星野道夫・永遠のまなざし
山と渓谷社刊 小阪 洋右・大山 卓悠著
星野道夫さんが亡くなり、それは彼が大好きだったグリズリーに食い殺されての死だった。彼の著作「最後の楽園」の中に彼は「もし熊が存在しないのなら、ぼくはこの土地に来ないだろう。例えそれが点のように離れていても、一頭の熊は、その広大な原野の風景をひきしめる。」と書いている。
彼はロシア・カムチャッカ半島の南端のグラッシー・ケープ(草の茂った岬)という所で、テントに寝ていて朝方4時グリズリーに襲われた。そばには小屋があり、小屋の中にはTBSクルーと、ロシア人が寝ていて無事だった。星野さんはその小屋のそばのテントで寝ていて襲われたのだ。アラスカのグリズリー(ヒグマ)の生態を学び、熟知していたはずの彼が何故、熊に襲われて死んだのか?その疑問をこの著者二人は調査し、解説している。
結論から言えば、ロシアの経済危機が生んだ商売上の野生を破壊した行為。つまり、ヒグマに餌付けして、観光に利用しようとした人物がいて、それに味を占めたヒグマが襲ったことになる。
彼は死んだが、彼の生きかたや人となりを、二人の友人はこの書物で明らかにしていく。
「もしもアラスカ中に熊が一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を登ることができる。何の心配もなく野営できる。でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう。(略)」と彼は書いている。
44歳という若さで急逝した冒険家であり、写真家、そしてエッセイストである彼は、アラスカを愛し、アメリカインディアンを、イヌイット(エスキモー)を愛した。そしてその伝説を求めた旅でもあったのではないか。
ユダヤ人のマルティンブーマーが「「運命と自由とは互いに誓約を交し合っている。運命に出会うのは、ただ自由を実現できる人間だけである」と。
星野とは違って、しがらみから抜け出せないでいる私には、自由を獲得することができないまっまに現在を生きているのだとそう思った。
山と渓谷社刊 小阪 洋右・大山 卓悠著
星野道夫さんが亡くなり、それは彼が大好きだったグリズリーに食い殺されての死だった。彼の著作「最後の楽園」の中に彼は「もし熊が存在しないのなら、ぼくはこの土地に来ないだろう。例えそれが点のように離れていても、一頭の熊は、その広大な原野の風景をひきしめる。」と書いている。
彼はロシア・カムチャッカ半島の南端のグラッシー・ケープ(草の茂った岬)という所で、テントに寝ていて朝方4時グリズリーに襲われた。そばには小屋があり、小屋の中にはTBSクルーと、ロシア人が寝ていて無事だった。星野さんはその小屋のそばのテントで寝ていて襲われたのだ。アラスカのグリズリー(ヒグマ)の生態を学び、熟知していたはずの彼が何故、熊に襲われて死んだのか?その疑問をこの著者二人は調査し、解説している。
結論から言えば、ロシアの経済危機が生んだ商売上の野生を破壊した行為。つまり、ヒグマに餌付けして、観光に利用しようとした人物がいて、それに味を占めたヒグマが襲ったことになる。
彼は死んだが、彼の生きかたや人となりを、二人の友人はこの書物で明らかにしていく。
「もしもアラスカ中に熊が一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を登ることができる。何の心配もなく野営できる。でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう。(略)」と彼は書いている。
44歳という若さで急逝した冒険家であり、写真家、そしてエッセイストである彼は、アラスカを愛し、アメリカインディアンを、イヌイット(エスキモー)を愛した。そしてその伝説を求めた旅でもあったのではないか。
ユダヤ人のマルティンブーマーが「「運命と自由とは互いに誓約を交し合っている。運命に出会うのは、ただ自由を実現できる人間だけである」と。
星野とは違って、しがらみから抜け出せないでいる私には、自由を獲得することができないまっまに現在を生きているのだとそう思った。