JR鶯谷駅北口から子規庵(ねぎし三平堂の裏手)へ。
この際一句でもと苦吟しつつも一句もひねられないまま入谷鬼子母神(恐れ入りやの・・・、びっくり下谷の広徳寺・・・は蜀山人みたい)に着いてしまった。
鬼子母神の境内には「入谷から 出る朝顔の 車哉」の正岡子規の句碑もありました。
ここから三ノ輪橋に向かう途中、竜泉の蕎麦屋でランチしたあと、ズズズと一句浮かびました。
「やれ角萬 冷や肉だいの 暑さかな」(今日は31℃と特に暑い日だった)。
江戸五色不動の一つ、黄不動(永久寺)に寄って浄閑寺(吉原遊女の投げ込み寺)へ。
埋葬された遊女の数2万余人、哀しいけど平均年齢は21~22歳ぐらいだったらしい。
都電三ノ輪橋隣接のジョイフル三ノ輪商店街は今日も賑わっていた。
山谷掘に向かう途中の吉原大門交差点(6代目見返り柳もある)そばに、老舗の中江(さくら鍋)と伊勢屋(天麩羅)のレトロな瓦葺き2階建ての町家がランドマークのように隣り合わせに建っている。
近くのいろは商店街アーケード入り口には、「あしたのジョーのふるさと」と横断幕が掛かっていた。
山谷掘公園をそぞろ歩いて二万六千日で賑わう(ほおずき市も)浅草寺に。
しっかり四万六千日(126年)分、観音様にお参りして、ほおずきを買って、帰って来ました。
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