TSUNODAの経営・経済つれづれ草

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「どんとこい貧困」を読む

2009-08-16 06:38:19 | 今週の一冊
 社会活動家湯浅誠氏の著書「どんとこい貧困」を読みました。



 この本は中学生くらいの少年少女を対象に、現代日本の貧困がどのような状況で、私たちはその課題をどのように考えるかが書かれています。

 はしがきには、私たちは貧困という現代の問題を見ないふりをしてきたことが指摘されています。著者は、「貧困」というオバケを多くの大人は見ないように目をそらしてきたと記述しています。

 見ざるを得ないときにでも「これはただの怠け者」と認めませんでした。ちゃんと向き合うことを避けてきたと著者は指摘します。
 そして、今見ないように目をそらしつづけたうちに「貧困問題」は非常に大きな課題として顕在化しています。

 貧困問題に私たちは正面から向き合おう。貧困問題は怠け者だからというような個人の問題ではないと著者は主張します。

 貧困問題での自己責任論は、「上から目線」だと著者は記述しています。なぜなら自己責任論は、そもそも仕事がうまくいかなくなったり、生活が立ち行かなくなたりした人たちに対して、うまくいっている人が投げつける言葉だからです。

 著者は、いろいろな貯蓄を「溜め」という独特の表現で表します。金銭の貯蓄、友達の貯蓄、家族関係の貯蓄、学歴の貯蓄など個人が保有する強みを「溜め」を持つと表現しています。

 そもそも「溜め」は生まれた環境により左右されることが大きいものです。自己責任論はその「溜め」がなく、がんばれなくなった人たちを、「努力がたりないのじゃないの」、「死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの」とさらに痛めつけるために使われる考え方だと著者は主張します。

 言われた方は、努力が足りないと言われればそうかもしれないとしか答えようがないかもしれません。死ぬ気でなっていないだろうと言われればそうですと答えようがないかもしれません。
 結局、自己責任論は相手を黙らせてしまいます。

 一昔前までは、日本人1億総中流化などと言われ貧困問題などは解決したように思われていたかもしれません。しかし、現代の状況は明らかに違うのではないでしょうか。

 ローマの英雄カエサルは、「人は見たい現実しか見ない」と言いました。この貧困問題に関しては私たちは「見たくない現実を見る」ことをしなければならないのではないでしょうか。

 この本のタイトルの「どんとこい貧困」の「どんとこい」とは歓迎しますよという意味でなく、私たちは逃げない、ちゃんと貧困と立ち向かえる社会になろうという意味で付けたそうです。

 貧困など自分には関係ないとは言っていられません。貧困問題は、公的扶助の増大による税金の増額や年金制度崩壊など自らにも関わってきます。

 日本の将来のために日本の貧困問題を真剣に考えなくてはならないのではないかと私は思います。