愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

飯之山伝説①-真穴の古城-

2008年06月05日 | 地域史

写真の中央の山。山頂が平たくなっているところが飯之山。

現在、地図では「飯之山」と表記されるが、地元ではお年寄りから子供まで、この山のことを「いのやま」と呼ぶ。「いいのやま」と呼ぶと地元の人は違和感を感じるほどである。

この山は、『吉田古記』に「飯野山城跡、垣生と穴井の間の山なり。此の城郭昔此辺の領主要害第一の構と伝聞由」、とか『宇和旧記』に「喰野山とて古城あり、城立不知。一説に曰く、城主井上備後守嫡子治部大夫、後、穴井浦庄屋となる、末葉に井上五介あり」とある。

平凡社の『愛媛県の地名』では、穴井村の項目で「喰野山」とあって、ルビが「くらいのやま」になっている。これは明らかな間違い。「いのやま」を「位ノ山」と表記する史料もあるそうで、「位」・「喰」で編集者が「くらいのやま」とルビをふったのだろう。
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