夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

大いなる意志(内なる声)が聞こえる

2007-03-20 22:50:29 | つれづれなるままに
 「人間らしさの構造」上智大学教授 渡辺 昇一教授

 「まず自分の『内なる声』に耳を傾けることである。自分の心の一番奥から、かすかに、聞こえるか聞こえないかの低い声でささやきかけるものは、どんぐりの発芽力とおなじもので、善きものだとして受け取らなければならない。
 ところが、人間の内なる声は、動物の本能のように強くない。かなり微弱なものであると言ってもよさそうである。本当に自分は何を欲しているのか、何を嫌っているのかについて、静かに内なる声に耳を傾けることは、けっしてやさしいことではない。文化のパターン、社会の慣習、個人的習慣などによって、この弱くてデリケートな内なる声は簡単に押さえ込まれてしまうからである。
 この内なる声は、意識的に作り出すものではなく、むしろ虚心になって、心の奥の奥、底の底のほうから聞こえてくるものであって、それに耳を澄ますものである。この意味ではまったく受身的な行為である。こうして虚心に、謙虚に、まったく受身的になるということは、簡単なようなことでそれは稀なことなのだ。」
 (「生きがいのマネジメント」飯田史彦」「現実と心理の本質」から)

 私が小学校2年生までの不登校(当時はそういう言葉は存在しなかったが)の時代に、マタギの家に出入りしその家族とともにあった時、そして奥山の生活が続いた時には、確かに私の内側には動物的な本能に近い直観力?が潜んでいて、危険からいつも守ってくれた気がしている。それが町場に強制連行されてから、弱まったのではないかと思うような飢餓感があったのである。
 自分の内側に耳を澄ませること。それを忠実に日々行なっている人が私の身近に居た。釧路のパーカッション奏者「奈良 裕之さん」だ。かれは毎朝、毎夕、必ず一人で2時間近くも、瞑想の時間を持っている。私だったら眠ってしまうかもしれないが。それはまた、内なる声という自分を感じる時なのではないだろうか。
 各自が神様(ゼロ)とつながっていれば(自分なりの信仰心をもっていれば)よいのだから、その問題で他者と争う必要はない…。(新妻香織)
 この表現を聞いたとき、私は今新たに宗教的な何かの行為を格別しなくても、内なる声に耳を傾けながら生きることをこれまでもして来たように、これからも行なっていけばよいのだと実感していました。

パーカッションアーティスト「奈良 裕之」Yuji/Nara

2007-03-20 07:19:47 | 私と福祉とであいの旅
 生活リズムセンターノームは岩木山嶽温泉で1994~1998年の4年4ヶ月活動をし、そして1998年の7月に町の中心部に引越した。
 1995年頃だったろうか?北海道の釧路市出身でパーカッション奏者の奈良さんと出会った。というよりも、風のように舞い込んで来たような記憶なのだ。長い髪を後ろで束ね、髭をたたえたその風貌はインドの哲学者のようでもあった。
 後で知ったことだが、奈良さんは徹底的な「菜食主義者(ベジタリアン)」で、肉やお茶、コーヒー、酒など一切とることはない。そのために食事もそれを提供してくれる食堂、レストラン、宿舎に制限される。ノーム建物の近くには山菜専門に提供する宿があり、そこを定宿にしていたようだ。
 奈良さんの音楽は即興的で自然界と密接に心を結ぶ音楽のように思う。更にはコンサートに参加する聴衆とともに作り上げていく音楽のような気がする。だから同じコンサートは決してあり得ない。予想外のいわゆるハプニングが常に付きまとっている。
 それは「バリアフリーコンサート」の一環で企画した、町の公民館和室で「気楽なコンサート」の最中だった。いつものように奈良さんがアメリカンハンディパーカッションをたたきながら聴衆の座っている合い間を演奏していると、一匹の蚊が飛んでいるのに奈良さんが気づいた。その太鼓の波動を近づくと、蚊もそれに追われて飛んだ。聴衆も次第にそれに気づいて手をたたきながら、その蚊に注目が集まり盛り上がって行った。その時ハプニングが起こった。ひとりのおばあさんの前にその蚊が通過しようとした時、「パチン!」と、そのおばあさんが蚊を両手で叩きつぶしてしまった。一瞬の静寂が流れ、奈良さんの音楽も5秒間ほど停止した。そして観衆からどっと笑い声が上がった。奈良さんの笑顔が聴衆を安心させて、また演奏が始まったのだった。
 奈良さんは決し怒ったりした姿を見せない。いつも飄々と身体を風に任せて動いているように見える。一年に一度はぷらりと現れては、知的制約のメンバーと音楽を楽しんでいく。こうして、その交流も10年を超えている。今、奈良さんが龍村 仁監督の「ガイアシンフォニー(地球交響曲)第六盤」と言う映画に出演し今年公開される予定になっている。その姿を画面の中でどのように表現されるのだろうか?楽しみなことだ。