富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

県立高校の再編を3次元で考える

2018年01月21日 | Weblog

先のブログでは、県立高校の再編を変電所の配置効果と比較した平面図で考えて適正だと評価させてもらった。次に、問題を3次元で考えてみる。欲張りだが、世界の最先端の科学の発展に追尾できる大学院への進学を想定すると、6・3・3制には無理がある。それで、先端の都市では、6・6制になっている。ここへ大学院を入れると、6ー6ー6制になる。最後の6は、大学院大学の先端を想定する。今、富山が急がれるのは、先端大学院大学の科学の水準や内容、傾向性が全く変化していることに目が向いていないことである。富山の県立高校の出身者が、先端大学院大学で苦労していることである。何十年も前の経験で申し訳ないが、大阪大学の文学部でも、文化学の様相は変わった。高校生でも構造主義を理解しておかないと、ポスト構造主義の時代の文化学への転換期の学問にはついて行けない。富山出身者は、大学3年次でも先端文化学を理解できていなかったと記憶する。日本史でも、もう最先端の学問は、高校日本史とは、水準が余りにも違いすぎる。富山県の出身者は、博士コースを出ても、「学術博士」を取得できないで、博物館学芸員のレベルにとどまる。先端の学術書が刊行できない。郷土史家しかできない。ところが、現在の日本史の先端は、心理学をベースとした文化学のひとつの手段として、日本史の史料を使い、かつ、過去には史料とさなかった素材をもとに、心理的な文化学として、しかも、読書界への読み物として市販される書籍を出版しないと、大阪大学文学博士にはなれない。

以上は、私の限られた経験である。それで、僕は自分の博士号は無かったことにして、65歳で富大のオープンクラスで、量子力学の入門とC言語の入門を聴講した。ここで、現代科学の基礎を学び、近代の歴史と、現代の歴史との間に「大きな谷間」があることを知った。量子力学の僅かな基礎知識に研究者としての心理を移すと、近代はモノが剛性であるという心理のうえに構築された人間に造った時代だと分かった。現代史は、その科学認識の谷間を超え、次のステージを支える時代のことである。つまり、富山県の県勢でいうと、電気工学から電子工学への軸心に移動となる。下手に高校生にときに、探求科で学習心理をいじると、後に研究者として心理障害を抱え込むことになる。富山から来た子は、良く伸びるという評判は、かなり前からない。もう、努力、勤勉では、追随はできても、現代科学の複雑系の探求はできない。


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「働きかた改革」:歴史哲学のうえでの意義

2018年01月21日 | Weblog

おバカな人は、ワークとライフのバランスだという。これは、初級の英語の単語を並べて思考するから、使われた言葉の深み以上の答えが出てこない。まして、ワークは時間的に短い、しかも。断続的な時間の単位にたいし、ライフは生命、人生を意味する哲学の最重要な命題を背景にする時間である。個人には「絶対時間」であるが、集体では「相対時間」である。ライフとワークのバランスとは、パブリックな時間とプライベートな時間のスケジュール管理の問題に過ぎなくなる。けれども、和製英語で議論すると、実は重厚な欧米の哲学のレースからも脱線する。また、日本語から漢字文化を奪いと、考えた結果を漢字で周辺国に発信できないことになる。

まず、「働」という漢字は、日本人が創造した和製漢字である。中国語の「打工」などの形而下の身体運動ではなく、「周りに気配りしながら、作業をする」という意味である。そこには、「公的な連携」を意味する社会分業への参画という形而上の意味がある。この「公的な連携」を何世紀にもわたり継続的に持続させるには、世代間の分業が欠かせない。日本が突出して、平均75歳まで健康ですごせる人材力を達成したから、他の国にはまだ生まれていない非常に面白い、多様な社会分業の可能性が生まれたのである。多様な人がいるから、多様な働き方ができる。これは、過去の社会主義者が思いもつかない社会協業へと道筋へと、日本の社会は進んでいることになる。これを企業内の分業という閉鎖回路で考えると、解決の出口は見つからない。それは、歴史の哲学の問題なんだ。国民総生産という総量を大幅に低下させることなく、逆に、歴年の維持につながれば、働く「輪」により、心の「和」をめざした聖徳太子の「憲」(のり)を活かすことになる。「輪になって踊ろう」という歴史の哲学である。表意文字のもつ漢字を大事にすると、「働き方の愉快革」という言葉遊びもできる。和製英語では、議論が深まらない。

 

 


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孔子の宝は、孫の子思の「中庸」論にある

2018年01月21日 | Weblog

孔子は、マザコンで、嫁との折り合いが悪く、息子もいまいち。それを救ったのが、曾氏の一族、特に曾参が育成した、孔子の孫の子思は、かなり良くできた学者で、継承人として孟子がいると言われている。「中庸」の後半は、孔子の「誠」に関する語を集めたものである。これは、「大学」にある「意を誠にする」に「誠」の定義を深めたものである。「誠」という文字は、「言」ベンなので、コトバで外に向かって発信する、いわば「外向き」の行為である。だから、実は、孔子も多くのミスをしている。孫は、祖父の名声の陰にあるマイナス部分をよく見て育っている。「喜怒哀楽」の感情を発するまえの、平常心の核にあるものを孔子は、「思い邪なし」と邪心がないと否定の否定で外から定義した。なんと孫の子思は、肯定のロジックで、それは「中」と定義で、この「中」を「和する」ことが、「思い邪なし」になると読み込んだ。無意識の心理を内省し、「中の和する」心性を「大学」にある「正心誠意」の基本だと読み切った。この点に気が付いたのが、北宋時代の二人の程氏であり、南宋の朱熹であった。以後、儒学の要は、「中を和する」ことで、邪心を去り、利を観れば義を思うというロジックを活かしてきた。

自分自身の脳内という流動体のなかで、「自己」を治める「中和』点、これはインドにまでヨガ派の原典を学びに行った玄奘がもたらした唯識と比べると、子思の哲学の先行性は、1000年の先見知であった。祖父にとり、孫は宝である。優れた家庭教師に委ねた孔子は、智者である。同時に、孫から乗り越えられる存在でもあった。


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長寿は、智者か?

2018年01月21日 | Weblog

露の哀公が、孔子に問いかける。「長寿は智者か?」と。孔子は、こう答えた。「その通りです」と。なぜなら、飲酒、武闘、犯罪と遠ざかれば、天命を盡せます、と3つの場合にわけ、さらに詳しくケースを分類し、天から与えられた命を自らが短くする人為の愚かさを説明している。孔子は、74歳で亡くなった。長寿といえる。今の日本なら、94歳といえる。酒の害で、飲食への自己ケアーを第一にする。自己管理を第一にする。それが智者だという。さらに、富みや、名誉や、つまらない正義感でトラブルを起こせば、社会のルールで命を短くします。だから、長寿者は、それなりに知恵者です。これは、『韓詩外伝』という漢時代の韓嬰という「詩経」学者の本にある話だ。もし、貧乏で最低の生活をしていて、酒も飲まず、目上に逆らわず、どんな争いごとにも加わらなかったら、長寿になるのか?これは、「論語」に出てくる顔回の生き方である。だが、彼は早逝した。その時、孔子は顔回は「空だ」った、と述べた。これは、穀物の蓄えが無さすぎた、という意味である。僕は、孔子は裏の意味を隠している。知者として、アイデアが浮かばない、提案にかけては「空」であるがゆえに、食物の余裕のある官職に恵まれなかった、と理解している。

孔子が立てた長寿の原則に当てはまるが、孔子から杖で膝を叩かれた人物がいる。それは、原壌である。仁につながるような何の行動もしなかったではないか?この役立たずめが!孔子は、自らに禁じている怒りを爆発させた。孔子は、最晩年は、けっこう怒りまくっている。「規をこえず」との自制心が緩む。そこからは、彼は短命だった。でも、僕たちは原壌が彼自身が生きていくために、最低限の生業を務めていたなら、彼も己を知った智者として許してあげる度量がいる。しかし、孔子の幼ないなじみで、郷里の共同体に支えられた生活保護の対象者で、障害をもたない人物だとすると、孔子が杖で叩いた気持ちはわかる。でも、もし孔子ほどの名のある人物が、現代日本で同じことをしたら、メディアから全面的に避難される。「正義」論の抜けた大衆迎合の、恐ろしい時代に僕らは生きている。


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