夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

秋の出会い

2010-09-20 06:37:07 | 私と福祉とであいの旅
 人と人との出会いを「縁は異なもの味なもの」というが、私の場合もう一つ付け加えたい言葉がある。それは「類は友を呼ぶ」だろうか?
 これまでの自分の60年近い人生で、このことをしみじみ思うこのごろである。学生時代の友達は、中学、高校、大学とそれぞれではある。しかし未だにお付き合いをしていることを思えば、そこには引き合う双方向の縁や価値観などの共通項があったからであろう。「袖触れ合うも他生の縁」ということばもあり、(多生の縁が正)この縁というものも偶然性に近いが、必然的な意味合いも感じられる。
 
 私が今弘前人として暮らし続けるのも、本当に不思議な感覚である。何故かこの津軽弘前が愛おしく思える。それは歴史や文化、そして豊かな自然、天候などがその一因である。「もし・・・だったら」という思いをするとき、一つ一つの偶然が重なり合って、進行して行くのが人生の不可思議なところである。良いこともそうでないことも、総てはそのとき・・・だったから」という結果につながっている。まさに自分だけの人生であって、自分だけの類縁がそこにある。
 私の法人にしても、一人ひとりの法人役職員は、それぞれがそれぞれの類縁を持っている。そういう中の一人が、わが法人ということになろう。

 わが法人は歴史と呼べるほどの年数を得てはいないが、16,7年間の歴史の中でその積み重ねは総て縁であるとそう思う。
 私はこの縁を、いつも不思議だと思う。事業展開を起こすたびに、いつもそこに縁ある人が出現するのだった。そしてその縁ある人が大いに私に助力をしてくれるのである。ある人は事業を成し遂げた後去っていった人もあるが、今着実に力を注いでくれている方々も多い。
 他法人の施設長クラスの人が同じ釜の飯を食い、これまで創設以来4人が働きをくれた。そしてまた今他法人から施設長を辞めて、わが法人入りを希望する方が来るのだという。とってもありがたいのだが、いかんせん貧乏法人である。給与の保障はとても施設長クラスは準備できそうもない。それでも良いといって来てくれるのは、もはや同士と呼ぶしかないのだろう。一つの共通目標を持って、それを実現するためにまい進する。今度はA型事業所の展開が彼の役割の一つとして待っているのである。