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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛県内のお盆行事4

2008年05月07日 | 年中行事
事例68 8月16日 畑野薦田踊り 土居町薦田(大元神社・薬師堂)
はじめ薦田氏の位牌をまつる阿弥陀堂で半分程の踊りをし、次に薦田大明神の石のまわりで全員踊る。薦田氏の霊を慰めるため始められた踊りである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例69 8月16日 かぶとおどり 新居浜市船木(船木神社)
この踊りは雨乞い踊りで、太鼓を中心に踊り手が合唱・かけ声をかえながら顔に釜ずみ・ほうかむりに縄帯、女の中に男が1人ずつ入って輪になって(百姓姿)踊るもので、明朗・軽快・単純・原始的な踊りである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例70 8月16日 送り念仏 伯方町北浦(お薬師)
念仏組(4人)がお薬師さんから出て、村中を全戸唱えて回る。昨年の盆から今年の盆まで亡くなった人を新仏として供養するのである。(『ふるさとの歳時記』より)

事例71 8月16日 舟流し  上浦町盛(盛港)
その年に死亡した人の霊を祭るための、長さ2~3メートルの舟を作り、死亡者のあった家の人が、死者に似た、でこ人形を乗せ、午後3時頃、沖に運んで流す。日没後、の全戸で、灯籠を流す。(『ふるさとの歳時記』より)

事例72 8月17日 水祭 宇和島市高串本村(竺法寺)
板で作った舟に線香、ろうそくを立てて、お寺の池に浮かべる。夜はここで盆踊りをする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例73 8月18日 施餓鬼会 吉海町(高龍寺)
島内4ヶ寺及び有津、西明寺の僧侶で施餓鬼作法によって行われる。当夜は遺族や近所、知人が菓子等供え物をして参拝する。なお、慰霊のため、信男信女の盆踊りが夜更けまで行われ、夜店見物人多数で盛大である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例74 旧7月18日 流れ灌頂 今治市城慶寺
施餓鬼供養のあと、献灯を湊の浜に運び、海に流す行事である。その後、参詣者は寺の広場で夜更けまで盆踊りを続ける。(『ふるさとの歳時記』より)

事例75 8月19~25日 七日念仏 野村町四郎谷内場地区(お堂)
一週間続けられ、組内の人々が日没とともに集まって念仏を行うもので、最後の日は結願といって全員が飲食を行う。(『ふるさとの歳時記』より)

事例76 8月20日 石手寺永代供養 松山市石手(石手寺)
弘法大師の亡くなった日にちなんで行われるところから、20日大師と言われ、庶民から親しまれている。最近では死産した赤子の魂をとむらう水子祭りとしても知られている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例77 8月21日 踊り念仏  五十崎町大久喜(大師堂)
太鼓にあわせて、鉦をたたきながら踊る。(『ふるさとの歳時記』より)

事例78 8月21日 虫送り・百八灯 五十崎町古田・大久喜・宿間・柿原
108の煩悩を焼除し、悪疫退散、家内安全、五穀豊穣を祈願する行事である。タイマツが夏の夜空をこがし、108個のローソクが幻想的なムードをかもし出す。(『ふるさとの歳時記』より)

事例79 8月23日 地蔵尊の縁日 今治市郷(附嘱寺)
郷の附嘱寺の縁日で、一般に「郷のお地蔵さん」で親しまれている。眼病にご利益があるといわれ、近郷近在から多くの参詣者を集める。(『ふるさとの歳時記』より)

事例80 8月23日 地蔵祭 西海町内泊(地蔵堂)
1年中に死亡した幼児の供養踊りが行われる。(『ふるさとの歳時記』より)

事例81 8月23~24日 日切地蔵縁日 松山市湊町(善勝寺)
松山の夏祭りのフィナーレを飾る行事で、市駅前広場に仮設舞台を設け、野球拳優秀連対抗大会、のど自慢大会等の催し物が行われる。参詣人は病気にかからぬよう祈願する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例82 8月24日 くじびき 新宮村杉谷(杉谷地蔵堂)
毎年年番で決められた2戸の当屋が一切の世話をし、3日程前から寄付金を集め、供物とともに景品を買い入れる。紙のコヨリでくじをつくり、これに景品の名を書き入れておき、当日の夕方、学校帰りの生徒や地域の人たちが地蔵前でくじびきをする。(『ふるさとの歳時記』より)

事例83 8月24日 いりはの行事 松山市森松(須我神社)
家内安全、豊作祈願、悪魔退散を願う神仏混交の行事で、森松町本村にある須我神社と、そこから約100メートル程離れた延命地蔵を祀っている仏庵とその道中が舞台で、仏庵でお経をあげてから、地区の人たちは神社に向かう。その行列には、今年生まれた子供を抱いた戸主がちょうちんを持って先頭にたち、次に御幣かつぎがつづき、毛やり、道具もち、だいば、天狗が歩き、その後をちょうちんを持った老若男女が続く。(『ふるさとの歳時記』より)

事例84 8月24日 百八灯 川内町吉久(吉久表川堤防)
表川の堤防上に小屋を設営し、そこを起点にして左右に3メートル間隔で各戸から提供された「サイト」を数本ずつ並べ、108の点になるまでたてる。夜に入って「ターロモコイ」「ジーロモコイ」と唱えながら108のサイトに点火し、最後に中心にある小屋を焼く。(『ふるさとの歳時記』より)

事例85 8月24日 うらぼん 松前町上高柳
当日では米を買って黄粉をつけた大きなおむすびをつくり、大きなおけに入れる。上高柳の本村開の子供たちが上高柳のから墓地までの道の両側に108灯ずつ灯火を立てその中を通っての人々は墓地へお参りに行き、祖霊を供養する。墓地ではおむすびのおけを墓地の入り口において墓まいりにきた人におむすび一個ずつ接待する。(『ふるさとの歳時記』より)

事例86 8月24日 地蔵盆 瀬戸町三机
三机の家々が、祭り神として供養している地蔵さんを一箇所に集め供養する行事である。(『ふるさとの歳時記』より)

事例87 8月25日 山越のドジョウ施餓鬼 松山市山越(木屋町)
御幸橋のたもとにある延命地蔵を祭るドジョウ施餓鬼。この日はドジョウ汁を食べるならわしがある。(『ふるさとの歳時記』より)

事例88 8月中 お施餓鬼 重信町内(各寺院)
檀家から先祖や亡くなった家族を祭ってもらいたいとの申し出を受けた各寺院では、本堂に祭壇を設けてていねいにまつり、読経して供養する。この夜各寺院では先祖供養のため盆踊りが行われる。田窪の香積寺(8月23日)、牛渕の道音寺(8月24日)、野田の西光寺(8月20日)と各寺院ごとに日が決まっている。(『ふるさとの歳時記』より)

事例89 8月上旬~下旬 お施餓鬼 双海町全域(町内各寺)
過去1年間の新仏の供養をする行事である。各檀家の新仏の家族・親族がお寺へ集まり、お経を唱える。後、お般若湯(酒)を酌み交わしながら生前の功をたたえ悔い慰めあう。(『ふるさとの歳時記』より)

事例90 明治時代初期の今治地方の七夕 『国府叢書』巻二十三
「七夕ノ節句ノ事 七月七日ヲ七夕ノ節句トテ、六日ノ夕ヨリ七夕祭リトテ、笹竹ニ短冊ヲ付シ、之レヲ庭内ニ建、供物等ヲナス事左ニ記ス。机上ニ供アルモノハ、水ノ子(茄子ヲ角ニ切リ、白米ヲ交ヘタル者)ヲ小サキ盆ニ盛リ、田瓜、団子、赤飯等ヲ供ス、又七夕ノ竿ヘハ、茄子、フロヲ及打燈ヲ釣リ、夜間ハ点火ス、七日ノ朝ハ早ク起キテ、男子ハ藁(新稲葉ヲ交ユ)ニテ縄ヲナイ、円形六寸計ノ輪ヲ二ツ拵ヘ、夫レヲ組合シ、之レヲ屋上ニ投シ置キ、女子モ同様早ク起キテ、麻苧ヲ以テ糸ヲ産シ、而シテ其糸ヲ机上ニ置ク、之レ全ク男女共ニ、万術ノ上手ニナラン事ヲ七夕ニ募ヘル義ナリ、建アル笹ハ七日ノ早朝多く海ニ流ス、供物ハ惣テ其夕方廃檀ノ後、之レヲ□□ニ与フルノ習慣トス(挿絵有り)」

事例91 明治時代初期の今治地方の盆踊 『国府叢書』巻二十三
「盆躍ノ事 七月八日ハ薬師、十七日ハ観音、廿一日ハ大師、廿三日ハ地蔵等ノ会日ニ付、其日ハ其所江壮年男女寄集リテ、霊前ニテ躍リ、其神佛ヲ慰ム、其外祖先ノ霊魂ヲ慰セントテ、各自庭内ニテ、躍ラシムル者モ多々アリシ、然レ共、藩法ニヨルト、奇異ナル風体ヲシ躍ル事停止セラル」

事例92 明治時代初期の今治地方のマンド(万燈) 『国府叢書』巻二十三
「万燈ノ事 七月十四日十五日ノ二夜ハ、万燈ト唱ヘ、毎村山アル所ハ山ニ、山ナキ所ハ堤防或ハ道傍等ニテ、多数ノ篝火或ハ麦藁、松葉等ヲ壱荷位ツツ、数十ヶ所ニ積置キ、一時ニ火付ケ焚ク、其賑ハヒ実ニ盛なり、之モ全ク亡人ノ霊魂ヲ、慰ムル為ナリト云フ。此事ヲ司トルモノハ、毎村トモニ強壮ナルモノ村内毎戸より、右之品ヲ貰請ケテ、執行スルモノ也、今尚行ハルル也」

事例93 江戸時代中~後期の宇和島地方の盆行事 『桜田随筆』
「七夕祭、瓜菓のそなへ其外古風に変わることなし。其内七日の夜に祭ることを不知人多しといふこともあれども六日の夜子の刻より七日の夜亥の刻迄は七日の事故家々仕来りの通にてもすむわけなり。
盂蘭盆、うらぼん会十四日、五日。家々のいとなみ古風に違ふ事多し。昔はおしなべて十三日の夜半より団子等を拵へ、夜明けに暖なるを備ふる事を専とせしが、二三十年程前よりは十三日の夕方拵へ、暮頃より備ふる事となれり。之れは夜分蚊に食はるる事を厭へる故と見へたり。亡者への志は薄くなりたる心地す。又おかしきは迂遠の輩は廿四日、五日を裏盆といひて盛物団子を備ふ。表盆・裏盆といふ事更になし。(中略)」
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