衛出動)
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態

安保法制が違憲でないのは先の記事で断定しましたが、良く問題とされる存立危機事態について考察します。これは筆者独自の考察です(安保法制の頃もニュースは見ていましたが、専門的な議論に立ち入っていないので、政府見解を踏まえていません。あえて今から政府見解を調べることもしません)。

まず、日本は攻撃されたら自衛隊を出動させることができます。範囲が書かれていませんから、地球の裏側まで出動できると思いますが、実際にそのような体制になっていないという理由で(ジブチ共和国における自衛隊拠点はありますが)(ICBMは持っていません)、近隣国にしか反撃できず、例えばロシアに遠方よりミサイルを撃ち込まれたら、米軍の抑止力に頼ることになるんだろうと思います。北朝鮮に攻撃されたら、自衛隊は北朝鮮を攻撃できるでしょう。ただし、間にある韓国が邪魔しないことが必要ではあると思います。

明白な危険が切迫している認められるに至った事態にも自衛隊は出動できます。これは例えば北朝鮮が日本に向けてミサイル発射しようとする事態を把握できれば、自衛隊は北朝鮮を攻撃できるということになります(アメリカなら必ず攻撃するでしょうが、日本が何処まで北朝鮮の情報を把握して事前に攻撃できる態勢にあるかは不明です。

問題は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」ですが、これは第七十六条「内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。」における事態のことですから、わが国を防衛するために必要があると認める場合にしか出動できないと解釈するのが普通です。つまり日本に密接な関係にある他国が攻撃されて、日本が存立危機事態に陥り、日本を防衛するために自衛隊が出動することが想定されます。

真っ先に考えられるのは、グアムが攻撃される事態です。グアムは日本ではありませんが、グアムの米軍基地が攻撃されたら、明らかに日本の存立が危機に陥ります。グアムの米軍基地の抑止力に日本が頼っているからです。グアムが攻撃されるような事態では、通常日本もターゲットにされていると考えられますから、日本の領土が攻撃されていない時でも、自衛隊は出動するケースが多いんだろうと思います。日本近海で米軍が攻撃される事態も同様でしょう。

一方韓国が攻撃された事態、在韓米軍が攻撃された事態は微妙です。日本と同時攻撃なら、自衛隊は出動するでしょうが、北朝鮮が南北統一したいだけと事前に主張すれば、日本の存立が危機になると判断できるかは疑問なしとは言えないはずです。日韓は同盟国でありませんし、これは仕方ありません。

アメリカ本土が攻撃された場合はどうでしょう?これも微妙ですね。例えばロシアにアメリカ中枢が攻撃されるような事態は存立危機事態と判断できるケースが多いでしょうが(核抑止に対する攻撃ですし、そういう攻撃をする時は日本も巻き込まれている可能性が高いと思われます)、9.11のテロのようなケースでアフガン攻撃参加が微妙でしょう。アメリカが危険は間違いありませんし、相互防衛の理念から考えるとフェアではない感じはありますが、あのケースで日本が存立危機事態に陥ったと考えるのは難しそうですよね。アメリカは怒りましたが、ピンピンしていたのも事実です。実際に日本は狙われていません(とされてます)し、あれで日本の存立が危機に陥ったと考えるのは難しい感じです。

自衛隊の海外活動中を想定しますと、自衛隊が攻撃されても同盟国が攻撃されても日本が存立危機に陥ると考え難いところがあると思いますので(ホルムズ海峡封鎖は大変な事態ですが、備蓄はありますし、高い金を払えばホルムズ海峡を通らないルートで石油は輸入できると思います)、応戦に止まり、そこから敵国を滅ぼすところまではいかないんじゃないでしょうか?情けない話と言えばそうかもしれませんが。ただ、敵国が日本国を攻撃できるケースでは違ってくるかもしれません。