雨曇子日記

エイティライフの数々です

北千住稲荷社二宇

2019-10-20 13:06:57 | 神社仏閣

「宇」というのは、建物を数える語で、「仏堂二宇」などと使うらしい。

北千住の稲荷社二宇といえば、一つは河原町、一つは橋戸町の稲荷社だろう。

 

               (河原町の稲荷社)

 

天正四年( 1576 )創建と推測されるこの神社、江戸時代は千住掃部(かもん)宿の鎮守、現在は東京都中央卸売市場足立市場(やっちゃば)の鎮守という。

掃部(かもん)宿は石川掃部(かもん)介吉胤に因む名で、慶長三年( 1598 )村を拓き、元和二年( 1616 )には堤を築くなどした方だ。

掃部宿は、約二千戸、人口九千の千住宿にあって、有力商人が集まり最も繁栄した町であったという。(昭和 20 年 4 月 13 日の夜間空襲で一軒残らず焼失)

 

 

 

文政 13 年( 1804 )の鳥居の柱に書いてあった撰文には、清明在上 永燭八極 越仰景光 崇表霊徳 とある。

狛犬は足立区一の大きさで、浅草神社のそれと極似という。

 

                 (立派な狛犬)

 

            (境内の石燈籠に彫られた文字)

        (昭和 12 年の銘のある玉垣・道路は日光街道)

             (北千住七福神の一つ福禄寿が鎮座)

 

この、河原町稲荷神社と日光街道を挟んで西側にあるのが橋戸稲荷神社。

 

     (日光街道が通る千住大橋は下り線専門で、上りは後にできた橋を通る)

      (橋戸稲荷神社の狐・拝殿に向かって左側にあり下に子狐がいる)

         (子狐と思われる。上にあるのは母狐か?)

        (拝殿に向かって右側にいるのは、父狐らしい)

 

この神社の創建は延徳二年( 1490 )といわれる。文禄二年( 1594 )千住大橋が架けられ人馬の往来が多くなり、また、隅田川上流の、飯能、秩父、川越方面からの物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として大いに栄えた。

文久三年( 1863 )には、本殿の前扉裏に、鏝絵の名工として名高い伊豆長八による白狐が彫刻された。

 

          (土蔵造りの本殿・この扉の裏側に彫刻がある)

            (伊豆長八の白狐・レプリカ)

                 (神社の手水舎)