春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

坂東道、小野小町が見た夢、清瀧寺。土浦市小野町。

2024-09-28 10:48:48 | 坂東札所



思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 
  夢と知りせば覚めざらましを・・・小野小町

あの人のことを思いながら眠りについたから
  夢にでてきたのだろうか。
    夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを



14歳の時、宮中からお迎えがきて女官となり、
歌人としても才能を発揮した小野小町さん。

晩年、京都から東国へ下り、奥州へと旅する途中、
清滝観音に詣で、さらに山越えをして、
石岡市小野越の北向観音にお参りしました。

その帰り、山道に迷ったあげく、病に倒れてしまいました。
病状は、一進一退を繰り返し、
883年7月7日、小野小町は、69歳でここ
土浦市小野町で、人生を伏せました。
引用元:第16回 常陸国・小野小町文芸賞 入選作品集

2021年12月、
故・杉村春子さんの部屋付きだった、
女優で書家家の、二宮さよ子さん👇が、
東京下北沢の劇場で、一人芝居、
小野小町さんの終焉を、枯れ木の倒木に伏しながら、
演じ、小町さんの歌を筆にしました。👆
小野小町さんの思いが伝わる、緊張の静寂、
もう一度、観て見たいと・・・。



606年、この寺の背後の山龍が峰に、
聖徳太子御作の聖観音像を安置したことが創建と伝えられる
坂東札所26番・清瀧寺👇
創建から270年が経ってから、
花山法皇が、松が峰の山頂では、民衆の結縁は、広がらないと、
ここ、中腹に移しました。


室町時代、常総の野で繰り広げられた、戦乱、
当時のどのような建物か知らないのですが、
すべての堂宇や什宝兵火の中に・・
再建された、1700年代には再び繁栄されたものの、
明治維新を境に、寺運は衰え、無住寺に・・。
長い間の無住寺は、小野町の人たちが輪番で支えてきた。













昭和44年、参拝者の蝋燭が賽銭箱に移り、あっという間の延焼、
観音様を救うことができず・・と村人は、
一ヶ寺でも、欠いては坂東巡礼にならないと、
浄財を集め、昭和52年に再建させた。

村人たちの尊い悲願の結晶に、じっと佇む境内です。
















小野小町が立ち寄った清瀧寺、
石段に誰が歌ったか・・









町は肥沃な土地に、柿、梨、葡萄は実って
収穫の中、異邦人の私への笑顔に
救われる

橋の欄干には小町さんの像が
ここから3分で、小町さんのお墓
お墓はあちこちにあるよと、
知ったかぶりの野暮は、言わな~い・・‼
ここは土浦市小野町




コメント (4)
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