中国の「潜水艦」と称する軍艦、日本の領海に近づき発見される。これは、「潜水艦」とはいえない。情報が丸裸にされ、「見水艦」に成り下がった。海に潜るのは、無重力の宇宙よりも難しい。水圧による外枠にかかる圧力の耐える構造物は、科学技術の限界への挑戦である。深海に多くの資源があるとしても、簡単に事業として採取できないのは、深海水圧の壁があるからだ。さて、潜水艦は、艦の名前が同定できるデータを採取された時点で、以後は隠密行動できない軍艦となる。将棋でいえば、「角」のつもりが、ワナにかけられた「桂」のように捨て駒の扱いとなる。こうして、海戦は平時でも行われ、特に潜水艦は鬼ごっこに負けたら、敵国の領海に極秘で侵入できない。だから、深く自国領内で隠れていて、有事の時だけ突然の出てくると、敵には始末がわるい。ただ、これでこの「見水艦」は、SOSの時には、日本の自衛隊は知りませんとはいえない。今後、勝負のついた事前戦争において、おとりに使うときに活躍できる可能性はある。中国の大事な軍艦が、「見水艦」化したという屈辱は、中国国民には知られないので、国内向けの芝居の大道具にはなる。お気の毒な、中国国民。
孔子が神のような聖人ではない、と絶対の真理の基準とする信仰による「論語」解釈は、しだいに崩壊した。孔子は、いかがわしい宗教家だとする極論まで生まれている。これは、日本の学者の一部が、司馬遷の「史記」における孔子像を破壊するために組み立てた極論である。その誤りは、別に指摘することにしたい。変化の時代に入ったにのは、中国共産党が、孔子の思想の継承者は孟子であるという朱子学、陽明学の立論を否定し、王先謙という湖南省長沙で岳麓書院を主宰した清代の学者が、荀卿の「荀子」を評価する精緻な学問を提起した。孟子は性善説、荀子は性悪説と対極に分裂・対立した。この二人はほぼ同時代人である。
孔子は、性善説も、性悪説も、どちらにも加担していない。孟子が、性善説を唱え、孔子の全面的な継承者であると自負して活動をしたから、荀卿がそれに反論し、違いを明らかにするために、体系的な学問をした。問題は、「論語」を両者がいかに読み切り、孔子の学問体系を再現したかにある。深くしらべると、「孟子」には、「詩経」の研究など、経書の学識が薄いことが分かる。それと、多くの考古学的な発見により、竹簡が多数、出土したことだ。孔子の「語」は、少なくとも現行の「論語」500編あまりには、収まらない広がりもある。孔子は、性悪とも性善とも、決める議論をしていない。人間は、喜怒哀楽を顔に出すような「色」の奥底にある心の構造を論じ、中庸を真義としている。孔子の孫の子思が、孔子の思想の奥底の中庸論を継承しているとみるならば、古代思想の見取り図は、それなりにかなり変化してくる。