夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

岩木山サイクリング

2010-09-19 13:13:07 | サイクリング
 暑い夏にすっかり参ってしまったことや、畑作業が忙しいことをいいことにすっかりサイクリングの鍛錬を怠っていた。
 岩木山サイクリング協会の主催で、先週宿泊したばかりの岩木青少年スポーツセンターでキャンプが開催された。弘前市役所から14:30にサイクリングを開始し、岩木山神社で一回目の休憩が予定された。行程19kmを約2時間で走破する計画である。
 もちろん私としては岩木山神社以上の道路を自転車で登ったことがなかった。あろうことか午前中大雨が降って、結局市役所に自転車で来た方は20名中私を入れて3人だけだった。
 スタート時間になって雲行きが怪しくなり、スタートして5分で土砂降りとなった。私は幾度か役員の方の車に乗らないか誘われたのだが、私のこの日はかなり挑戦したい気分だったのでお断りした。途中5km付近で一名が脱落し、結局岩木の2名のみで走り続けた。平地が7kmから上り坂となって、たちまち私はペースダウンしてしまった。長いだらだら坂は、何度来てもばてばてになる。何とかその最初の坂をクリアし、岩木山神社まで軽い上り坂を乗りきった。ここまで50分間かかったといわれたが、私的にはもっとかかっていたのではないかと思われるばてばての状態。
 家内に車でのサポートを依頼したので、ここで落ち合った。役員の方からスポーツドリンクを差し入れてもらって、1本呑みきった。気持ち的にはもう足のほうががたがた状態で、ここでギブアップしたい気分だった。しかし相棒の一人、相撲の岩木山関のお父さんに「当然行くよな?!」といわれて、渋々またペダルを踏むことになった。
 それにしても土曜日の岩木山嶽温泉方面は車の往来が激しい。嶽キミがもう終わりの時期だからだろうか・・・。
 フーフーいいながらもなんとか嶽温泉入り口を左折し、青少年スポーツセンターに到着することができた。予定時間の2じかんを24分早くゴールインしたことになる。サイクリング協会の皆さんの拍手で迎えられ、少しいい気分でした。苦しい道のりでしたが、完走した達成感のすがすがしさは、格別のものがある。
 夜はバーベキューをお客様に振る舞い、サイクリング談義が賑やかに展開された。そして翌朝皆さんと再会を誓い合ってお別れし、帰路の人となった。下りはノンストップで、気温が低いのかかなり肌寒さを感じた。
 往復35kmを走破し、少しリフレッシュできた気分です。

ケアホーム見学者

2010-09-18 07:17:45 | 私と福祉とであいの旅
 青森市でNPO法人を運営する障がい者事業所のメンバースタッフ12名が、ケアホームの見学に見えた。かつて私の係わった障害者団体の発足時からのメンバーが多かった。みなお子さんたちが何らかのハンディキャップを持って生まれて、何とか在宅生活を豊かにしたいと願う通所事業所利用の親たちである。
 ケアホームの利用を考えている方々と、運営したいという双方の思いの中で来訪したのだと思う。私は親の生活の変化や、ケアホーム入居後の半年間で娘の変化について問わず語りで話した。
 娘を大切に思うことが、それが過剰介護になっている現実も否めないと思う。娘が持っている力を発揮させないという傾向は、娘を依存することになれさせてしまうのだということ。それがこのたった半年で娘が変化している事実を見て、娘の自主性について痛烈に思った。
 その変化の最も大きいことは、自宅とケアホームの違いを娘が感じていることであろう。ケアホームから帰ると、それまでは一往復がやっとだった廊下の移動(這う)が、帰宅すると4往復もしている事実。表情の変化は、要求を強く出す表情としてあるのだろう。もっとほしいとか、望んでいないことをしたときに、娘は不満そうな顔で私たちをじっと見つめるようになった。何か要求を知らせるときには、これまで私の腕や洋服、髪を引いて知らせていた。今はベッドで寝ているためか、下で寝ている私に腕が届かないためか、私の顔をめがけて本を落とすことで私の注意を引くようになった。
 そういう変化は、娘のケアホームで学んだ何かなのだろう。親たちと離れて生活をしたことで、自分を満たすための知恵を身につけたと思う以外ない。そういうことがまず、ケアホームの娘と私たちの間に起きたことだ。
 親の変化は何かといえば娘にかけていた生活時間がぽっかり空いて、自由時間が増えたこと。旅行も、コンサートも、山歩きも、演劇鑑賞も、何でもいつでもできることだ。
 今でこそ慣れてきたのだが、娘が入居していなくなった当初は、夜中に娘がそばに寝ていると勘違いして、布団からはみ出ていないかとがばっと起きてはあっいなかったんだと気づくことがしばしばでした。家内も真夜中にため息をついているのでどうしたのかと聞くと、娘がどのように夜を迎えているのか気になって眠れないというのです。
 そういう気持ちの動きが、私たち親にもあるのです。

 訪問された親御さんたちは、どのような印象を持って帰られたのかはわかりませんが、施設入所が安心であるという父親と、地域生活の豊かさを体験させたいという母親の気持ちの違いがなかなか状況を変えられないという悩みを持っておられることも知りました。そういう意味では、私たちのケアホーム入居前には、同じような親たちの姿がありました。共に過ごした家族が子どもの障害を理由に、別れなければならないという姿はそこに通常とは違った悲しみが横たわっています。
 今の生活よりも生活水準や生活の質が低下するのであれば、あえて急いで生活を変える必要はないのだと思います。少なくとも私自身は、30年以上娘と暮らしたという実感があります。そして彼女たちが親がいなくても、安心できるケアシステムを実現しました。私はもう直ぐ60歳ですが、いつでも娘の状態によっては家庭に迎えることができます。そして毎週土日は生活を共にもしています。この生活が私たちの現在のベストの環境であるという実感を持っています。長い人生ですから、山あり谷ありかと思います。そういうときこそ、社会的な支えの仕組みが生きてくるのではないでしょうか。

重いいのちのあるべき姿

2010-09-15 07:38:45 | つれづれなるままに
 だれにでも
 どんな状態の
 いのちでも
 みな
 その時々の
 願いや想い
 あるいは
 強い要求があり 
 かなうもの
 かなわぬものが
 支援者と
 支援される者の  
 その間に
 横たわる
 数々のきもち’S

 言葉は
 完全ではない
 きもちは
 ことばだけでは
 言い表せない
 残された
 多くの
 願い
 未解決の
 想いの数々

 願う者の
 傍らで
 いのちに寄り添い 
 呼吸を合わせ
 目の向く方向に
 目を向け
 手の先のものに
 目を走らせ
 あれではなければ
 これではどうか
 確かめるしかない

 それでも
 百の内ひとつでも
 切ないきもちが
 つながったとき
 願うものの
 安堵を
 喜びを
 満足を
 強烈に感じたとき
 はじめて
 双方の
 共感が
 掛け値のない形で
 つながっている
 
  
 

短歌 秋

2010-09-14 11:29:49 | 創作(etude)
 
 ・野分き立ちサッカー場の喚声も薄野は揺れ虫の音の満つ

 ・古の観音様の札めぐり夫婦暦を見返る旅か

 ・杉木立歩む石段濡れており社(やしろ)は険し六十路の吐息

 ・猛暑逝きちちろの騒がす夜長しわが道照らす月待ち望みつつ

 ・老いてゆくわが容貌ぞ鏡見る四季の移ろい受け入れる時

飯ごう炊さん

2010-09-13 15:51:43 | 私と福祉とであいの旅
 9月12日(日)~13日(月)
 パン工房・ゆいまあるの秋季キャンプが行われた。メンバー18名とスタッフ13名が参加し、岩木山嶽高原にある「青少年スポーツセンター」で1泊2日である。
 

 天気は曇りから夜から翌日には、雨という予報である。気温もこの日は24℃とかなり涼しいので、高原では更に2℃ほど下がっている。
 青少年スポーツセンターは、かつて我々の前身施設「生活リズムセンターノーム」がスタートした土地である、嶽高原に設置された青少年健全育成を目的に建てられた施設である。
 昨年は十三湖でのカヤック乗りやシジミ採り、そして飯盒炊さんを目的に開催された。
 今年はこの宿泊施設の屋外でのテント生活を企画したが夜半の大雨を予想して、急遽建物内での宿泊に変更となった。
 メンバーさんたちや職員の一部では、こうした屋外キャンプの経験者が少ないようだ。だから火を起こしたり、飯ごうでのご飯炊き、テント張りなども未経験でどうすればよいのかわからない。便利な電気生活にどっぷり浸かっていると、いざ災害時などに生活がたちまち行き詰まってしまうことになる。更にハンディキャップがあると、保護者が過剰な介護をして結局料理もした経験がないと言うことにもなる。今回のキャンプでは自分たちで食事メニューを決め、失敗を恐れずにやってみようということだった。
 お昼の食事準備から、まず始まっている。メニューはシチューとサラダだった。飯ごうでの炊飯は職員も経験者が少なく、説明をするところから始まった。水加減や火の調節などを教えて、ようやく何とか炊き上げている。
 飯ごうは本当に優れものだと思う。もともとは軍隊で開発されたものらしい。中蓋刷りきりで2合分の米を計量できるし、水も2合と4合のメモリ分を入れれば、うまく炊くことができる。米も4合分炊けるし、味噌汁なども煮ることもできる。コンパクトで軽量である。ただし標高の高い3000メートル級だと、気圧の関係でお湯の沸点が変化しめっこ飯になってしまう。そのためにアルミホイルなどで中蓋を作って炊くとなんとかできる。このために圧力釜などがあれば何の心配もいらないのだが・・・。
 外蓋一杯で2合分の水が計れるし、外蓋摺り切りで3号の米を計ることができるという優れものである。

 さて、こうして始まったキャンプであるが、午後のプログラムは自然散策をするグループ、体育館でバドミントンをするグループ、屋外でグラウンドゴルフをするグループに分かれて活動をした。私はといえば留守番と称して、孟宗竹を栗畑から切り出してきていた。何をするかといえば、食器作りをするためである。盛皿、スプーン、箸、箸置、爪楊枝、菜箸、バーベキュー用の串などである。ハンドメイドの時間をたっぷりとっていたら、このスポーツセンターの一角でサッカー大会があり、お兄さんの応援につれてこられたという子ども二人が珍しさ見たさにそばに張り付いた。ひとりは小学3年生の女の子で、もうひとりは4歳の男の子だ。
 竹の端材を使ってペンダントや笛を作ってあげると、約2時間ずっとそばで遊んでいた。こういう楽しさが自然の中にあることを、伝えるのも大事な仕事だなとそう思ったりしている。でも最近はおかしな大人たちが巻き起こす性犯罪などで、刃物を持ったおじさんのそばで遊ばせる親もいないかと思ったりもした。
 夕食後はキャンプファイヤー、花火、フォークダンスと盛りだくさんでみんなは楽しそうに歓声を上げていた。このセンターには温泉施設もあり、硫黄泉のこの温泉でゆったりと疲れを浸した。
 このセンターが最も脚光を集めるときは、冬2月のスキーマラソンの時だろう。三笠宮殿下がお元気な時はここに来て一緒に走っていたこともあった。そのためか貴賓室という部屋もあって、私たちはこの夜この部屋で寝ることになった。夜10時消灯の音楽が鳴り、朝6時にはまた起床合図の音楽が鳴った。昨夜は結構大降りのい雨の音が屋根を叩いて聞こえていた。
 朝食を済ませた私たちはこのあと、この建物のそばにある「シトゲ森」という300メートルほどの高さの山へと足を伸ばした。暑かった今年の山々の自然は、どのような影響があるのだろうか。熊があちこちの畑に出没することを聞くと、、食糧不足が気になってしまう私である。
 森の中を歩いた私たちはその足でまた、清水寺を模した東目屋にある清水観音の212段の石段に挑戦した。みんな疲れた表情はあったが、楽しさと達成感を身体に刻んで帰宅していった。
 ただ働くばかりを教えるのではなく、人生の楽しさをこうしていただくゆとりもぜひ味わい続けてほしいと願うのである。

 
 
 

高橋真梨子コンサート~青森市

2010-09-12 06:50:49 | 趣味(渓流釣り・フォーク)
 9月11日(土)18:00~20:20

 青森市文化会館で6年ぶりという高橋真梨子コンサートを家内と二人で聴きに出かけた。ファンクラブ会員以外は、みな2階席以外に指定されるほどの会場は満員だった。
 高橋真梨子はデビュー38年ということであり、夫のヘンリーはもう66歳だという。ぼくたちも同じだが会場にはほぼ同年代から、その上の年齢の方が多かったように思う。
 6年前に見たときはやはり青森市のこの会場だったが、席は1階であった。しかし今回は席が取れずに、2階の最上部位に近い場所だった。顔は見えないし、声も聞きづらかった。でも生(ライブ)はいいといつも思う。CDなどでは聞かれない会場とのやりとりや、本人の息吹がそこにはあるからだろう。
 冗談ぽくヘンリーさんが「ポップス界の双葉百合子を目指せ」は、思わず笑ってしまった。
 前日の秋田市でのコンサート会場から青森市までの移動は、カモシカという特急3両編成で3時間かかったと聞くと、なんだか意外な感じがした。でも人数を数えたら本人も含めて20人程度だから、むしろその方が経済的なんだろうなと思った。
 「青森はいいところだけどやっぱり遠い」という彼女の発言を聞けば、また青森で聞くのは5,6年後のことだろうか・・・。このことだけがなんだか青森のよさから遠い。

十和田市「農園カフェ・日々木(ひびき)」訪問

2010-09-11 09:50:19 | 私と福祉とであいの旅
 9月10日(金)
 SWセミナー打ち合わせ後、市内の飲み屋で楽しく飲み語った余韻を引き連れて、翌日は十和田市にあるA型事業所「田園カフェ・日々木」に向かった。
 約束の時間までまだ間があるので、途中のスーパーに寄った。田舎のスーパーにしては、とても規模の大きい場所であった。
 私たちの関心の場所は、パン屋さんや野菜売り場である。やはり青森県産は新鮮で安いことがよくわかる。かぼちゃは100g38円で、700円というものもあった。これからわが農園もじゃがいも、ミョウガ、かぼちゃなどが販売される予定だ。
 さて、予定時間となって、訪問先に到着。まず、農園の見学。施設管理者はNPO法人のH氏で、カフェレストランのほうは社団法人理事長T氏だった。
 農園では果実「ブルーベリー」が2400本、カシスなどが広大な農地に植えられていた。こちらの方は就労支援B型で運営しているという。野菜は黒豆、これから水耕栽培のトマトのビニールハウスを建てるという話であった。このほかビニールハウスでは、下請けの仕事で水道メーターのシールはがし作業を行っていると聞いた。ブルーベリーは今年サクラドリが大群でやって来て、相当被害を受けたらしい。
 その後カフェレストランにお邪魔し、理事長で野菜ソムリエの肩書きもあるT氏から、A型事業所の運営内容について説明をいただき、内部も見学させていただいた。古民家を改築したという建物は、和風ながら空間的のも広々とした素敵な内装であった。平日にもかかわらず、昼になると20人くらい座れる食卓は満席になっていた。
 私たちは説明を受けた後、建物奥にあるB型事業所も見せていただき、昼食の野菜カレーやナスのチーズケーキなどでお腹を満たした。
 できて間もないこの事業所ではあるが、A型事業所がより身近に感じることができた気がした。

八戸市でのソーシャルワークセミナー打ち合わせ

2010-09-11 07:03:58 | 私と福祉とであいの旅
 9月9日(木)
 八戸市で10月24日開催予定の「青森県ソーシャルワークセミナー」の打ち合わせと、翌日には十和田市のA型事業所を見学する予定で移動した。
 わがスタッフ3名と家内と私で5名である。
 
 10月24日のSWセミナーの打ち合わせは、当初会場を予定している八戸市総合福祉会館で行われる予定であった。しかし、参加メンバーである自閉症のお子さんを持つHさんから急遽打ち合わせの場所の変更依頼が届いた。息子さんが通っている自閉症者の日中活動施設に「行かない宣言」を出したので、家に来てほしいとのことだった。
 昼食を済ませてHさんの家を訪問すると、Hさんと息子さん、それに息子さんをケアするホームヘルパーの男性、そして今回のセミナーのコーディネーターをお願いする「ライフ」事務局のKさんが在宅していた。私たちが訪問して間もなく、残る参加者県のケアマネ研究会事務局Y氏が集まってきた。
 息子さんの歓迎のセレモニーがすんで、早速このセミナーの内容について話し合いをした。
 Hさんの自閉症の息子さんRさんは、かつて北海道の自閉症の方が多く入所する施設で青年期を過ごしたという。そしてHさん夫妻はRさんの18歳を機に、いったんRさんを退所させた。そして彼の社会的自立のための彼専用の立派な家を郊外の静かな住宅街に建設した。私もその建物をHさんの案内で一度見学したことがあるが、彼の自閉症という特性を考慮した建物であった。しかし親の良かれと思う息子の幸せの条件という形と、これでは自分らしくないというR君の主張の違いが、その後の生活のための城を大きく変貌させてi行ったという。
 R君の思いは、自分らしい暮らしであろう。私たちが快適と思われる生活条件とそれはまた大きく違う点でもある。せっかく彼のためと思って敷設されたエアコンも、台所の冷蔵庫や棚なども破壊の対象だった。結局彼は広い部屋の真ん中に寝ることはなく、押入れの中に自分の安心の場所を求めていた。外の世界が見えると落ち着かないということで、窓という窓は中から見えないようにふさがれていた。
 R君の施設からの退所を幸せだと思ったその思いは、今や大きく母親の心の中で退所させなかった方が息子さんは幸せだったのではないかという葛藤になっているらしい。
 退所させなければR君は社会との軋轢に混乱や抑制、そして彼の社会生活への思いとは逆のストレスによって、自分の指のつめはがしという自傷行為などはなかったのではないかと語った。

 このHさんの思いを中心に、八戸市で障害者施設長・そして生活支援ネットワークライフ事務局のK氏にコーディネート役をお願いし、障害者施設長で青森県ケアマネ研究会事務局のY氏、そしてわが法人の次長S氏には弘前地区の障害者支援の状況と、法人で相談事業を立ち上げた理由などを主に話してもらうことにしている。

 私が最も今福祉理念と現実社会の中での乖離を感じているのは、「障害?者」と「障害社会」である。障害を負って生まれてきた人々に対しての言葉「障害者」が法律用語となっているが、、未だにその用語に対して相応しさを感じ得ない。「差し障りと害悪ナ者」という表現やイメージにはいつも納得が行かない。
 一人の人間として生まれながら、何らかの病因やアクシデントによって心身の不随意な状態に置かれた人たちなのではないか。その人々に対して個別の相応しい支援のあり方を準備すべき社会が、未だに偏見や差別、そして隔離などの施策をとり続けていることは明らかに、国連の国際障害者年宣言からいくらも進化していないといえる。そういう社会こそが「障害社会」と言うべきなのではないかと思う。

 ※1981年に国際障害者年が開催され、国連において障害者の権利宣言がなされたのは記憶に新しい。
 テーマは「完全参加と平等」で、主な内容は下記の通り
 ・障害者の社会への身体的及び精神的適合を援助すること。
 ・障害者に対して適切な援護、訓練、治療及び指導を行い、適当な雇用の機会を創出し、また障害者の社会における十分な統合を確保するためのすべての国内的及び国際的努力を促進すること。
 ・障害者が日常生活において実際に参加すること、例えば公共建築物及び交通機関を利用しやすくすることなどについての調査研究プロジェクトを奨励すること。
 ・障害者が経済、社会及び政治活動の多方面に参加し、及び貢献する権利を有することについて、一般の人々を教育し、また周知すること。
 ・障害の発生予防及びリハビリテーションのための効果的施策を推進すること。

 施設入所がその人にとって幸せだという主張は、今の私には認められない主張である。どのような人であれ、、共に暮らし、共に理解し合いながら、共に支えあう社会の構築は21世紀のあるべき社会だし、哲学だと確信している。施設入所はあくまでも限定的に、そして目的達成的でなければならないと思う。終の棲家として社会的隔離をすることは、人権侵害につながると考えている。
 「地域で暮らす」ことが可能となる条件とは何か?をこのセミナーで明確化したいと思っている。
 

開墾二日目~スズメバチの巣

2010-09-09 07:25:08 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 9月8日(水)旧暦八月朔日お山参詣最終日
 しらとり農場開墾2日目である。昨日は午後からの作業であったが、きょうも晴天で午前9時から開墾作業をスタートした。後援会長前田氏とそのお仲間3人、わがあうんからはスタッフ6名利用者2名が参加した。チェーンソー2台で榛の木や胡桃などが伐採され、ユンボという重機でそれぞれの根が引き抜かれる。私たちは軽トラックで伐採され、寸断された丸太や枝を集積所へ搬送の繰り返しだ。
 昨日からがらりと天候が、秋の気候に変わっていた。最高気温が26℃と、湿度も低く作業はとても快適。でも直接の日差しはやはり暑い。30℃を超えることを考えればの話だ。
 しらとり農場にはトーベとい言う雌犬が、番犬として飼われている。広い農場の気配をいち早く察知するのは、トーベだ。農場の変化にとても敏感で、私たちが来場すると直ぐにやって来て、安心できればまたいなくなる。慣れてきたのか私たちが昼飯を広げていると、そばに来て一緒に過ごしている。
 さて、この日のトラブルというのかハプニングは、伐採予定の二本の木にそれぞれ一個ずつの直径30センチほどの卵形のスズメバチの巣が下がっていた。スズメバチといえば蜂の種類では最も大型で、肉食の獰猛な蜂である。知らずにコノ気も伐採していたらきっと被害が出ていたに違いない。結局農場主と話して、来年の春までそのままにしておくことにした。午後5時予定の作業は、7割方終了している。今週いっぱいで開墾作業は終わりそうである。
 農場には二人目のあかちゃんをお腹にした潤ちゃんと、オーナーの両親が毎日孫の子守にやって来ている。奥さんの身重をカバーするのはウーファーと呼ばれる若者たちで、今は5名ほどが宿泊して農作業を手伝っていた。
 さあ、来年は小麦栽培がこの農場でスタートできる。
 

可憐なる「花オクラ」

2010-09-08 07:04:29 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 9月7日(火)
 パンの原材料小麦の作付けができるように、岩木山麓にある「しらとり農場」の開墾作業を開始した。後援会の前田会長とそのお仲間二人、そして我々法人の関係者での開墾作業だ。農場の北面の約50平米くらいだろうか、木の伐採が始まった。
 しらとり農場の畑にひときわ目を引くのが写真の食べることのできる「花オクラ」の可憐な花である。

 今週いっぱいで仕上げるつもりで、重機ユンボが大活躍である。木の伐採と草の刈払い、そして抜根作までが当面の目標である。
 静かな林間に、刈払い機とチェーンソーのエンジン音が鳴り響く。30℃を割り込んだとはいえ、作業をしている内に見る見る水をかぶったような汗をかいてしまう。丸太や小枝を軽トラックに積み込んでの片付け作業も進む。あうんとゆいまあるメンバーも6人が参加して、彼らも恐らくは生まれて初めての開墾作業である。
来年はこの地に小麦の作付けをして、再来年の初夏刈り取り作業となる。それを脱穀して石臼で挽き、ようやく全粒粉のパンが焼きあがるのである。気の長い話ではあるが、私たちの未来がそこにかかってもいるのだ。ぼくはまるで夢を空爆の用でもあると思いながら、もくもくと作業を進めている。