春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

江戸の夫婦が建てた童子堂。豆腐がない。秩父札所道。

2024-02-23 17:45:35 | 秩父34札所

寺伝によると、807年、伊予親王(淳輪天皇の弟)の菩提を、
弔うために遍照僧正がこの地の領主に堂宇を作らせたとある。

旧蒔田村・清水谷の山奥に草創され、花台山と呼ばれ、
915年、村の子供たちの間で疱瘡(天然痘)が流行し、
寺の場所を移すよう観音様からのお告げがあって、
里たちの住むこの場所に移して、
観世音に平癒を願ったら、天然痘は威力を失い、
以来、病魔に犯された子供は、観世音に祈って救われて以来、
童子堂と呼ぶようになる。

誰が彫ったか、子供にも好かれるフォルムで、仁王像。





👇広い寺域の仁王門の虫食いの柱や、
猫(?)肉球もまた素朴で







好物のネギに挨拶すれば、藤棚、右手に堂宇が。



👇江戸中期・1701年、江戸の田井三右エ門弘祐と、
その女房、お銀が施主となって、
秩父府坂峠の地に再建したもので、
1910年、この土地に移築された、
極彩色豊かにして華麗な、秩父札所22番、童子堂。









天井には、
👇迦陵頻伽(かりょうびんが)の浮彫りが施されていて、
納経所の人影を確認し、周りを見回し、
1枚だけ撮りたいなァ~・・
でも、やめた ‼ 
張り紙がマナー違反を、強烈に戒める ‼












明日は、古河市へ日帰り出張
明日は、陽が射すとなれば、気も晴れ
今夜の寒さの、賄いは
湯豆腐にゴマ入りの高菜漬けをまぶして
ちびッと、八海山で一杯・・ッと
・・・・・
のに、豆腐がない

無い 無い


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今日の雨、眺めて、観音寺。秩父札所道。

2024-02-22 10:39:35 | 秩父34札所

秩父札所20番の緑ある岩之上堂から、
21番に向かう、小道。この辺りから
山村風景、秩父の山々を眺めていると、
札所巡りのリズムが少しずつ、のろくなります。
自然とそうなります。




















額の矢之堂、
昔、この辺り秩父郡矢納村と呼んで、
矢納が矢之に転化したものと云われ、






亦、御堂の建立に反抗し、堂に火を降らせる悪ガキを、
八幡宮が
矢を以って、退散させたという謂れもあり、



度々、火災に遭って、観音堂の寺歴は焼失したという、
札所21番・観音堂です。



ニワトリは、近くばかり見てるから
鳥の中でも、一番視力が悪いという
鷲や鷹は、50メートル離れた蟻をはっきり見ているという
あやかりたいですね

半年ほど点眼しなかったら、パソコンの文字が、踊り始めて
ひとつになったり、重なったり
これから、眼科で薬の調達です
今夜、また


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岩之上堂、時にはゆっくり散策。秩父札所道。

2024-02-20 20:44:45 | 秩父34札所

札所巡りをしていると、なぜか、
ここでゆっくり骨休みをしていたい、と、
思わせるお寺があるものです。
ここ札所20番・岩之上観音堂がそうでした。

今は、頑丈で近代的な橋がありますが、
昔は19番札所から、ここ20番までは、
市内(村内)を流れる、荒川を渡し船に乗って、
荒川を晴れた日は、3文の船賃、
雨の日には5文、15文と天候に合わせて変動乗船料。

荒川の岸壁にあるから、岩之上堂。
兵乱で本堂が灰燼となり、里人は離散し、
ここを通った人が、岩の上に有った観音像に手を合わせたから、
岩之上堂と名付けたのか。

至る所に無造作な植栽。
眺めているだけで、疲れが取れる。
不謹慎ですが、
御利益は、観音様の教えだけでない、と、つい・・・。
















秩父札所で最も古い堂で、堂を守る人がいて、
堂は先祖の方が25年かけて造ったという
自然に囲まれた、札所20番・岩之上堂
縁起もいくつかあるのですが

ひとつひとつ、関連付けは無用にして
今はゆっくり、散策です




厄除けの天蓋も気晴らしになる。














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悪龍を押し込んで、何百年。秩父札所道。

2024-02-18 11:05:53 | 秩父34札所

人間、一丁前になるのには石の上にも3年だとか・・・
ここ龍石寺の室町時代に彫られた、千手観世音菩薩は
何百年も、荒川の洪水の害を引き起こす、
質の悪い、龍を岩盤に押し込んで、
秩父盆地の平安を守ってきたという。

岩盤は、放散虫や、放散虫・海綿動物などの、
殻や骨片 で構成されてるから、昔、ここは、
想像できないほどの昔は、 海の中ということですね。

シャープな宝形造りの観音堂は
1973年に再建されたもので、
堂宇内には、本尊と閻魔さんら15体が並んでる。

 











三途婆堂には、


赤ん坊の人形を置いてて、
旱魃や水害で、亡くなった幼子を、奪衣婆が守って、
成仏できるようにと、
母の願いが、伝わってきます。











市内を離れて、盆地景色を目の前に、
奪衣婆と兄の閻魔大王、地獄の仏様たち、
密教の暗さを暗示して
札所巡りの観光気分も半ば、身が締まる思いをさせる
秩父札所19番・龍谷寺です



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巫女、鶴の一声の18番・神門寺。秩父札所道

2024-02-16 19:39:39 | 秩父34札所


かなり昔の話だと思う。
境内の大きな榊の枝が右、左に分かれて、
門のような形になった当時、里人はここを神の門と呼んで、
神社だったと。
榊が枯れ、堂が寂びた頃、
神楽を奉納して、再興を願う里人たちの前に、巫女が現れ、
ここは、寺院の方が栄えるとお告げした。
以来、寺院となって永久札所18番・神門寺となる。

車を止めた大通りには、食品スーパーが、
家電販店が、ホームセンターが、
蕎麦屋さんが、民家が寺院を囲むように密集していて、
狭い境内の納経所では、梅茶が出て、休息場は別棟にあって、
ほんのりした、札所。








👇扁額にある・玄黄斎さん(1807-1886)
地元、三峰口あたりの森家の入り婿になった、
江戸後期-明治時代の根付師で、
絵画、書道、詩文にも優れたマルチ芸術家だったという。
細密彫刻にすぐれ,大黒天の根付けに、
1000匹の鼠を彫ったという。
著作に『印籠譜』があり、
国立国会図書館デジタルコレクションで、見ることができます。


ご本尊は、写真を撮るものではなく、
手を合わせるものです・・・はい、肝に銘じます ‼
許可済でありまして・・





入口と出口で、頭をしこたま打った、狭い回廊には







20年ほど前に寄贈された、蓮華堂にも、
仏像を置いている。














緑色の厚い表紙が白く斑模様になってて
幾度、何度、唱えたのでしょう
👇
2月12日・建国記念日の日
浮ついた心に
物音が消え、時間が止まった瞬間でした

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