夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

過去との遭遇

2010-05-10 07:31:31 | つれづれなるままに
 昨日の日曜日は、私の弘前での原点の一つである障害を持った親としてのつながりの方々との再会であった。Nさんはたんぽぽの会という小規模作業所を運営していたが、その作業所はNさんのお嬢さんがてんかんの発作と知的障がいを伴っていたことも大きな要因だろう。彼女は元学校教員であり、その職を辞して子どもの幸せの場を作ろうと奔走していたのだ。私との接点はまず弘前O学園であり、私の娘たちが学校入学前と卒業後にお世話になったときに、Nさんのお嬢さんと同じ場所に居たことによる。しかし、それから数ヵ月後にお嬢さんは帰らぬ人になった。同じ時期、この学園でであったKさんがいる。彼女のお嬢さんも難治性てんかんがあり知的にも身体的にも重い障がいを持った車椅子のお嬢さんである。家内とともに遠い県立養護学校とSえんのリハビリを受けていた時期がある。お二人共にお嬢さんを突然なくされて、その後私たち一家を支えてくれるのだ。
 1994年4月。「生活リズムセンターノーム」を起こし、その最初のころのスタッフにこのNさんがいたし、今は交流も途絶えている人々が居たのだった。

 昨日はそのNさんと深いかかわりを持つKさんや町会の婦人二人を伴って、ケアホーム「SEEDS」にご案内した。
 私の想いである「地域で普通に暮らす」が、このケアホームでほぼイメージとして基盤整備されたことをこのお二人に報告できたのだ。
 今から32年前には重い病気や障害を持った人の通所施設は弘前のみならず県内には皆無で、施設入所か在宅での家族看護しかなかった時代である。
 私の役割を今は亡きお嬢さんたちの元へ報告したような、そんな深い悲しみの淵への鎮魂の報告でもあった。

1Q84 №3 第2章まで

2010-05-10 06:49:23 | 私の本棚
 村上春樹著「1Q84」第2章までを読んだ。
 
 OUMUと思わせるような宗教教団のリーダーが謎の死を遂げた。整体師の青豆が、そのリーダーの死後、行方不明になった。教団幹部はリーダーが望んだこととはいえ、リーダーの死を不審に思い青豆の行方を必死に探している。その捜索を請け負った者の中に牛河という探偵がいる。教団の幹部たちの捜索よりも彼の調査内容の方がはるかに謎の核心に迫りつつある。
 青豆の隠れ家はまだ危険なエリアにある。セーフハウスのオーナーとその使用人タマルが彼女を守ろうとするが、彼女の関心事は自分の死の危険性よりも、二つの月を見た夜に天吾の出現した公園の滑り台にある。また彼が現れるのを毎日期待し続けている。
 謎のキーワードとしていくつか牛河が把握し始めている。それは青豆と警察官殺しの関係性。深田絵里子の書いた「空気さなぎ」とリトル・ピープル。セーフハウスのオーナーと青豆の関係性。プルーストの「失われた時を求めて」。スターリン禅。ヤナーチェッククの「シンフォニエッタ」
 青豆にとって今は孤立無援の隠れ家が、かつての村上作品で言う「井戸の底」と同じ役割をしている気がする。