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愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

日本の切手と葉書

2023年12月10日 | 日々雑記

テーマ展「日本の切手と葉書」

 当館がこれまでに収集してきた切手や葉書の中から、1840年にイギリスで発行された世界初の切手である「ペニー・ブラック」と「ペンス・ブルー」、明治4(1871)年に発行された日本初の切手である「竜文切手」や翌年に発行された「竜銭切手」のほか、お正月にあわせて昭和10(1935)年に発行された日本初の年賀切手「富士」(渡辺崋山)や昭和24(1949)年に発行された日本初のお年玉付き年賀葉書など、多種多様な切手と葉書の世界を紹介します。

展示概要

会場
愛媛県歴史文化博物館 企画展示室
会期
2023年12月9日()~2024年1月28日(

詳しくは
テーマ展「日本の切手と葉書」| 展示案内 | 愛媛県歴史文化博物館

テーマ展「日本の切手と葉書」| 展示案内 | 愛媛県歴史文化博物館

愛媛県歴史文化博物館

 

大瀬の民俗世界も描かれる『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』

2023年12月06日 | 日々雑記
菊間晴子氏の著書『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』東京大学出版会 (2023/3/22)

内子町大瀬の森の世界が描かれる。著者のフィールドワークの経験から大江作品の抽象性を解説。特に犠牲獣のこと、興味深く、大瀬の牛鬼に関する記述もあり、愛媛の多くの人に読んでもらいたい著作。

【主要目次】
序論 「死生観」から大江を読む
第I部 「壊す人」の多面性――『同時代ゲーム』
第一章 『同時代ゲーム』の背景
第二章 「犬ほどの大きさのもの」
第三章 「暗い巨人」への帰依
第四章 「森」という神秘のトポス
第II部 犠牲獣の亡霊
第一章 皮を剥がれた獣たち
第二章 「御霊」を生むまなざし
第三章 隠された「生首」
第四章 「後期の仕事(レイト・ワーク)」における亡霊との対話
第III部 「総体」をめぐる想像力
第一章 自己犠牲と救済
第二章 救済を担う大樹
第三章 聖なる窪地と亡霊たち
補論 テン窪を探して
第四章 「神」なき「祈り」の場
結論 「犠牲の森」の変容

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『犠牲の森で 大江健三郎の死生観』

シンポジウム「文化遺産の現在と未来―人口減少社会と生きる―」

2023年12月05日 | 日々雑記
愛媛大学社会共創学部のホームページに、シンポジウム「文化遺産の現在と未来―人口減少社会と生きる―」の概要が掲載されました。

文化遺産とは、地域またはコミュニティの歴史・伝統・文化を集約した象徴的な存在であり、そこに属する人々にとって何ものにも代え難い誇りです。同時に、情報を共有すれば他地域の人々をも感動させる価値を持っています。しかし、その将来は必ずしも明るいとは言えません。本シンポジウムでは、人口減少によって危機に瀕する文化遺産の現状や課題を議論するとともに、予測不能な現代社会にこそ必要な「文化とともに歩む未来」について考えます。
興味・関心のある方のご参加をお待ちしております。

日  時:令和5年12月21日(木)17:30~19:15
共  催:社会共創学部、社会連携推進機構地域共創研究センター
     気軽にコミュニティカレッジin内子懇話会、内子町教育委員会
開催形式:対面
開催場所:内子町内子自治センター(内子町内子3427)
定  員:先着50名(事前申込はこちら)
参加費 :500円

「文化遺産の現在と未来―人口減少社会と生きる―」
■開会挨拶 林 純司 内子町教育委員会 教育長
      徐 祝旗 社会共創学部 学部長
■来賓挨拶 小野植正久 内子町 町長
■趣旨説明 井口 梓(社会共創学部副学部長・社会連携推進機構地域共創研究センター副センター長)
■研究発表
 渡邉敬逸(社会共創学部・社会連携推進機構地域協働センター南予)
  「人口減少との関係から考える文化財管理のゆくえ:愛媛県を事例として」
 大本敬久(愛媛県歴史文化博物館)
  「VUCA時代の無形文化遺産―文化が新たな地域に果たす役割―」
 村上恭通(先端研究・学術推進機構アジア古代産業考古学研究センターセンター長)
  「文化遺産と人口減少社会の将来-なぜ今、議論するのか-」
■総合討論・質疑応答 コーディネーター:井口 梓

12月17日は徳島歴史講座で空海について講演します。

2023年11月21日 | 日々雑記
徳島市立徳島城博物館主催で、「弘法大師空海と四国」に関する講座が開催されます。今年は弘法大師空海の生誕1250年。

[タイトル]「青年期の空海と四国―聾瞽指帰・三教指帰を読む―」
[日時]   令和5年12月17日(日曜) 午後1時30分から午後3時
[講師]   大本 敬久(愛媛県歴史文化博物館 専門学芸員)

空海の幼少期から青年期までを「三教指帰」の記述などから紹介する予定です。讃岐での誕生、15歳での上京、仏教との出会い、室戸、石鎚山等での修行、仏道修行の強い決意、若い頃の親族との関係などなど。

現在、四国4県で進められている四国遍路世界遺産登録推進事業。少しでもその一助になればと思っています。


歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害⑤

2023年11月10日 | 日々雑記
4 江戸時代最大の地震―宝永地震―
南海トラフを震源としてM8.6の規模という、江戸時代では最大級の地震である宝永地震が宝永4(1707)年10月4日に発生している。津波は伊豆半島から九州東部にいたる太平洋沿岸に襲来し、瀬戸内海沿岸でも田畑の塩害や浸水被害が出た。津波は紀伊水道を抜けて大阪湾にも入り、淀川の二つの川口、木津川口、安治川口から大坂市中を縦横に走る堀川に侵入し、港に停泊していた船が津波に乗って川や水路を遡上しながら橋を破壊した。大坂市中での津波高は道頓堀川左岸・幸町(現浪速区)で津波高(浸水標高)3.6mとされ広範囲が浸水した。被害が大きかったこともあり全体像が把握困難で犠牲者の数値は史料によって異なるが「大阪諸国大地震大津浪並出火」には水亡人7000余人、洪水にて10000人が犠牲となったと記されている。
この地震・津波では大坂以外で被害の大きかったのは四国・土佐藩であった。『谷陵記』によると藩内の流失家屋は1170軒、全壊家屋4863軒、死者1844名となっている。地震に伴う地殻変動も広範囲で生じ、室戸岬に近い津呂(現室戸市)では2m以上隆起し、現在の高知市内では20平方キロの範囲が最大2m沈降した。過去の南海トラフを震源とする地震では同様の隆起、沈降現象が確認されており、この隆起で港は使用困難となったり、沈降により海水流入したりしており、これらは今の高知県域の地域的特徴といえるだろう。伊予国(愛媛県)でも、宇和海に面する宇和島藩では3m以上の津波により藩主達も高台に避難して野宿し、7273石の田が汐入となり、死者12名、流失333軒、全壊167軒の被害が出ている。また伊予吉田藩でも12名が犠牲となっている。
なお、この宝永地震の49日後には富士山が噴火(宝永富士山噴火)し、高さ10キロ以上の噴煙が繰り返し立ち上り、耕地、林野の埋没、家屋の倒壊、交通路の遮断等の被害が出て、火口から100キロ東方の江戸でも降灰が確認されている。
宝永地震での松山市内の被害記録としては「元禄・宝永・正徳・享保年代堀江村記録」(門屋家文書)がある。「十月四日未刻ゟ大地震ゆり出し同申刻迄大地震」とあり、10月4日の未刻(午後2時頃)から申刻(午後4時頃)まで大きな揺れがあったことがわかる。「大地震」が約2時間続いたというのは本震の前後に大きな余震もしくは誘発地震が集中していたことを物語る。そして発生当初は、1日に8、9回の余震が続き、人々は屋外の仮小屋で過ごし、発生4日目から11日目まで日に3、4回の余震が続き、その後は翌年正月(本震から約2ヶ月後)まで、2、3日に1度は余震があったと書かれており、本震発生から数ヶ月間は頻繁に余震を感じていたことになる。これは伝聞情報ではなく、当時の堀江村(現松山市)で感じた揺れを庄屋が記録しており、当然、伊予国(愛媛県)全体でも同様の状況であったと推察できる。
また、堀江村周辺をはじめ松山地方の被害状況についても書かれている。まず安城寺村では瓦葺の長屋が倒壊したものの、それ以外は大きな被害はなかったとあり、堀江周辺では建物の倒壊は少なかった。しかし、10月4日の本震によって、「道後之湯之泉留リ申候」とあるように道後温泉の湧出が止まったと記され、松山藩主は地震からの復旧を祈願して、藩領内の七つの寺社、つまり道後八幡宮(伊佐爾波神社)、石手寺、薬師寺、味酒明神(阿沼美神社)、祝谷天神(松山神社)、太山寺、大三嶋明神(大山祇神社)にて祈祷を行わせている。
ここで、道後温泉の被害についても触れておきたい。宝永4年10月4日に発生した宝永地震による被害については、『垂憲録拾遺』には「十月四日八ツ時ヨリ同六日迄関西大地震、勢州、紀州、土州別テ高汐上ル、道後温泉没、依之於湯神社御祈祷アリ、翌年四月朔日ヨリ湯出ル」とあり、『諸事頭書之控』に「一、道後湯之儀、去亥十月四日大地震以後湯出不申候処、漸閏正月中旬ゟ少宛泉、最早只今前躰之通リ湯出申由、道後入湯之儀、来ル四月朔日ゟ御赦免被成候間、此旨町中江相触申様ニ御町奉行所ゟ被仰下、三月廿三日拾壱与へ相触ル」とあり道後温泉では地震直後に湯が不出となったが、翌年の正月中旬から湯の湧出が少し出始め、3月にはほぼ回復し、4月1日から入湯が出来るようになった。また同様の史料として『松山叢談』に「十月四日未上剋大地震、道後温泉不出、於道後湯神社御祈祷被仰付御自身様にも神代より出る湯、此方代に至り不出は不徳故の事なりと御勤心厚く御祈念被遊、尤御断食にて有しと云、然るに其中日比より湯少々づゝ泉み出候旨注進あり、夫より一寸二寸と出で元の如く出しとなり」とあり、急に湧出が回復したのではなく、数ヶ月後から少しずつ回復しはじめ、半年後の4月1日に入湯できるようになった経過がわかる。現在、道後温泉では毎年3月に湯祈祷が実施されているが、これは宝永地震での温泉不出という危機を経験して始められた行事であり、過去の災害の記憶を伝える儀礼として重要な文化遺産といえる。

北条風早の史跡めぐり

2023年09月24日 | 日々雑記
今日は愛媛県歴史文化博物館主催の「風早の史跡めぐり」でバスガイド役。テーマは、北条風早の古代・中世。

式内社の国津比古命神社、櫛玉比賣命神社、国史見在社の高縄神社はじめ、国指定文化財の平安初期仏の庄薬師堂を拝観。花崗岩地質に安山岩が突出してできた高縄山、恵良山、腰折山を眺める。お昼は鹿島に渡って太田屋さんで鯛めし三昧。

話題として、白村江の戦から帰還した物部薬、平安初期の風早出身の天台僧の光定と医術の物部広泉。河野郷と河野氏・河野さん(こうの?かわの?)、鹿島城と来島氏などなど、北条風早は、古代、中世ネタは尽きず。


ダンスカンパニーノマド~sによる[農+アート2019]山としゃべって川おどる

2019年10月24日 | 日々雑記

肱川の水面には色とりどりの季節、気持ちやこころが映し出される。河原、村里、山々、そして大空へと続く風景との一体化。踊る人々、観る人々。参加者募集中。ダンスワークショップ。11月23日、24日。


大洲市がんばるひと応援事業採択団体主催イベント・NPO法人おおなる工房が主催する「ダンスカンパニーノマド~sによる[農+アート2019]山としゃべって川おどる」第2弾・大川公民館周辺を会場として2日間開催。


第9回西予市俳句大会

2019年09月29日 | 日々雑記





本日は、西予市図書交流館にて、第9回西予市俳句大会が開催されました。

100名以上の参加者。会場は非常ににぎやか。

西予市の俳句は幕末の卯之町天満宮(今の王子神社境内)に卯之町結社の俳額があり、江戸時代からの伝統を持つ。昭和13年には上甲平谷により『俳諧芸術』が創刊され郷土俳句の担い手が増え、戦後、昭和24年に三好月桃が『峠』を創刊。その後、上甲明石を中心に俳句熱は高まる。

西予市俳句大会の前身、俳句フォーラム時代からすれば約30年、毎年、盛大な俳句大会が開かれている。

今年の第9回にて、大本が基調講演。演題は「西予の文化を見つめなおすー地域文化活動の継承に向けてー」。愛媛、西予の祭り、郷土芸能、年中行事を紹介し、地域ごとに特徴のある文化が継承されていることを紹介。そして、昨年の西日本豪雨からの復興に、いかに地域文化が寄与できるのか解説した。特に愛媛では俳句が日常化しており、被災後の心の復興に俳句が役立つ可能性を紹介した。

選者も務め、特選には拙著『民俗の知恵』を贈呈するという、少し気恥ずかしいところもあったが、なんとか講評も終わり、一安心しているところ。

伊方原発訴訟記録廃棄(愛媛新聞)

2019年09月24日 | 日々雑記
愛媛新聞2019年9月24日よりメモ

「民事裁判記録廃棄 伊方1号機訴訟も 松山地裁 将来検証困難」

全国初の原発設置の是非を争った四国電力伊方原発1号機を巡る訴訟記録が廃棄。

「裁判が公正だったか、事実認定に誤りがないか。記録がなければ将来検証できない」。

松山地裁は「どんな判断で廃棄したか承知していないが、近年は公文書を含めて史料の歴史的価値や保存の必要性の認識が社会的に高まっており、変化を踏まえて適切に保存などを行なっていきたい」。

公文書管理法では対象が行政庁に限定されているが、欧米では司法、行政に関わらず公文書館が保存について指導、監督。

浅古弘氏(法制史)は「裁判所だけの問題ではなく、日本の公文書管理の仕組みが非常に脆弱。国全体でもう一度在り方を考え直す必要がある」。

以上、記事抜粋。


先月からかな。共同通信の記事以降、全国の裁判所で歴史的な民事裁判の記録が多数廃棄されていたことが記事になっている。今回の愛媛新聞の取材はその流れかなと。

判決文など結論文書は保存されているだろうけれど、審理の過程が全くわからなくなる。検証できなくなる。

裁判記録は、最高裁まで争われたものでも最高裁や高裁では保管されない。記録は地裁に戻されて保管されるのがルール。地裁で裁判記録が廃棄されれば、判決文以外、何も残らなくなる。

規定では判決文の保存期間は50年。民事裁判の記録は確定後に一審の裁判所が5年間保存し、その後に廃棄。

規定通りに適切に処理した、ということなのだろうが、重要な裁判記録が規定どおりに廃棄されることが常態化していたことに驚かされる。

重要な憲法判断や判例、社会的に注目された裁判は、「史料または参考資料となるべき記録」は「特別保存」として永年保存されることが義務づけているのではなかったのか。この特別保存はなかなか適用されず。適用の判断をする文書管理の専門職員がいない中では難しいのかも。

伊方訴訟の記録廃棄。そして愛媛には県の公文書館が設置されていないことも含めて、歴史的公文書の管理の現状への危機を感じてしまう。

裁判所で廃棄されているので、伊方訴訟では原告の住民側で保存している裁判記録が後世、非常に重要な歴史的資料になる。その整理、保存がこれからとても大事。伊方訴訟だけでなくて、今治織田が浜や長浜臨海工業開発や、宇和島市ごみ焼却場など、愛媛における住民訴訟は、それぞれ原告側の記録保管状況を確認しないといけない。時間が経って、世代が変わって原告側でも廃棄されてしまったら・・・。それを住民側に求めるのも酷。やはり、司法の公的責任として、住民運動に関する裁判は特別保存扱いで永年保存しないと・・・。

なお、伊方訴訟については資料集がクロスカルチャー出版から刊行されている。これが裁判記録の一部かもしれないし、刊行されたものの中で廃棄されたものもあるかもしれない。

『伊方原発設置反対運動裁判資料 全7巻』
http://kw.maruzen.co.jp/ln/set_series/64_crosscultureshuppan.pdf

【2019年9月25日追記】
裁判記録は廃棄とのことですが、地元住民側で残してきた記録については保存、整理の取り組み。昨日会合あって、今朝の新聞にも取り上げられていました。

以下、愛媛新聞 2019年9月25日より抜粋

「伊方原発反対軌跡を後世に 八西協故広野さんらの私信や日記2000点 神戸大大学院講師ら」「南海日日で論陣 近藤さん遺稿も 妻 次の運動につなげて」

四国電力伊方原発の建設当時から続く地元団体の反対運動について、神戸大大学院などが資料の保存を進めている。資料は日記、写真、裁判記録、チラシなど。吉川圭太特命講師が、24日、八幡浜市で中間報告し「これほど体系的に残された反原発運動の記録はまれ。多くの人が活用できるようデジタル化などを進めたい」 「学生運動やローカルメディアの動向、他地域との連携など、多様な情報が含まれている。住民の生活に根ざした人類史的に貴重な資料」と述べた。

資料は、地元住民らでつくる「伊方原発反対八西連絡協議会」の元会長で2005年に死去した広野房一さんらが残した2000点余り。

保存が進められている伊方原発反対運動資料には、地域紙「南海日日新聞」の記者として反原発の論陣を張り続け、2015年に死去した近藤誠さんが残した数百点も含まれている。

とべむかしのくらし館

2019年09月07日 | 日々雑記
今日は砥部〜小田の国道379号史跡めぐりでした。大南商店街・とべむかしのくらし館・衝上断層・旧広田村の三島神社の長州大工彫刻・広瀬神社をみてまわる。広瀬神社では「小田の里 巨樹巨木を想う会」のみなさんにガイドしていただき、樹齢千年、木々を仰ぎ見る。

特にとべむかしのくらし館はオススメです。




大師堂でのお接待

2019年08月21日 | 日々雑記
夏の恒例のイベント「伊予の伝承文化を学び伝えるリーダー村」。野村町惣川の土居家へ。大学生、小学生計35名と土居家探検をする。ここではいつも心が洗われる。

しかも、今日は偶然、惣川寺組の大師堂でお接待の日。珍しいよそ者、ということで、呼ばれて、お接待していただきました。お腹いっぱい。