現代の日本の博士号は、高等教育を担当する最低資格である修士号よりも3年の研鑽を加算した水準に設定されている。だから、高校教員に採用される段階では、すでに修士号がある。経営学の世界では、MBA。マスター・オブ・◆◆というのが世界標準となっている。4年制大学では、卒業論文を厳格に課していないので、修士号は、それなりに均一である。さらに、博士号となると学位管理の機関があり、相互にチェックするから、日本国ではほぼ横並びになる。それは、論文の審査制度のある学会の機関誌に1本から3本の掲載の実績がある研究論文なら「学術博士」という形である。
一般職からみると、四年制大学の卒業で十分な時代があった。これを教育職に当てはめると、20世紀を経過したことで、膨大な知識量がどの学科目でも要求されるので、修士の水準でないと公立高校のレベルでは、日本の高校生を国際的にそん色のない知識水準を維持するのは難しい。新人で修士号をもって教員となった場合には、生涯かけて博士号を取得できるベースがある。最終、75歳くらいで博士号を取得するように探求者としての緊張感を保たないと、この世にうまれ、ある学科を選んで学び、教育しながら自己を教育するという学問仁の循環サイクルに乗れない。それが、この世に生まれた命を親に感謝する最高の儀式であるのではないか。