ここ襄陽(襄樊)一帯の地域は、三国それぞれの拠点争奪のメイン舞台になっていて、幾多のエピソードが生まれた地域です。
さくら剛の「三国志男」(2008年発刊で、取材当時に比べたら交通道路事情もトイレ事情も飛躍的に改善されている)によると、この近くには劉備と凶馬と言われた的盧が脱出のために飛び込んだ壇渓(横山光輝三国志第20巻に経緯が)があり、50km先には水鏡先生の水鏡荘や徐庶故里があるようだ。
漢江南岸(地元の人達の水浴で賑わっている)の臨漢門から入場して、賑やかな北街を昭明台まで散策した。
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