夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

1Q84 №3 第6章まで

2010-05-17 06:14:18 | 私の本棚
 教団のリーダーを殺した青豆は、身を潜めた生活をしていた。セーフハウスの雇い人タマルの支援を受けて、かろうじて無事に命をつないでいる。タマルは彼女にもっと安全な場所に移ってほしいと望んでいるが、青豆は天吾との再会に命をかけようとしていた。天吾を自室の前の公園の滑り台で見たからだ。二つの月を見ている天吾を、もう一度見るためだけに青豆は生きているのだ。
 一方の天吾は寝たきりで意識もない入院中の父親のそばで、終日その意識のない父親に本を読んであげたり答えのない父親に話しかけたりしていた。そういう天吾に病院の看護婦たちが好意的になっていく。
 天吾の部屋には発達障害とも思える「ふかえり」という少女が身を潜めている。彼女は発達障害なのか、生活自立しているとは思えない。

農場開き

2010-05-16 15:27:36 | つれづれなるままに
 温かく晴れ上がった一日。朝方のお日様の周りに丸い虹が出ていました。
 きょうは日曜日ですが、法人の農場開きでした。保護者、ボランティア、利用者、スタッフ総勢100名が集合して、昨日まで準備した畝に野菜を植える作業をしました。畑が二つに別れてあり、胡桃の畑にはジャガイモ班、ラフランスの畑にはサツマイモの苗100本、きゅうり、トマト、ナス、ズッキーニ、万願寺とうがらしなどが植えられました。
 秋の収穫時期がとても楽しみです。
 午前中の作業も終えると、法人農場開きの恒例となっている美味しい昼食会です。
たこ焼き・焼きそば、焼きおにぎりのほかみんなで棒パン焼きを楽しみました。
 屋外行事はお天気次第ですから、きょうは大成功ということになるのでしょうね。
農場開きの準備作業での身体の痛みも、これで報われたような気分でした。

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農事作業

2010-05-16 06:36:24 | 原ヶ平農場
 午前中はアスパラガスの師匠Mさん(70歳)にお出ましいただくために、待ち合わせ場所にお迎えに上がった。師匠は手土産だとアスパラガスを持参してくれたが、その包みを開けるとなんと立派な作品である。この場合野菜とはいえないような、みごとに丸々とそして気品あるそんな風情のアスパラだった。果たしてこれから師匠の言うとおりのアスパラを育てることができるのだろうか不安にさえなった。
 師匠にこれから栽培する予定場所を確認していただいて、指示を仰いだ。今年は例年とは異なり寒さが続いているために、6月に入ってから師匠がまた来て手伝ってくれることになった。
 スタッフ2名と家内の4人で、日曜日の農場開きの準備作業を終日行った。昨年は一人で17もの畝を準備したことを考えると、今年はかなり余裕があるような気がする。しかし肌寒さと雨によって、かなり準備が遅れてしまった。
 いよいよ本番を迎えることになるのだが参加者が100名近くと聞き、野菜よりも人の方が多くなってしまった。
 畑は二箇所に別れてあるために、ジャガイモ(キタアカリと男爵)班とサツマイモ(ベニアズマ)班に分かれて行うことにした。わかりやすくなるように、プラカードを作成して、畑の畝に立てた。
 わが法人の農場開きは1時間ほどの作業と昼食会、そしてミニコンサートなどを必ずやっている。今回は理学療法士の赤池PTのご紹介による牧野Mさんのコンサートだ。楽しみである。
 昼食は豚汁と焼きそば、棒パン焼き、そしてたこ焼きである。何はともあれお天気が気になるのだが、ようやくここに来て好天が続きそうな気配。さあ、きょうも楽しく!!
 

近況「蓄電」

2010-05-14 06:37:07 | 私と福祉とであいの旅
 
 最近の自分はかつての自分とかなり状況が変わっています。外観的な変化としては、家内が3月でパン屋を引退してしまいました。そして一番大きな変化は、娘二人と生活を別にしたことでしょう。ほかには20年続けた、ボランティア会の代表を辞めたことですか。公的な部分では主任児童委員を辞し、自分が主体となって立ち上げてきた守る会の役員も辞任しました。社会福祉協議会の評議員も辞めました。
 内観的な変化はとっても言い辛いこともあるのでそれは隠すとして、いくつかある。意識は変わらないけれど態度が変わったもの、それは私の矜持として断固守らなければならないものです。私はやっぱり、組織的な人間じゃないなと思います。拘束されることを極度に嫌いますから・・・。それに年齢的に、もう粘りと言うものがなくなってきた感じがします。脂汗をかきながら、自分を主張するのが嫌になりました。かといって先の見えないことをずるずる続けて行きたくないのも正直な気持ちです。
 だから余り他人にああしなければならないとは言いたくない。よほどのことがなければ・・・ですが。
 そして今一番辞めたいのは、法人の代表を辞めたいことです。これはでも、自分が辞めさせられないからには、無責任だといわれますから我慢しています。何しろ自分が関わってこさえてきた借財がたくさん残っていますから・・・。ざっと頭の中で考えても、あと10年続けないとこの借金が返し終えていない計算です。次の理事長がお前の時代の借金を代わってやるから、早く辞めてしまえと言ってくれないかなと心の内側では期待しています。

 10年前の自分と変わったなと思うこと、それはなんだか人前に出たりしなくなったことでしょうか。下北郡の養護学校PTAからの講演を依頼されて、六ヶ所村スワニーでの話が最後です。人前で話をするということは、その話の内容に責任が生じます。今の自分はそういう意味で、その責任を負える状態にないのかもしれません。なんていったって私は勲章とか、表彰が大嫌い。そういう場所には近づきたくないというのが本音です。
 今の私の基本的な姿勢、それは次世代型の法人役員をそろそろ準備する必要があると思っています。ということは職員教育も含めてのことです。若い新鮮な脳みそを持った人が集まって来たことですから、これからの21世紀に必要な近未来型理念の福祉の展開が求められているのです。それは細かく分ける社会ではなく、個々の生き方や価値観の尊重はもちろんですが、障害や病気の重軽に係わらずただ生かされるのではなく、人間としてどう生きることが相応しい生き方なのかを問う作業が必要だと思っています。
 病者や障害者、高齢者もそういう意味では、一人ひとりのライフステージに起きる生活課題としてみんなで共感理解し、その解決のための糸口をみんなで探して、支えあえる社会作りが必要だと思っています。そういう意味では、個々の団体でまとまる時代は終焉に近いと思います。生活圏の中で暮らすすべての市民としての議論が、今後のわれわれの拠って立つ哲学にすべきだと思います。
 ガソリンスタンドのおじさんや、スーパーのおばさんと、障害や病気や、年をとることの課題を語り合える社会にしましょう。そしてお互いに得意な分野を活かせる社会の再構成が、今一番大切で頼りになる当事者のニーズに沿うことなのです。高尚な理論よりも、共感社会作りです。実践社会作りこそが私たちに問われていることなのです。宮沢賢治の「雨にも負けず」の精神で、それをネットワーキングしなければならないのです。地域の中に感度のよいアンテナを持ち、それを頼りに専門的なコーディネートする機能を持つために、残りの人生を歩こうと思っております。

1Q84 №3 第3章から第4章まで

2010-05-13 06:12:49 | 私の本棚
 第3章 天吾
       みんな獣が洋服を着て

 意識も既になくなっている?と思われる寝たきりの父の入院している病院は「猫の町」だという。その町と天吾の暮らす町とは離れていて、時々見舞いがてら天吾は見舞いに現れる。見舞いに行った彼は、ベッド脇で朗読をして父に聞かせている。そして話しかけたり感想を聞いたりはしているが、それに返答が帰ることはない。
 「空気さなぎ」というベストセラー小説を書いて直ぐに失踪した「ふかえり」という少女は、彼の暮らす部屋に居候なのか身を潜めている。「ふかえり」という少女の内的世界を小説として書き起こしたのは天吾だ。二つの月が浮かんだ世界で展開される物語。リトルピープルと空気さなぎの存在する世界だ。

 現実の世界ではないが、現代社会の中にないとは言えないような架空の世界。異界といったほうがぴんと来るのかもしれない。あの昔に聞いた浅川マキの「不思議な橋」という歌の内容にも似た世界である。「不思議な橋が/この町にある/渡った人は/帰れない・・・」あの世(此岸)とこの世(彼岸)というものではないが、それに近い意識の世界か・・・。村上が書いた人陰と実体のある人との突然の別れ、それは恐らく死であると思うのだが、それほどまた厳密でもなくまた合体することもないでもない世界なのかもしれない。生きてはいるが死んでいる世界に近く、かといって死んでいるわけでもないが生きているともいえない状態。
 目の前のベッドで寝ていたはずの父親が、検査なのか不意に居なくなっているベッドがある。そのベッドに残る父親の寝ていたくぼみ跡がシーツに残っている。その実在と不在の違いは、まるで意識の中で混沌とした世界でもあるかもしれない。

 第4章 牛河
       オッカムの剃刀

 宗教集団のリーダーの謎の死との関わりの深い一人で、整体師の青豆を追う教団とその使いとして居る探偵の牛河。彼は教団の関係者に、総てをさらさないで青豆の行方を追っている。そして核心のDVのシェルター「セーフハウス」と、その女性オーナーの不思議な存在に迫りつつある。
 

花の贈り物

2010-05-13 05:49:22 | つれづれなるままに
 これで三度目?・・・。花屋さんが花を届けに来ることは何にも不思議はないのだが、「この花はどなたからの贈り物ですか?」と聞くと、花屋さんは「匿名の方からです」という。
 私は匿名の方からいただく花はもちろんありがたいけれども、できれば「誰々さんからのお届け物です」と言われたほうが気持ちがいい。その人がこの花を選んで、届けてくれたという思いが伝わってくるからだろう。匿名の方では、そのお方にお礼も言えないし、どんなお方なのだろう?という思いと、私や私の事業とどんな関わりがあったのだろう?どんな思いを持ってお花をプレゼントしてくださるのだろう?などと思うのである。
 鉢植えの花なのだから、きっと私がやっている事業についてご存知の方で、そして悪意ではなく好意を持っていてくださる方なのだろうなあ・・・とは思う。激励なのだろうとは思う。
 頂き物をしながらその方に、「先日は素敵なお花をいただいてありがとうございます」というお礼が言えないって苦しいものなんだな・・・と今更そう思う。
 そこで、あてもないままに・・・

 「どこのどなたかは存じませんが、いつも美しいお花をお届けいただき感謝を申し上げます。私の事業所「あうん」では、生花を飾ってもあっという間に素敵な花が引き抜かれたり、かじられたりして原型がなくなってしまいます。それで、今はいただいたお花は、パン工房「ゆいまある」のお店でお客様や店員の皆さん方に静かに楽しんでもらっております。
 どうか失礼非礼を悪しからずお許しください。」そういうメッセージを読んでいてくださっているといいのになあ・・・。

畝起こし

2010-05-12 07:02:59 | 原ヶ平農場
 11日(火)午前中原ヶ平農場で他のスタッフに畝起こし(写真)を依頼し、私は本体の農場でのアスパラ畑の整備と、花を購入したのでその植え付け準備をした。
 リンゴ農家はようやくか生かしたりんごの花の摘花作業に忙しくなってきている。受粉作業の手助けにこの地域では「マメコバチ」という蜂を飼育して、畑にその巣を置いている。今日は少し肌寒さが残るのか、あまり飛んで来ない。山鳥の威嚇するような羽の振動とケーンという鳴声が自衛隊の土塁に反射する。個々に来て自衛隊の隊員たちの活発な訓練の音も聞こえ始めている。
 16日には農場開きが予定されているのだが、気温がなかなか一定せず不安が残る。遅霜がまだ可能性として残る昨日の天気予報だった。それにしてもアスパラガスの成長は一日で目を見張る早さである。そして茎を折って底をかじると、アスパラの甘さが口の中に広がって来るのだ。土曜日はアスパラの師匠が来て、現場を確認してくれることになっている。どうやら20日過ぎでないと、気温が上がらないので始まりそうにない。人生のベテランから、未知のエリアを教えていただくことに胸を震わせている。

春は進んでいる

2010-05-12 06:45:02 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 5月11日(火)

 久しぶりに、本当に久しぶりに「しらとり農場」に出かけた。PTの赤池さんを誘って、春の山そして自然農の実践ファームへ・・・。
 春に岩木山二合目付近は思いのほか早春とはいえない雰囲気を漂わせて、既にワラビもタラの芽も食べごろになっていた。それになんといっても春の広葉樹の森は、クレパス色にぼやけている。ぼくは秋の紅葉よりも、春のこのクレパスで染めたような山々の色合いが好きだ。
 割りと温かな午後、しらとり農場に入ると早速トーベが走って迎えに来た。入り口脇の前に我々がお借りしていたスペースの畑に、しらとり農場のオーナーとウーファーの方々が働いていた。奥さんは居ないのか、ウーファーの女性が二世TIUTA君の世話をしているようだった。TIUTA君はたくましく、畑の中を這い回っている。トーベが遠くに行かないように時々彼の顔をなめに行く。
 (写真はしらとり農場で飼育するジャージー牛のミルクでこさえたチーズです)

 この農場は縄文の香りがぷんぷんとしていて、いつもこの空間が心地よいのです。そしてオーナーの目指す農業は、すでに縄文の世界に入りつつある「自然農」です。耕さず、薬を用いず、除草もしない。まさにそこに許されてあるあらゆる台地とその条件を受け入れて分け与えられるように暮らす日々。私もまたこの地へいつか帰りたいと願う一人です。オーナーと立ち話で、これからのコラボレーションの夢を語り合いました。

過去との遭遇

2010-05-10 07:31:31 | つれづれなるままに
 昨日の日曜日は、私の弘前での原点の一つである障害を持った親としてのつながりの方々との再会であった。Nさんはたんぽぽの会という小規模作業所を運営していたが、その作業所はNさんのお嬢さんがてんかんの発作と知的障がいを伴っていたことも大きな要因だろう。彼女は元学校教員であり、その職を辞して子どもの幸せの場を作ろうと奔走していたのだ。私との接点はまず弘前O学園であり、私の娘たちが学校入学前と卒業後にお世話になったときに、Nさんのお嬢さんと同じ場所に居たことによる。しかし、それから数ヵ月後にお嬢さんは帰らぬ人になった。同じ時期、この学園でであったKさんがいる。彼女のお嬢さんも難治性てんかんがあり知的にも身体的にも重い障がいを持った車椅子のお嬢さんである。家内とともに遠い県立養護学校とSえんのリハビリを受けていた時期がある。お二人共にお嬢さんを突然なくされて、その後私たち一家を支えてくれるのだ。
 1994年4月。「生活リズムセンターノーム」を起こし、その最初のころのスタッフにこのNさんがいたし、今は交流も途絶えている人々が居たのだった。

 昨日はそのNさんと深いかかわりを持つKさんや町会の婦人二人を伴って、ケアホーム「SEEDS」にご案内した。
 私の想いである「地域で普通に暮らす」が、このケアホームでほぼイメージとして基盤整備されたことをこのお二人に報告できたのだ。
 今から32年前には重い病気や障害を持った人の通所施設は弘前のみならず県内には皆無で、施設入所か在宅での家族看護しかなかった時代である。
 私の役割を今は亡きお嬢さんたちの元へ報告したような、そんな深い悲しみの淵への鎮魂の報告でもあった。

1Q84 №3 第2章まで

2010-05-10 06:49:23 | 私の本棚
 村上春樹著「1Q84」第2章までを読んだ。
 
 OUMUと思わせるような宗教教団のリーダーが謎の死を遂げた。整体師の青豆が、そのリーダーの死後、行方不明になった。教団幹部はリーダーが望んだこととはいえ、リーダーの死を不審に思い青豆の行方を必死に探している。その捜索を請け負った者の中に牛河という探偵がいる。教団の幹部たちの捜索よりも彼の調査内容の方がはるかに謎の核心に迫りつつある。
 青豆の隠れ家はまだ危険なエリアにある。セーフハウスのオーナーとその使用人タマルが彼女を守ろうとするが、彼女の関心事は自分の死の危険性よりも、二つの月を見た夜に天吾の出現した公園の滑り台にある。また彼が現れるのを毎日期待し続けている。
 謎のキーワードとしていくつか牛河が把握し始めている。それは青豆と警察官殺しの関係性。深田絵里子の書いた「空気さなぎ」とリトル・ピープル。セーフハウスのオーナーと青豆の関係性。プルーストの「失われた時を求めて」。スターリン禅。ヤナーチェッククの「シンフォニエッタ」
 青豆にとって今は孤立無援の隠れ家が、かつての村上作品で言う「井戸の底」と同じ役割をしている気がする。