夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

DVD「わたしとあなた」その4 それぞれのmy self

2010-09-25 08:52:28 | 私と福祉とであいの旅
 4つ目は神奈川県藤沢市の黒崎ホーム

 男女や障害程度、年齢など区別のないホームです。このホームの様子を見て感じたのは、入居者一人ひとりにそれぞれの楽しみがある生活が感じられることです。生活の中のそれぞれの生活スタイルが尊重され、スタッフが温かく支えている姿はほほえましさを感じました。入所施設にはこの状態はありえないなと感じられる生活でした。さらにそこにはスタッフそのものが、個々に個性的な生き方をしているなと感じ面白さを感じました。生活するということの原形がここにはありました。

 4つの個性的なケアホームは、ケアホームというその形にいくらでも個性が表現できる要素があるからだろうと思います。つまり人間対人間という「わたし+あなた」関係が存在するのです。集団が大きくなればなるほど、人と人の関係が希薄になっていきます。このような環境下では、個人の弱い電波を受け止めてくれる強力なアンテナがあるかどうかが大きく影響します。そういう意味ではケアホームやグループホームという、小規模だからこそ受け止め理解しあえる環境といえるのかも知れません。

DVD「わたしとあなた」その3「見えてきたmy way」

2010-09-25 07:46:59 | 私と福祉とであいの旅
 3つ目は北海道 石狩市の自立支援センター「ゆい」
 
 「ゆい」は施設でもなく、家庭でもない、第3の自立の道として、行動障害のある自閉症の人がケアホームで生活するための支援を行っているところです。札幌市自閉症者自立支援センター「ゆい」が運営を始めたのは2005年。この施設の特徴は入居期間を3年という有期限性にし、将来の暮らしを地域へと特定しているところです。

 現在では「ゆい」での自閉症のトレーニングを終え退所した人たちともう一つの入所施設である「厚田はまなす園」を退所した人たち、在宅から法人の各事業所をの利用者たち100人(障害程度区分5.2)がケアホーム23箇所で暮らしているそうです。

 行動障害のある自閉症の人は何故生きにくいのか?
 自閉症の人の「行動障害」は何故起きるのか。もちろん自閉症の人総てが行動障害になってしまうわけではない。しかし、自閉症の人たちは「いつどこで何をするのか」「どのくらいするのか」「どのようにするのか」「次にするのは何か」などの生活をするために本人が必要な情報を集めることができなかったり、不安や疑問を人に伝えることがうまくできなかったりすることが多く、その生きにくさが行動障害につながってしまうケースが少なくないという。その行動障害を予防するためには、本人にとってわかりやすい情報の提供、不安をうまく発散するたことや、社会的に容認する表現手段の確保が必要だそうです。

 DVDの中には不安になったとき、ジグゾーパズルや音楽などを使って安定していく姿も映っていました。そして一つ一つの行動を移すたびに、自分の行っていることの確認をするようにカードを抜いていました。
 親子関係であることから生じる不安感やストレスは、彼らを追い詰めてしまい家族自身も疲労してしまいます。
 相互に暮らしを立て直すためには、こうした配慮のいきわたる空間「グループホーム」が必要になってくるのです。

DVD「わたしとあなた」その2 伊達市・野ぶどう

2010-09-25 07:10:50 | 私と福祉とであいの旅
 私たち社会福祉法人 抱民舎施設整備検討委員会で、3年前に訪問したケアホーム「野ぶどう」(2006年開設)は、北海道の重度重複障害の人たちのそれまでにはなかった新たな生活の場です。
 伊達市には「太陽の園」という日本で最初のコロニーがありました。道内の障害者が400人以上入所していました。そして現在はノーマライゼーション思想を背景にして、このコロニーでの生活ではなく市民としての暮らしができるように、100軒を越すグループホームに入居をし、企業や通所施設で働いているそうです。そこに至るまでスタッフや親たちの長い苦労があったことだろうと思います。2002年親の一人から「伊達市のノーマライゼーションは本物ですか?私たちの子供が養護学校を卒業しても通う場もなければ住まい(グループホームもない」と訴えられたそうです。
 私が旧岩木町の社会福祉計画を立てる時(1998年ごろ)に町の関係者と共に、「太陽の園」訪問したことを今新たに思い起こしています。あの頃は小林所長と大垣寮長さんの両輪が強い情熱を持って、「入所施設から地域へ」という運動を展開していた時期です。

 グループホーム「野ぶどう」は2006年に「伊達肢体不自由者父母の会」の熱い運動をきっかけに、北海道庁、伊達市行政が支援し、北海道では初めての重度重複障害者が利用できるグループホームとして誕生しました。10人の入居者に対してマンツーマンの手厚い支援を利用して暮らしていました。
 私たちが訪問したとき、訪問看護など看護師さんの派遣や、PTさんの派遣もされていました。一番驚いたのは、行政の圧倒的な支援体制でした。総工費7000万円もかけて立てられたというグループホームは、私たちにとっては雲の上の世界でもあったように感じています。

 DVDの中には利用者への尊厳がきちんと守られ感じさせられる、一人の若い支援者のケアがありました。そして保護者の方々と支援者の信頼関係がそこに展開していることにうらやましさも感じています。
 余暇支援としてのスキー場でのソリ遊びの様子なども、今後の私たち生活介護「であいの家あうん」での課題でもありそうです。
 
 

DVD「わたしとあなた」その1 西宮市・青葉寮

2010-09-25 05:46:49 | 私と福祉とであいの旅
 四国の友人「吉田の山本っちさん」からいただいたDVD「私の暮らし・わたしとあなた」を職員会議で見ました。わたしは見るのは二度目ですが、二度目を見てまた新たな思いを感じています。

 4つのケアホームのそれぞれの暮らしを紹介しています。

 その一つ目は兵庫県西宮市「わたしとあなた=立ち上がるstory」です。
 ケアホームの定義は何でしょうか?国が支援費の対象にしているのは、「共同生活介護」という名称の2人以上のケアホームです。しかしこの重症心身障害の女性をケアする環境は、マンションの1室に一人だけの暮らしがありました。重症心身障害の方にヘルパーさんである支援者が寄り添い、言葉では表現できない彼女の表現する表情や声などの感情などを受け止めて、少しずつですが理解を深めていく作業をしています。
 私が自分の娘の現在のケアホームにはここが抜けているなと思ったのはまず、ケアホームの日々の暮らしはあっても地域との接点のないところではないかと思います。毎朝、通所事業所の車に乗って出かけて、夕方再び送迎の車で帰れば、そのままま部屋の中だけの生活があるだけです。ところが青葉のケアホームの女性は一人の市民としての権利が保障される生活をしていました。買い物もコンサートへの予約も本人主体で、決して彼女抜きには行っていませんでした。街中を車椅子を押してもらいながらも歩き、様々な出来事や、電車の音、視界などを彼女は楽しむことが保障される日常生活がそこには展開されていました。
ドアツードアの送迎方法では、この生活に欠かせない日常の匂いが不足しています。
 最も重厚だったのは、個別支援計画や彼女とその両親を交えた「個人支援会議」で、本人を中心に両親に対して日常の生活と支援内容などを説明し、両親からも細部にわたる主人公への思いを確認し学ぼうとする作業を支援者がしています。
 両親が語ったのは、この5年間での娘さんの変化についてです。自宅にいたころと大きく彼女が変わってきたことの実感は、彼女の気持ちの尊重がそこにはたくさんあったからではないでしょうか。
 「権利擁護支援」「医療支援体制」「相談支援センター」などの組織化は一人の重たい命を預かるというのはこういうことだと提示されていると強い感動を覚えていました。

 少しでも向上してほしいという思いで、スタッフ全員に鑑賞してもらったのですが・・・。