夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

山歩き風の山菜取り

2010-05-30 07:15:06 | つれづれなるままに
 29日(土)曇り空ではあるが、昨日までとは明らかに気温が違う。朝から体がうずうずしている自分に気づく。毎年この時期になると、一度は行かなければ気のすまない場所がある。それは白神山地の手前にあるO林道の一画だ。その空間は道路に車を停めて、5メートルほど下ると一面の山菜広場である。筍(根曲がり竹)、ワラビ、アイコ、シドケ(モミジガサ)、ミズ(ウワバミソウ)、ソデ(シオデ)、葉わさび、アザミ、ゼンマイ、タラの芽、アケビ、ニリンソウなどなど・・・。そして何よりここの空間の林には様々な動物が自由に振舞っている空間でもある。
 カミサンと一緒に美味しいコーヒーをポットに詰めて、この林を目指した。今は津軽ダムの工事が進んでいるために、新しい道路やトンネルがどんどん建設されて、何年後かには、沈んでしまう風景がそこにある。この西目屋村はダムと共に既に一度沈んでしまってまたもやダム再開発のために、沈む運命にある。既に引き払って住民はほかの場所に移転してしまっている。
 ダムが未来永劫のものではないことを、この目の前で緑色の深い色を称えた美山湖ダムが証明しているのだ。いったん建設されても、川が土砂を運びいつかはまた、泥で埋め尽くされてしまうのだ。
 午前中の約2時間、熊のこわいカミサンは車の付近の道路端を歩き、私は林の中でひとり歌いながら、自然の恵みである山菜を採取した。山菜は採りすぎず、今夜の一食を彩る程度にとどめておく。これが私流の山菜の楽しみ方である。鳥たちは樹間を飛び交い、さえずりあっている。林の中を流れる小川のせせらぎも、透明に澄んで川下へと歌うように流れている。
 私の魂の自由は、この林の中だけかもしれない。そう思いながらも、筍やアイコ、シドケが足元に続き、あっという間に私の手はふさがってしまった。
 同じ場所に軽自動車が停まって、おじいさんが顔を出し挨拶を交換する。しばらくすると連れ合いなのか、おばあさんが山菜を袋に詰めて歩いてきた。我が家と違ってこの夫婦は、おばあさんが一人で林の中を歩いているらしい。
 この時期でなければいただくことのできない新鮮な「山の幸」を、私は山の神々に感謝しながら帰宅した。 
 写真は山菜のオンパレードで、筍ご飯、筍の味噌汁、シドケ、アイコ、ボンナのおひたし。少し苦味があるが、充実感あふれる夕飯でした。

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