あび卯月☆ぶろぐ

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お金があれば幸せか

2007-01-29 03:43:43 | 雑記
今日、友人が尋ねてきた。

別段用があったわけではなくて雑談など。
始めプレステ3は値段が高いだのあるある大事典の捏造がどうのと他愛の無い話をしていた。
途中、なぜかエビちゃんこと蛯原友里の話になって、
友人が「エビちゃんも金持ちの男と結婚して幸せになるだろう」と言ったので、
「何故、金持ちじゃないと幸せになれない?」と問い返したら
「だって、当り前じゃないか。女はみんなそう考えている」と云う。

ここから口論になった。

「別に金があれば幸せとは限らない」
「でも、金持ちの方がいいじゃないか。結婚するなら金持ちだ」
「何故、金さえあれば幸せになれると断言する?」
「現実はそうだ」
以下省く。

女性が皆、男を金持ちかどうかの価値基準で判断しているとは女性に対する侮辱でると思う。
女性の考えがどうのという問題はとりあえずおくとして、
友人の考えによると「金さえあれば幸せ」ということらしい。
こんな堀江貴文のような考えを持っているとは驚いた。
私は金は手段であって目的だとは思わない。
お金を稼ぐことが悪だとも思わない。
それに、金は無いよりあった方がいいに決まっている。
しかし、「金があればすべて幸せ」という人生観などとてもじゃないが持てやしない。
私は人生を語ることが嫌いである。
そもそも、人生を語りうる歳ではない。
しかし、私が何を以って幸せと感じるか。
それは、金だけに左右される問題ではない。

例えば、
美しい自然を見てそれを美しいと感じる。
美しい音楽を聴いて素晴らしいと感じる。
冬に家族乃至は朋友と鍋を囲みながら熱燗をいっぱいやる。
妹と冗談を言い合いながらゲラゲラ笑う。
本を読んで知的昂奮を得たり楽しんだりする。
古本屋を巡って探していた本が見つかる。
冬の寒さに凍えながら、大好きな夏が来るのを待ちわびる。
夏、朝早く起きてじんべえに着替え庭の植物に水をやる。

・・・等々。
一々、列挙するのは恥ずかしいが、
私はこういう日常の些細な喜びに幸せをみいだしている。
そして、こういう小さな幸こそより大切だと思いながら、その幸せを噛みしめつつ生きている。
生きていると嫌なことばかりだが、嫌なことがあればかならず良い事があると信じているし、
(というか、そう思わないとやっていけない)
この世は浮世で日本の行く末を考えると暗澹たる気持ちになるけれど、私はおおむね、幸せである。
勿論、私は金に困ってもいないが金持ちでもない。
むしろ、学生の身分だから金が無いのが常である。
しかし、住む所に困らず、三食きちんと食うことが出来、それに加え、多少なりとも本やCDを買える余裕もある。
パソコンもあってインターネットに繋がってブログなどやっている。
これ以上なにを望むのだろう。
余分な金がなくとも十分豊かである。
というより、世界に目を向ければ私のような暮らしは豊かどころが恵まれすぎているだろう。
なにせ家に冷蔵庫があって開けると食べ物が入っているのだから。
私はこれ以上、贅沢をすると目が潰れると思っている。

誤解の無いように書いておくが、これはフリーター讃美の文ではない。
お金があれば幸せとは限らないけれど、生活に最低限必要なお金は要る。
したがって、「フリーターの男とは結婚しない」というのなら話はわかる。
そこは現実問題としてあると思う。
私が言いたいのはそんなに余分に金があって幸せか?ということ。
実際、「金があった方が幸せに決まっている!金がすべて!」
という人が居るのは知っているし、相手が金持ちだからという理由で結婚する女性も居るだろう。
それはそれでいい。
価値観は人それぞれだから私はとやかく言わない。
しかし、私はそういう価値観を持った人間とは絶対に相容れないし、まして結婚することがあろう筈が無い。
なぜなら、金は必要な分だけあればよくてそれからあとは如何に精神的に豊かに生きてゆくかが私の幸福の価値基準だからである。

以上のことを云いたくて口論したけれど、友人にはよく伝わらなかったようだ。
「話が噛み合わない」といわれた挙げ句、帰り際に「これ以上やると喧嘩になるから」と云われた。

私の考えの方が今の日本では古いのだろうか。
だとしたら、ますますこの国に未練は無い。
いやいや、「あなたの考えは古いですよ」と云われるのであれば、古さを是として生きている私にとってこれほど幸せなことはない。

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4 コメント

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幸せ (チキソ)
2007-01-29 21:59:23
自分はブログにも書いてありますが、
「私、高級車じゃないとやだな~。」
「パパが何でも買ってくれるんですぅ~。」
「高級料理以外食べたこと無いです。」
…といったようなことを言う「セレブ」は大嫌いです。
決して裕福ではないが和やかに過ごしている家族を見る方がよっぽど良いです。
自分にとっての幸せは、結婚し、子供を授かり、子供が巣立っていって、夫婦でまったりと過ごし、子供の結婚式を祝って、孫を見て、静かに死ぬことです。
別に高級料理を毎日食べる生活がしたいとそこまで思いませんし(ま、美味いもんは沢山食べたいですけどね)、ヴィッツ・フィットのような普通の車で良いです(勿論、フェラーリ・ベンツ・レクサスとかを乗り回してみたいんですけどね)。

余計なお世話かもしれないですが、友人と意見が合わないと確信したら、なぁなぁで済ませることがベストだと思います。友人関係は大事ですから。
返信する
セレブ・・・ (あび卯月)
2007-01-29 22:48:36
>自分はブログにも書いてありますが、
>「私、高級車じゃないとやだな~。」
>「パパが何でも買ってくれるんですぅ~。」
>「高級料理以外食べたこと無いです。」
>…といったようなことを言う「セレブ」は大嫌いです。

私もです。
私は上流階級というものがあってよいと思いますが、所謂「セレブ」と云われる人たちはただの成金で下品なだけです。
あれは上流階級ではなくて貧乏人が金を持っただけだです。

>決して裕福ではないが和やかに過ごしている家族を見る方がよっぽど良いです。
>自分にとっての幸せは、結婚し、子供を授かり、子供が巣立っていって、夫婦でまったりと過ごし、子供の結婚式を祝って、孫を見て、静かに死ぬことです。
>別に高級料理を毎日食べる生活がしたいとそこまで思いませんし(ま、美味いもんは沢山食べたいですけどね)、ヴィッツ・フィットのような普通の車で良いです(勿論、フェラーリ・ベンツ・レクサスとかを乗り回してみたいんですけどね)。

同感です。

>ま、美味いもんは沢山食べたいですけどね

私も美味しい物を食べたい(笑)
しかし、別に高い物じゃなくていいです。
それなりの値段で旨いもの。
それに、本当に旨い物は値段とは無関係です。

>余計なお世話かもしれないですが、友人と意見が合わないと確信したら、なぁなぁで済ませることがベストだと思います。
>友人関係は大事ですから。

御忠告ありがとうございます。
いつもなんでもなぁなぁで済ませるのですが、今回の件は興味深かったので思わず議論を吹っかけてしまいました。
口論といっても喧嘩したわけではないですし、友人とこういう議論をする機会はあまりないので私は楽しんでやりました。
返信する
Unknown (梅沢)
2007-01-31 10:15:53
御友人はおそらく、あびさんの「些細な喜び」に対して「それだつて金がなければできない事ではないか」と言ふのではないでせうか。
「金さへあれば幸せである」を撃破するにはもつと徹底的にやるといいでせう。
それにはまづ価値観云々よりも、その命題が事実か否かを論じるべきですね。

例へば、人妻に惚れて苦しむウェルテルにいくら金をやつても彼の不幸はなくなりません。ラスコーリニコフは金を手に入れても老婆を殺した罪悪感から逃れられませんでした。知らずに父を殺して母と通じたオイディプスに金は何の慰めにもなりません。
それは御友人も認めざるを得ないでせう。
そして彼らは我々人間の姿そのものです。

カミュは「人は死ぬ。それゆゑ幸福でない」と言ひましたが厳しい真実です。そして真実に古いも新しいもありません。
金持ちの幸福も炉辺の幸福も所詮儚いものであります。

このやうに「金さへあれば幸せである」といふ命題は事実に相違するわけですが、そもそも価値観とも呼べません。
といふのは金なんて誰でも欲しいに決まつてゐますから。
僕などは金はあればある程いいと思つてゐます。要らなければ誰かにあげればいいし(笑)。
つまり、この命題は「金が欲しい」と言つてゐるのと同じなんですね。
「SEXさへできれば幸せである」といふやつがゐたら「何が幸せだ、お前SEXしたいだけだらう」と突つ込むでせう(笑)。

「価値観は人それぞれ」ですが、単なる欲望は価値観でも人生観でもありません。

福田恆存は「人は幸せになる義務がある」と言ひましたが、これはカミュの言葉と矛盾しません。
「人は死ぬ。それゆゑ幸福でない。それでも人は幸福にならなければならない」。
価値観といふのはかういふものでせう。

まあ、御友人も単に「金が欲しいなあ」と言ひたかつただけでせうから「こいつとは価値観が違ふ」と思はず大目に見ませう(笑)。
若い時に露悪的なことを言ふのはよくある事で、さういふ人に限つて結婚すると家族愛を説いたりします。
逆に炉辺の幸福を夢見てゐた若者が現実を目にして「結局世の中金だ」と言ひ出したりします(笑)。
ちなみに、ホリエモンは後者の純情タイプの典型だらうと睨んでゐます。
返信する
Unknown (あび卯月)
2007-02-01 00:30:01
梅沢さんの書き込みを拝見して、この件について深く考へてみると自分の考へがなんだかよくわからなくなつてきました(笑)
もう一度、整理してみます。

私は必要最低限のお金は必要だと思ひますし、お金は無いよりあつた方が良いです。
世の中金といふのも理解できます。
現実には「世の中は金」です。
金さへあれば大体の物欲を満たすことができますし、
ともすれば国も動かすことも出来るかも知れません。
しかし、「金持ちと結婚して幸せになりたい」とか平気で口に出す女性をみると興醒めするんですね。
心で思つてゐてもそんなこと口にするな、と。
かつ、さういふことを言ふ女はろくなヤツがゐないと思つてゐます。
そして、そんな女性を肯定的に捉へた友人にも興醒めしてしまつたんです。
私はお金が嫌いではないのに「金は汚い」と思っているのでしょうね。
少なくとも金々言うのは野暮だと思っています。
この点、私は子供なのだと思います(笑)

話の焦点が人生観や価値観、幸福論になつてしまつたのですが、結局私が云ひたかつたことは「金々云ふな」ということだつたのかもしれません。

せつかく、深く論じてくださつたのに話を戻してしまひ失礼しました。
でも、大変参考になりました。
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