あび卯月☆ぶろぐ

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歴史の捏造は赦されるのか

2007-01-29 23:30:55 | マスコミ・新聞
<番組改編>NHKに2百万円賠償命令 「政治家発言」認定

 戦時下の性暴力に関するNHKの番組を巡り、取材協力した市民団体が「政治的圧力で事前説明と異なる内容で放映された」として、番組を改変(判決では改編)したNHKと制作会社2社に4000万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。南敏文裁判長は、NHK幹部が放映前に安倍晋三首相(当時は官房副長官)らに面談し「相手の発言を必要以上に重く受け止め、その意図をそんたくして改編した」と初めて認定し、NHKなど3社に200万円の支払いを命じた。NHKは即日上告した。
 1審・東京地裁判決(04年3月)は、取材を担当した制作会社ドキュメンタリー・ジャパンのみに100万円の賠償を命じ、NHKとNHKエンタープライズの責任は認めていなかった。
 問題とされたのは01年1月30日に教育テレビで放映された「ETV2001 問われる戦時性暴力」。「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)が00年12月に開いた「女性国際戦犯法廷」を取り上げたが、「ありのまま伝える」との事前説明と異なり旧日本軍の性暴力被害者の証言や判決がカットされたとして同ネットが訴えた。

1月29日21時4分配信 毎日新聞



あの番組の件で裁判なんかやっていたとは知らなかった。
あの番組の本来の内容は戦争責任(主に慰安婦問題)について被告側に弁護士無しの事後裁判を行って「天皇裕仁(昭和天皇)を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪と認定する」と結論をくだす内容である。
品性下劣な左翼の幼稚な自己満足の代物で批判する気も起きない。
そういう輩が裁判を起してしかも勝ったのだから驚いた。
彼らが昭和天皇についてどうのこうの云うのは私にとっては不快なことであるけれど、そんなこと一々相手にしない。
しかし、私が看過できないのは彼らが平然と歴史を捏造していることだ。
従軍慰安婦の強制連行が捏造であること今更私が説明するまでもない。
未だに信じている人は関連書籍のニ三冊でも読んで下さい。
(私は従軍慰安婦問題の研究を専門にやった某教授からも直接話を聴いた。
その方は当時の資料にもすべて目を通している。)

さて、あるあるの捏造がそれほど悪だというのなら、この「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)なる極左団体の捏造も赦してはならぬはずである。
この件の問題点は政治家がHNKに圧力を掛けたことでも、HNKが内容を改竄したことでもなくて、そもそも、あのような内容の番組を放送しようとしたことである。
なにしろ番組内で語られる歴史が捏造なのだから今のマスコミ各社に言わせれば問題無いはずがない。
筑紫哲也のニュース23はこの裁判の勝訴を嬉々として伝えていたが、バウネットと同じ穴の狢だから喜んでいるのだろう。
ニュース23に限らない。
マスコミ各社に問う。
あるあるの捏造だけをあげつらうのは片手落ちだと思うが如何。

お金があれば幸せか

2007-01-29 03:43:43 | 雑記
今日、友人が尋ねてきた。

別段用があったわけではなくて雑談など。
始めプレステ3は値段が高いだのあるある大事典の捏造がどうのと他愛の無い話をしていた。
途中、なぜかエビちゃんこと蛯原友里の話になって、
友人が「エビちゃんも金持ちの男と結婚して幸せになるだろう」と言ったので、
「何故、金持ちじゃないと幸せになれない?」と問い返したら
「だって、当り前じゃないか。女はみんなそう考えている」と云う。

ここから口論になった。

「別に金があれば幸せとは限らない」
「でも、金持ちの方がいいじゃないか。結婚するなら金持ちだ」
「何故、金さえあれば幸せになれると断言する?」
「現実はそうだ」
以下省く。

女性が皆、男を金持ちかどうかの価値基準で判断しているとは女性に対する侮辱でると思う。
女性の考えがどうのという問題はとりあえずおくとして、
友人の考えによると「金さえあれば幸せ」ということらしい。
こんな堀江貴文のような考えを持っているとは驚いた。
私は金は手段であって目的だとは思わない。
お金を稼ぐことが悪だとも思わない。
それに、金は無いよりあった方がいいに決まっている。
しかし、「金があればすべて幸せ」という人生観などとてもじゃないが持てやしない。
私は人生を語ることが嫌いである。
そもそも、人生を語りうる歳ではない。
しかし、私が何を以って幸せと感じるか。
それは、金だけに左右される問題ではない。

例えば、
美しい自然を見てそれを美しいと感じる。
美しい音楽を聴いて素晴らしいと感じる。
冬に家族乃至は朋友と鍋を囲みながら熱燗をいっぱいやる。
妹と冗談を言い合いながらゲラゲラ笑う。
本を読んで知的昂奮を得たり楽しんだりする。
古本屋を巡って探していた本が見つかる。
冬の寒さに凍えながら、大好きな夏が来るのを待ちわびる。
夏、朝早く起きてじんべえに着替え庭の植物に水をやる。

・・・等々。
一々、列挙するのは恥ずかしいが、
私はこういう日常の些細な喜びに幸せをみいだしている。
そして、こういう小さな幸こそより大切だと思いながら、その幸せを噛みしめつつ生きている。
生きていると嫌なことばかりだが、嫌なことがあればかならず良い事があると信じているし、
(というか、そう思わないとやっていけない)
この世は浮世で日本の行く末を考えると暗澹たる気持ちになるけれど、私はおおむね、幸せである。
勿論、私は金に困ってもいないが金持ちでもない。
むしろ、学生の身分だから金が無いのが常である。
しかし、住む所に困らず、三食きちんと食うことが出来、それに加え、多少なりとも本やCDを買える余裕もある。
パソコンもあってインターネットに繋がってブログなどやっている。
これ以上なにを望むのだろう。
余分な金がなくとも十分豊かである。
というより、世界に目を向ければ私のような暮らしは豊かどころが恵まれすぎているだろう。
なにせ家に冷蔵庫があって開けると食べ物が入っているのだから。
私はこれ以上、贅沢をすると目が潰れると思っている。

誤解の無いように書いておくが、これはフリーター讃美の文ではない。
お金があれば幸せとは限らないけれど、生活に最低限必要なお金は要る。
したがって、「フリーターの男とは結婚しない」というのなら話はわかる。
そこは現実問題としてあると思う。
私が言いたいのはそんなに余分に金があって幸せか?ということ。
実際、「金があった方が幸せに決まっている!金がすべて!」
という人が居るのは知っているし、相手が金持ちだからという理由で結婚する女性も居るだろう。
それはそれでいい。
価値観は人それぞれだから私はとやかく言わない。
しかし、私はそういう価値観を持った人間とは絶対に相容れないし、まして結婚することがあろう筈が無い。
なぜなら、金は必要な分だけあればよくてそれからあとは如何に精神的に豊かに生きてゆくかが私の幸福の価値基準だからである。

以上のことを云いたくて口論したけれど、友人にはよく伝わらなかったようだ。
「話が噛み合わない」といわれた挙げ句、帰り際に「これ以上やると喧嘩になるから」と云われた。

私の考えの方が今の日本では古いのだろうか。
だとしたら、ますますこの国に未練は無い。
いやいや、「あなたの考えは古いですよ」と云われるのであれば、古さを是として生きている私にとってこれほど幸せなことはない。