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漢語の「工作」と日本語の「労働」

2018年01月24日 | Weblog

人民日報のネット検索に、「工作」を入力すると、32万件はヒットした。反対に、「労働」を入力すると「??」という反応だった。分かっていて、実験したまでである。「??」のおかげで、中国国民党革命委員会という少数政党のHPへ、中共がわのページから容易にアクセスできることも分かった。

中国が、もし、明治時代の日本式の漢語である「労働」を使っているとしたら、事柄は深刻である。というのは、中国特色社会主義の思想言語群から「労働」が消えて、「工作」に一般化されているからこそ、中国特色といえる。つまり、日本と中国とでは、社会主義思想の思想言語群が共通していた時代から、はっきりと別物に転じた時代へと転じていることが知られる。周恩来の処女論文がある。「工読主義」という論文は、改めて読んでみると、凄絶な「覚悟」がみられる。中国は人類の一部なのに、他人まかせ、座して食する古い読書人の体質のために、人類のお荷物となっている。だから、さまざまな職業で知識能力を活かし、中国が経済的に自立する必要がある。そのためには、「工作」し、「読書」し、「休息」をとる生活改善こそ、中国が世界にご迷惑をかけない道だ。それには、婦人の社会的役割を高めることも欠かせない。性別分業ではなく、婦人もこの責務を果たすべきだ、という。これを仮に周恩来思想とすると、1949年以後の中国で、完全に定着したのが周恩来思想である。昔、「周恩来伝」の邦訳をお手伝いしたのも、まんざら無意味ではなかったと思う。逆に、「毛沢東伝」は、まだ、中共中央の正史の伝は出来ていない。周恩来は、日本と親しみながらも、独自の思惟の起点を構築していた。改めて、再発見。

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