先のブログでは、県立高校の再編を変電所の配置効果と比較した平面図で考えて適正だと評価させてもらった。次に、問題を3次元で考えてみる。欲張りだが、世界の最先端の科学の発展に追尾できる大学院への進学を想定すると、6・3・3制には無理がある。それで、先端の都市では、6・6制になっている。ここへ大学院を入れると、6ー6ー6制になる。最後の6は、大学院大学の先端を想定する。今、富山が急がれるのは、先端大学院大学の科学の水準や内容、傾向性が全く変化していることに目が向いていないことである。富山の県立高校の出身者が、先端大学院大学で苦労していることである。何十年も前の経験で申し訳ないが、大阪大学の文学部でも、文化学の様相は変わった。高校生でも構造主義を理解しておかないと、ポスト構造主義の時代の文化学への転換期の学問にはついて行けない。富山出身者は、大学3年次でも先端文化学を理解できていなかったと記憶する。日本史でも、もう最先端の学問は、高校日本史とは、水準が余りにも違いすぎる。富山県の出身者は、博士コースを出ても、「学術博士」を取得できないで、博物館学芸員のレベルにとどまる。先端の学術書が刊行できない。郷土史家しかできない。ところが、現在の日本史の先端は、心理学をベースとした文化学のひとつの手段として、日本史の史料を使い、かつ、過去には史料とさなかった素材をもとに、心理的な文化学として、しかも、読書界への読み物として市販される書籍を出版しないと、大阪大学文学博士にはなれない。
以上は、私の限られた経験である。それで、僕は自分の博士号は無かったことにして、65歳で富大のオープンクラスで、量子力学の入門とC言語の入門を聴講した。ここで、現代科学の基礎を学び、近代の歴史と、現代の歴史との間に「大きな谷間」があることを知った。量子力学の僅かな基礎知識に研究者としての心理を移すと、近代はモノが剛性であるという心理のうえに構築された人間に造った時代だと分かった。現代史は、その科学認識の谷間を超え、次のステージを支える時代のことである。つまり、富山県の県勢でいうと、電気工学から電子工学への軸心に移動となる。下手に高校生にときに、探求科で学習心理をいじると、後に研究者として心理障害を抱え込むことになる。富山から来た子は、良く伸びるという評判は、かなり前からない。もう、努力、勤勉では、追随はできても、現代科学の複雑系の探求はできない。