夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

№30 ノームのボランティア その4 冬

2007-03-02 07:10:57 | 私と福祉とであいの旅
 岩木山の嶽温泉は冬になると西の日本海側から吹き上げる強い風雪で、たちまち雪が吹きだまる。ノームの冬は通常の玄関を、この風雪から逃れるための風除室を更に作って、まるでトンネルのようだった。駐車場は結構広いので、除雪は地元の山菜加工のお店の社長さんがバックアップしてくれ解決したが、何しろこの元へき地保育所は、建物の床下が高く、部屋のストーブをつけても午前中いっぱいかかっても温まらない。止む無く交流のある新保育所にお願いして毎日午前中時間を過ごしていた。
 T保育所は児童数も少なく12~13人程度なので私達の参加があっても十分な人数であった。保母さんは2人で、町の保育所と異なって、この嶽温泉町会の運営のために町会長が代々の所長さんとなっていた。
 子ども達は障害のある人たちを初めはものめずらしそうに遠巻きにしたが、次第に打ち解けて行き、一緒にご飯を食べられる距離になった。高齢ボランティアの参加により、冬になると餅つきとお汁粉、津軽の手軽なおやつなどの文化を存分に楽しませてくれた。
 炊き込み御飯では豆ご飯の達人綾子さん、その他の皆さんは餅を丸めるのはお茶の子さいさい。この餅つきなどが開催される時には、ボランティアは全員大集合。杵当番は啓作さんで、臼の中の餅を反す相取り役はキサさんと決まっていた。こうして笑い話を交換しながらあっという間に出来上がっていくのだった。
 冬場は殆ど屋外の仕事は私や啓作さん、そして自衛隊上がりの八島さんなどの協力で除雪を行なっていた。残るメンバーとボランティアさんは屋内で手仕事の和紙の人形作りや障害の子ども達が遊んでも優しい真綿ボール。和紙で作るペン立てなどに集中していた。ノームのスタッフとして我々夫婦とあき先生。そして最初の1年間は私の専門学校時代の教え子慎子さんが手伝ってくれていた。午後になるとようやく室内がぽかぽかしてきて、ノームのメンバーが活気付いて、ボーリング大会や風船バレーなどのレクリエーションなどが行なわれ、学校帰りの小学生も良く遊びに立ち寄りそのゲームに加わった。
 冬場は冬場で行動範囲が狭まる分、ノームの人々は親密さを増し、まるで擬似家族のようだった。いろんな悩み事や楽しかったこと、これからのノームがどうなればよいのかなど、この寒い冬だからこそ打ち解けた話ができたのだった。ボランティアの綾子さんは、「初めは1日だけ加わればよいと社会福祉協議会の美代子さんに言われて、気軽に参加したつもりなのが、次第にこのノームに新たな役割を見出し欠かせない毎週の仕事に変わっって行った」と語った。
 ボランティアさん達はこうして次第に、ノームには欠かせない戦力になって行くのだった。