どんな教科書にも出てくる外交官・小村寿太郎であるが、実は宮崎県日南市の飫肥出身で、その地に彼の記念館があるので寄ってみた。
外務次官、駐米公使、駐露公使、駐清公使を務め、1901年(明治34年)に外務大臣になり、1902年(明治35年)に日英同盟を締結し、さらに1905年(明治38年)にはポーツマス条約を調印し日露戦争を終結に導いた人物である。
いろいろな資料を見ると、彼の秀才ぶりには驚かされる。
彼の存在がなかったら、世界の荒波の中で日本の歴史も大きく変わっていたかもしれない。 余談だが、英語にいたっては、ほとんど教材もない中、非常に短期間で修得している。 記念館の近くには、小村寿太郎の生家や彼が学んだ振徳堂も保存されている。
また、伊東氏飫肥藩の飫肥城も見学することができる。
From Face Book: The Komura Jutaro museum.
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