あび卯月☆ぶろぐ

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こんなところに福田恆存先生

2008-06-01 00:49:45 | 歴史・人物
本や雑誌を読んでいると思わぬところで福田恆存先生に出逢うことがある。
出逢うと言っても先生の名前が文章を目にしたり、あるいは似顔絵を目にしたりすることだが、それでも結構驚かされるときがある。

たとえば、勢古浩爾『この俗物が!』(洋泉社)という新書本を本屋でめくっていたら福田先生の文章に出くわした。
ただし、この場合は本のタイトルからして「俗物」を扱ったものであり、かつて「俗物論」を書いた福田先生の文が引用されていてもおかしくなく、それほど驚かなかった。
そもそも、この本をめくってみたのもそういう淡い期待があってのことだった。

雑誌だと最近では頻繁に目にするようになったので一々例をあげないが、
少し前に養老孟司さんが『諸君!』(平成十六年三月号)に寄稿した文のなかで「私は最近、福田恆存を読み直している」と書いていたのには驚いた。
私の中で養老さんと福田先生が繋がらなかったからだ。

同文のなかで、養老さんは福田先生の「当用憲法論」の中に現行憲法は改正できない仕組みになっているという面白い指摘があると述べた上で、「とにかく戦後、六十年、国のあり方すべてをひん曲げてきた元凶は憲法九条です」なんて書いてらっしゃる。
養老先生が改憲派だったとは、と二重に驚いたものだ。
たしか、このあたりからいままで養老さんを持ち上げてきた左派メディアは軌道修正をしたように思う。
(おっと話がそれてきたので養老さんの話はこの辺で)

そうそう、何号だったか忘れたが「サイゾー」に福田先生の書翰がオークションで取引されているだのなんだのという記事もあった。


似顔絵だとこういう例がある。

赤瀬川原平『桜画報大全』(新潮文庫)に『現代の眼』1973年1月号附録の絵が収録されている。
これは「皇紀二千六百三十二年大日本民主帝國論壇地圖」と題された大変大きな絵で、当時の論壇でどのような論争がなされていたが一目でわかるというもの。
大絵の一番上には天皇陛下と皇太子夫妻(いづれも当時)が書かれており、徳仁親王(現・皇太子殿下)が美智子妃(現・皇后陛下)を背負いながら「啄木のお母さんとどちらが軽いかナ?」なんて仰っている。
これ、本当に徳仁親王が母親である美智子妃を背負った時に述べた言葉で、さすが赤瀬川先生だよと感銘を受けた次第。(註1)
以下、当時の言論人、政治家、文化人らが百人近く(いやそれ以上か?)描かれていてとても一人ひとり紹介しきれない。
ただ、絵の真ん中にはあさま山荘の絵と共に連合赤軍と機動隊が描かれていて当時の時代背景を感じさせられる。

で、問題の福田先生のイラストは右下方に描かれていて、なんと、直ぐ右にいる羽仁五郎と論戦を繰り広げている。
羽仁五郎氏曰く「警察力に頼るから学生は非常手段に訴えるのだ」と。
それに対して福田先生は反論される。
「学生がおとなしく勉強している所へ警察が乗り込んだ例がありますか」
ごもっとも!と思わず拍手したくなる。
これも実際に福田先生が羽仁五郎の意見に対して述べられたもので、
福田恆存・著『言論の自由といふこと』(新潮社)の154ページに収められている。(註2)

もう一つだけ紹介。
最近、山藤章二『世相あぶり出し 1』(新潮文庫)を読んでいる(というより見ている)と、福田先生の似顔絵が載っていた。
「世相あぶり出し」は山藤章二お得意の世相諷刺イラストで、かつて月刊雑誌『オール讀物』に連載されていた。
本書はその文庫版。
連載が始まったのが昭和四十五年十一月から。
この第一巻に収められた「1970年12月筆」の段には『「三島事件」人と意見総決算』と題して、当時の各界著名人の似顔絵が三ページにわたって描かれている。
絵の上には三島事件(三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺した事件)に対する意見が載っており、「上のセリフ、下の誰がいったものかわかりますか?」とある。

残念ながら、福田先生の意見は載っていないが、三ページにわたるイラストの最後のページに「福田恆存」という文字と共に先生の似顔絵が描かれていたのには驚いた。
同段には石原慎太郎、丸山明宏(いま美輪明宏)、北杜夫、大岡昇平、中曽根康弘、横尾忠則、永六輔、藤圭子、開口健、黛俊郎、なだいなだ、松村剛、野坂昭如、山口瞳、吉行淳之介、五木寛之、松本清張などが名を連ねている。
時代を感じさせる人物も多いが、それよりも興味深いことは現在でも活躍している人が多いことだ。
特に石原慎太郎、美輪明宏は第一線で活躍しているし、永六輔、五木寛之、藤圭子などもまだまだ元気に活躍している。
昭和四十五年はあまり遠い昔のことではない。

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註1:赤瀬川原平先生はイラストレーターであり漫画家であり作家としては尾辻克彦の名でも活躍している。
中でも新明解国語辞典の語釈の面白さを紹介した『新解さんの謎』では新明解ブームの火付け役となった。
あと、「トマソン」(※詳しくはググってね)という芸術の新たなる観念を提唱したのも赤瀬川先生であびは中二の頃、これを知って以来トマソンを見つけるたびに喜んでいる。
また、漫画家、イラストレーターとしての才能も豊富で特に『桜画報大全』の時代諷刺絵は秀逸。
他にもつげ義春の『ねじ式』を元にしたパロディ『おざ式』などがあり、あびをますます痺れさせた。

註2:初出は『諸君!』昭和四十七年六月号に載ったインタビュー記事「當世書生氣質」。
なお、羽仁五郎氏の意見は『諸君!』昭和四十七年五月号のインタビュー記事「真理は少数にある」より。
五月号に載った羽仁氏の意見に対し福田先生が翌月号で反論したかたち。
つまり、『諸君!』内で繰り広げられた論争であった。

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