ほんとは、あまり寄ってみたくはなかった「旧旧足寄駅跡」であるが、昔の面影を探しにやはり立ち寄ってみた。
学生時代は、池田と北見を結ぶ国鉄「池北線」が健在で、確か急行も走ってはいたが、午前に数本、午後に数本程度運転のローカル線だった。 その途中駅である「足寄駅」には思い出がある。 夜に足寄駅に着き、その夜は駅で過ごすことに決めていた。 しかしながら、予想以上に周りは暗く、店もほとんど閉まっていた。 コンビニなどない時代だったので空腹だったが、仕方なく駅のベンチに寝ていたところ、駅員さんから声を掛けてもらい、その後、近くの食堂で特別に「親子丼」を食べさせてもらった。 今でも、その味は忘れることはない。
しかしながら、その「池北線」も赤字が膨大で、1988年に廃止、それを引き継いだ第三セクターの「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」も、周辺の過疎化に抵抗できずに、2006年に廃止、その時、鉄路も消えてしまった。 随分と立派な建物の「新足寄駅」に変わり、あの当時の面影は全くない。 そして、もう二度と鉄道が再建されることもない。 北の大地で見る青空に、戻らない時間の虚しさが映し出されたようだった。 その後、当時、ヒットしていた足寄出身の松山千春の「大空と大地の中で」を聞きながら、足寄郊外の大地を走り抜けた。
From Face Book: Looking back on my young days (9). Former Ashoro station.