旧制富山高校の十年史を精査した。そこには、夏休みの短い期間の「内地留学」の記録がある。東大と京大で、「量子力学」の研究状況の視察である。昭和の初期には、科学史の世界では、剛性の物理のニュートン力学から、ミクロ物理学である「量子力学」への「パラダイム転換」(クーンの定義)が起こっていた。今では、それを指摘するのは容易である。これは、剛性の物理の次元で構成されたマルクス・エンゲルスの「唯物論」を教科書化したスターリン主義を瓦解させる起爆力を秘めていた。1934年にフランス人のG.バシュラールという学者が、Le nouvel esprit scientifique という題の本を書いた。肉眼で可視化する観察のかなたに、光学顕微鏡、望遠鏡ではみえないミクロ物理学が成立することを確証した人物である。何あろう、彼は幼年期から「詩人の魂」を抱き、数式のなかに「詩」を読み込む感性を持っていた。
旧制富山高校は、英語の教育では傑出し、受験英語では優れていたが、進学先の大学では、ドイツ語主義で、G.バシュラールのフランス語の論文が、東大理学部の畑で理解され、日本語訳が出たのは、1976年である。あの東大紛争が納まってからである。そこには、42年の落差がある。驚くべきことに、富山湾岸社会主義者は、旧制富山高校の社会科学研究会の活動を歴史的に再評価する本を同窓会として公刊したのも、1970年代である。東大紛争の根底には、G.バシュラールの科学論が理解できる先端と、旧左翼の理論を武装急進化したバカ学生、それを全体として理解できない旧左翼が、歴史的な勃興と没落の淵に立っていた。
1930年代、少なくとも理科系の教員1名が、量子力学に関心をもっていたという事実がなければ、旧制富山高校は論じる価値もない学校だった。しかし、その灯の存在を確認した今、旧制富山高校の社会科学研究会の活動は、愚者の葬列だと断じる。南日先生の「詩人魂」(和歌、漢詩、英詩)、さらにフランス語の自習者であることを考えれば、また、その早逝を考えれば、富山湾岸社会主義という悪魔に奪われたものは、今の富山的限界に通じる。電子顕微鏡も、電子望遠鏡も、1台もないはずだ。