その一 意志表示
Oさんが保護者説明会の感想を日中一時支援を利用する息子さんの連絡帳に書いてきたと、スタッフが私にそれを見るように示した。
「説明会での送迎費の値上げ説明は、正直ショックでした。何とかならないのでしょうか?」というのだ。
実は、これまで法人が送迎に要する費用のうち3分の2(2万円×20人分×12ヶ月)を年間負担してきた、保護者はその残りの費用として、1万円を上限として負担すればよいのだ。今回4月からの新事業移行に伴い、年間の報酬単価の引き下げ(-20%~-30%)のための減収で1千万円が手当てできない。送迎加算が学童の利用する送迎にはつかなかった。これは市町村事業で、国のほうは送迎加算が付けられたのだ。送迎を行なうと人件費、車輌のリース、保険代、燃料費などで、年間700万円を超える負担が必要なのだ。そしてわが法人はこれまで、6年間補助をして来た。ドアツードアの送迎は人気が高く、そして片道換算250円を切るのだ。これでやっていけるわけがない。それでも一人でも施設入所をしなくても良い方法として続けてきた。しかし今回は参ってしまった。昨年の暮れには職員のボーナスカットをせざるを得なかった。こうして、学校送迎については家族の負担だろうということで、今回の措置となった。
説明会では誰も異論を出さなかった。今考えれば出せなかったのかもしれない。家族の中には障害のお子さんを抱えていながらの一人家庭のお母さん方がいるのだった。そして、そのお母さん方は、いつもその子ども達の生活を守るのに綱渡りをしている。自分の健康を切り売りしているとも言える。様々な困難がいつもそばに感じられるだろう。そんなときにまた、わが法人の送迎費値上げはショックだったのかもしれない。
私はスタッフとこのことを話し合って、結果的に学校への迎え部分の1回は無料とした。したがって、送迎費用のの1万円については、軽減できるだろう。個別に見れば、そういう事情が隠されていることをこれからも頭に置かなければならない。そう、感じた出来事だった。
その二 介護の限界
Mさんを迎えに来たお父さんと立ち話をする。Mさんは今回家庭で「てんかん発作」を起こして、救急車で大学病院に入院した。今までとは症状が異なり、いつまでも意識が戻らなくてみんなをはらはらさせた。その発作のないときは、Mさんは行方不明になることが多くて、その度に両親やスタッフが探しに出た。彼女なりの理由はあるものの、それはまたマンツーマンでの対応のために、なかなかしんどいことでもあった。そしてなかなか彼女は自分の思いが強くて、妥協しない性格だったから、ご両親も納得させるまでの過程では手を焼くのだろう。
今回は入院期間が長くて付き添いをするお母さんも、そして少し前に入院生活を送らざるを得なかったお父さんも、ダメージが多く残っていたかもしれない。
「少し今回はまいった。一度将来のことを相談したいので、時間をください」と言われた。「私も公約として娘が30歳になるまでに生活の場を築くことにしていましたから、一緒に進めましょう」と回答して別れた。
親にとっては障害程度が重たかろうと、軽く見られようとも、それぞれがそれぞれなりにしんどさを持っている。それは、親はどんどん年を重ねていき、体力や健康状態が低下するのだ。それはまた大いなる不安でもある。私が倒れたら誰が娘達を見てくれるのだろうか、という不安だ。娘が娘らしくいつまでも元気で暮らしてほしいと願いつつも、中々既存の施設はそれを満たせる状況にはない。
わたしは、障害程度が重たい人が地域で暮らすことができることを示すことによって、誰でも地域で暮らせるのだということを示したいと強く思っている。
Oさんが保護者説明会の感想を日中一時支援を利用する息子さんの連絡帳に書いてきたと、スタッフが私にそれを見るように示した。
「説明会での送迎費の値上げ説明は、正直ショックでした。何とかならないのでしょうか?」というのだ。
実は、これまで法人が送迎に要する費用のうち3分の2(2万円×20人分×12ヶ月)を年間負担してきた、保護者はその残りの費用として、1万円を上限として負担すればよいのだ。今回4月からの新事業移行に伴い、年間の報酬単価の引き下げ(-20%~-30%)のための減収で1千万円が手当てできない。送迎加算が学童の利用する送迎にはつかなかった。これは市町村事業で、国のほうは送迎加算が付けられたのだ。送迎を行なうと人件費、車輌のリース、保険代、燃料費などで、年間700万円を超える負担が必要なのだ。そしてわが法人はこれまで、6年間補助をして来た。ドアツードアの送迎は人気が高く、そして片道換算250円を切るのだ。これでやっていけるわけがない。それでも一人でも施設入所をしなくても良い方法として続けてきた。しかし今回は参ってしまった。昨年の暮れには職員のボーナスカットをせざるを得なかった。こうして、学校送迎については家族の負担だろうということで、今回の措置となった。
説明会では誰も異論を出さなかった。今考えれば出せなかったのかもしれない。家族の中には障害のお子さんを抱えていながらの一人家庭のお母さん方がいるのだった。そして、そのお母さん方は、いつもその子ども達の生活を守るのに綱渡りをしている。自分の健康を切り売りしているとも言える。様々な困難がいつもそばに感じられるだろう。そんなときにまた、わが法人の送迎費値上げはショックだったのかもしれない。
私はスタッフとこのことを話し合って、結果的に学校への迎え部分の1回は無料とした。したがって、送迎費用のの1万円については、軽減できるだろう。個別に見れば、そういう事情が隠されていることをこれからも頭に置かなければならない。そう、感じた出来事だった。
その二 介護の限界
Mさんを迎えに来たお父さんと立ち話をする。Mさんは今回家庭で「てんかん発作」を起こして、救急車で大学病院に入院した。今までとは症状が異なり、いつまでも意識が戻らなくてみんなをはらはらさせた。その発作のないときは、Mさんは行方不明になることが多くて、その度に両親やスタッフが探しに出た。彼女なりの理由はあるものの、それはまたマンツーマンでの対応のために、なかなかしんどいことでもあった。そしてなかなか彼女は自分の思いが強くて、妥協しない性格だったから、ご両親も納得させるまでの過程では手を焼くのだろう。
今回は入院期間が長くて付き添いをするお母さんも、そして少し前に入院生活を送らざるを得なかったお父さんも、ダメージが多く残っていたかもしれない。
「少し今回はまいった。一度将来のことを相談したいので、時間をください」と言われた。「私も公約として娘が30歳になるまでに生活の場を築くことにしていましたから、一緒に進めましょう」と回答して別れた。
親にとっては障害程度が重たかろうと、軽く見られようとも、それぞれがそれぞれなりにしんどさを持っている。それは、親はどんどん年を重ねていき、体力や健康状態が低下するのだ。それはまた大いなる不安でもある。私が倒れたら誰が娘達を見てくれるのだろうか、という不安だ。娘が娘らしくいつまでも元気で暮らしてほしいと願いつつも、中々既存の施設はそれを満たせる状況にはない。
わたしは、障害程度が重たい人が地域で暮らすことができることを示すことによって、誰でも地域で暮らせるのだということを示したいと強く思っている。