夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

祝辞 その1 部下の結婚披露宴

2007-03-30 23:00:50 | 創作(etude)
 Eさん、ご結婚おめでとうございます。そしてご両家のご両親様をはじめご親族の皆様方に心よりお祝いを申し上げます。
 さて、このようなおめでたいお席で、私如きがEさんの日頃の仕事振りについて褒め称えたところで、お聞きになられる皆様は、お決まりの世辞がまた始まったと思われることでしょう。たまには、こういう場での祝辞に、本音を語る祝辞があってもよいのではないかと、きょうはそう思っています。
 Eさんは私の職場の正職員で「生活支援員」として、4年前に採用されました。
 Eさんの第一印象としては、見るからに品が良さそうで、こういう知的制約者の職場には不向きではないかと思いました。きっと「きつい、きたない、給料が安い」を代表とする3Kの職場に彼女は勤まらないのではないかという不安を少なからず持ったからです。
 皆さんはご存知かどうか分かりませんが、知的制約者の通う私どもの職場は、20人の定員施設と15名のパンの製造工場とお店、そして関連事業として、障害児の放課後をお預かりうする事業で20名のお子様をお預かりしていますが、その半数は最重度、あるいは重度の方々で、身辺自立はもとより、全部誰かのお世話にならないと過ごせないばかりか、言葉も話すことができない方々が大半です。よだれやおしっこもたらします。ご飯もこぼします。中には自分の体を傷つけるような行動をとる方や、物事にこだわってパニックを起こす方もあります。ウンチやおしっこをしても、自分から訴えることができず、皆職員の手に委ねなければ生きていけない方が多いのです。
 そういう職場に、掃き溜めに鶴のようなEさんが、職員として我慢して働けるとは思えませんでした。そういう意味では今までの6年間で何人もの職員が去って行きました。それくらい根気と体力と健康、福祉への理解、そして何よりも障害者福祉への情熱がなければ勤まらないからです。
 Eさんは社会福祉事業大学という福祉の名門大学を卒業され、国家資格である社会福祉士でもありますし、私どもの初代理事長の後輩でもあります。
 私は彼女が職場の中でどの程度の力を発揮するのかを、この目で見極めようと思っていましたし、またどのように育てたら良いのか戸惑っていました。
 彼女は内向的で、指示されたことはきちんとできるようでしたが、自分から何かを企画したり、提案したり、進んで行なうといったタイプではありませんでした。
 彼女の仕事は児童の短期入所事業で、いわゆる「学童保育」という放課後に障害児童を学校から迎えて楽しく過ごさせるための仕事で、夕方には家庭まで送るという仕事でした。そういう彼女でしたが、子どもは大好きなようで、子ども達からも大変に好かれて「EさんEさん」と慕われていたようです。Eさんは華奢な体を子ども達の前で存分に使って、大変だろうなという場面も辛抱して堪えてくれているのが次第に分かりました。
 私としては、彼女に社会福祉士の資格を活かして5年後には、相談員としての専門機能が発揮できるように希望していましたので、社会福祉士会や発達相談研究会、そして自閉症研究会への入会を勧めました。しかし、彼女はまじめにそれらに参加しても、中々職場で活かされているのが目には見えませんでした。結果、いまだに相談事業は私どもの施設には根付いていません。
 私は職員と毎年暮れに個別面接を行なって、希望の確認や本人の課題を話し合う機会を持っています。
 その場面で彼女は涙を流しながら、「私は施設長が期待するような人間でなく、荷が重過ぎるので、社会福祉士の看板を下ろしたい。ついては臨時職員として働いた方がどれくらい楽か分からないので、正職員から降格してくれませんか」と訴えられました。
 私はその時「社会福祉士としてのあなたを必要としたのであって、臨時職員としてのあなたを採用したわけではない。あなたを採用するために、何人もの希望者が不合格になったこともよく考えなさい。専門性を投げるような職員ならばこの職場には不要である。せっかく苦労して手にした専門の資格を、どのような形で困っている方々のために使えばよいのかをよく考えるように」と言い渡したことがありました。
 それから2年が経ちました。彼女は少しずつですが以前のような内向性が影をひそめ、一皮むけて積極的に動くいきいきとした姿がそこにありました。
そんな矢先に突然前触れもなく、彼女から今回の結婚退職の話が切り出されたのでした。
 「あの、施設長、私このたび結婚することになりました。」「うん?結婚??おめでとう。初耳だなあ。で、どこの人?」「横浜です」「横浜って、あの下北の横浜町?」「いいえ、神奈川県の方です」「あらー、そっちの横浜…」こうして、彼女の退職が決まりました。せっかく成長して着た彼女。さあこれからという時に、正直大変残念でなりません。こういう場面を、世の父親達はずっと繰り返し耐えて来たのだろうかとそう思いました。「とんびに油揚げをさらわれるとはこのことかもしれません。
 4年間の彼女の仕事が多くの制約者の家族の心にも大切な存在だったという思いが募り、感謝の気持ちと彼女の退職を惜しまれる声がたくさん彼女にも届いていたようです。
 彼女が送別会の場で「4年間のあうんの生活は大学を卒業したような気持ちです」と言われました。そしてこれからご結婚されるあなたは、ご主人とともに人生の夫婦生活を初めとする「家族福祉」をテーマにした、長い年月をかけての「人生大学院へ」ご入学となるのだと思います。どうかこれからも末永く温かなご家庭をご主人と手を携えて築かれ、お幸せになられますことを、心よりお祈り申し上げ、粗辞ではございますが、お祝いの言葉とさせていただきます。
 本日はご結婚誠におめでとうございました。

 一句 「嫁ぎ行く天塩にかけし娘こそ新たな土地に根付け花咲け」
 

出会いと別れの時期

2007-03-30 07:09:59 | つれづれなるままに
 年度末の3月が間もなく終わりですね。わが法人もこの3月で、新規事業への移行があり、結果的に何人かの職員の採用と、職員の退職があります。
 採用予定者は6人、退職者は4人でした。
 職員は恒例の色紙にお別れの言葉を本人に知られないようにという配慮で、結果的に私のいる部屋に来て、こそこそと書いています。きょうが利用者とともに、その送別会をする日なのです。明日は夜職員の「歓送迎会」が開催されることになっています。そんなこんなで、なんだか気ぜわしいですね。
 4月1日は日曜日のスタートですから、正確には2日(月)が新年度のスタートになります。あうんの利用児童も入学式は4月6日ですから、その間は春休みで、日常とは違って朝から夕方までとってもにぎやかです。
 昨日は北海道から実家の弘前市に戻って来たという方が、あうんの入所手続きに来ました。あうんはこういう遠方の方が結構埼玉県やら宮城県、島根県、そして今回の北海道などいろんなところからやって来ます。言葉も色々で、利用される方も地元の言葉に面食らうことでしょう。そして、あうんの利用者もそういう雰囲気を察してか、情動不安を起こして泣いたりなどのパニックを起こす方も多くなります。また「あうん」や「ゆいまある」そして「ノーム」での新たなドラマが始まります。

 ・年度末 来る風もあり 行く風もある

  ・鰊干す弥生の空に別れ雨
 
・遠方に嫁すという君初々し明日を限りの遣らずの雨か

送迎サービス

2007-03-30 06:49:19 | 福祉について
 昨日、福祉サービスの利用者が一番先に欠かせない「送迎サービス」のそれぞれのコースを見直し、チェックのために主任とともに回った。
 送迎サービスの利用者ニーズとしては
 ①身近に利用可能な施設がない(もしくは定員が満杯)ために遠方の利用可能な施設を  利用
 ②保護者が稼動(共稼ぎ)していて、送迎に回れない
 ③保護者が車を運転できない
 ④子どもの通う学校が養護学校などの特殊学校で、遠方のため送迎が困難
などが上げられる。

 利用者数は全体では30名~35名を見ている。
 今回新規事業への移行による事業所の増設があること、そのために利用者増や委託事業者との契約解除もあり、新たに送迎を法人で開設しなければならなくなったこと。また、送迎費用を少しでも圧縮させるためが主な理由だった。
 送迎コースは朝夕ほぼ3コースなのだが、何しろ時間を指定してくる利用者があり、そのために非常に非効率的な送迎が出現してくる。施設の営業時間は8:30~17:30であり、その勤務時間で職員は動くのだから
 朝 7:00~8:30
 夕18:00~19:00
 上記の時間などの利用があれば当然、職員が前後に動かざるを得なくなってくる。
 早番 6:30~15:30
 遅番10:30~19:30
 指定の時間以外の利用者は朝8:30~17:30の間に送迎すればよいのだが、上記の利用者があるために、同じコースを2度回るなどが出てくる。
 昨日は結果的に、朝のコースを回ったのだが、9人の送迎を完了するのに2時間もかかっている。これを毎日朝夕繰り返すわけだ。
 なんでこんなに苦労してまで、送迎サービスを行うかといえば
 ①生活ニーズに密着したサービスがないと、施設入所を余儀なくされたり、家庭から出られない制約者が増えること。(もしくは介護者が時間的身体的に拘束されること)
 ②施設も遠方からでも利用者を確保することが、経営の安定化をもたらすこと。
 ③通所施設の場合送迎の機会が保護者との連絡の機会でもあること。信頼関係が構築できる場である。
                               などが上げられる。
 いずれにしても、それを実際に体験してみて、一人一人の生活を守るということ(支える)は、こんなにも大きな力を要することが腰の鈍い痛みとともに理解できた。