富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

算数と数学の違い(マネジメント科学入門)

2018年01月09日 | Weblog

2.5.9.13.15と数字が並んでいると、平均値を求めるのが算数である。この数列には、Y=aX+bの回帰方程式が隠れていると想定できたら数学に入門できる。僕は、これしか知らないのでごめんなさい。ただ、統計学でいうと、合計したり、平均値を求めたり、平均寄与率を求めても、それは算数による統計に終わる。

理系の人には、この説明は無用である。ただ、文系でパソコンにエクセルを入れている人が、「アドイン」というアイコンを知らない、エクセルの「分析ツール」を知らないというようでは、これは相当に重症である。認知症は、すでに快癒できる可能性がうまれた。しかし、文系学者が、エクセルの「分析ツール」を知らないのは、数理認知症である。算数と数学との間に、形而下から形而上への認識の高度化が求められる。中学1年で、素晴らしい数学教師に出会えないと、この教育被害が蔓延していく。国立大学から、数理認知ができない文系学者が排斥されるのは、ワードしか使えないからだ。

 

 


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富山県庁は、富山人を批判する声を聴かれたら如何

2018年01月09日 | Weblog

不二越の社長の発言に立腹された方がおられる。孔子は、怒らない、怒る前に「中」という奥底識の平静をとりもどすように説いた。批判してもらえなくなると、すでに、国際ランク、国内ランクの外にあるとみなされていることを自覚しなくてはならない。このブログでは、関西の大学教育につき批判的に書いている。それでも、関西の大学は、外国語のコミュニケーションのレベルは、極めて高い。それは、ミッション・スクールが発達しているからだ。同志社と関西学院大学と神戸女学院の3校が強い。それと、大阪外語の流れをくむ大阪大学外国語学部もすごい。それに、関西人は心理が開放性なので、どんどん外国人と個人と個人でつきあう。

富山の農家では、いきなり彼氏がメキシコ人とか、タイ人となると、仏壇にお詫びしなくてはならない事態となる。この根底が、富山の常識を生む。世界史の年表を開くと、富山人の農業、農村、農民のうち、もっとも改革が遅れているのは、何であるか分かるはずだ。明治に農民であった子孫から、今やニューヨークで活躍しているひともいる。農村も、自動車交通の網のなかで変化している。一番に変化の速度化が遅いのは、富山の農政である。明治時代に、富山県庁の農政は大改革をおこない、農田の周囲の暴風の樹林を取り除き、一面が水田という景観に変わった。福野農業学校が、富山の最高学府の役目を果たした。戦後の農地改革も大きな変化である。

「富富富」は、トライ・アンド・トライだとして大目に見もらえるのは、県内だけである。石川は、外食産業の需要から品種設計をしている。富山の先端農家では、ウーケさん、鶏卵用の資料米、ゆたかな米粉の生産へ、さらには、他府県への種もみの供給へと、それぞれに磨かれた専門需要市場を開拓済みである。合板用のノリの原料も作られる。販路にある需要家が、求める米の品種や特性を決め、さらに、作り手の利便性、機械の回転効率と、需要家のニーズとをが、うまくすり合わされてせる。ここには、厳格なマネジメント科学が機能している。全体としてみると、非常に複雑な多元の連立方程式が機能している。だから、農政が実は非常に難しい数理科学の助けを要している。

 


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富山県は、公立で中高一貫に転換し、高校再編を避けること

2018年01月09日 | Weblog

理由は簡単である。少人数になると、大学の入試の突破が楽になると、高校教員、中学教員が考えているようだ。このブログで述べたように、18歳人口の縮小に応じて、超難関の国立大学を中心にして、入学定員の削減と、文科系の縮小・廃止が行われる。むしろ、少数激戦となってくる。小学校から英語教育が始める。すると、超難関校では、英検1級か準1級でないと受験資格がないという高度な足切りが可能となる。

富山県は、この新時代の受験に対し、3歳児の教育から小学校3年までの教育内容、小学校4年から高校3年までの英語・数理科学(情報)の教育コンテンツの内容の一貫性につき、30歳、40歳の教員を主体とする研究会を育てておられるのでしょうか?大学の大編成替えという大改革に対する備えとして、片山学園のごときが小学校からの営利の進学ビジネスを構築しても、全国では勝てません。実は、もう勝美はついています。富山県の公立高校、片山学園の教育では、国家の存亡を賭けた最重点大学の、重点領域の教育をうける入り口には届きません。頂点が低いと、底辺も低くなります。つまり、末端を切る秘密会が横行することになる。

富山では、大部分の学生が、関係代名詞の働きは理解できても、発音記号だけをみて、それを英語として実際に発音できません。だから聞き取りできない。これは片山学園も同じです。ローマ字を下手にしみ込ませすぎると、そういう弊害が起こります。英語教育障害が、富山にはなぜうまれたのか?

今日は、富山大学のヘルン文庫に入れてもらい、南日恒太郎さんの作成されたテキストの原因があるのか、どうか調べさせてもらいます。


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僻地、山間の高校を残す方が、国庫支援の対象になる

2018年01月09日 | Weblog

文部科学省は、都市中心地の高校への再編集約を省の立場として押してくるであろう。しかし、科学技術庁の系統の文部科学省の流れは、教育のIT化に力点があり、すでに離島の中学には、ITによる遠隔地授業システムが完成している。富山県の場合、厳密には、僻地、山間とはいえないが、全国の100分の1モデルとしては、高校教育にIT通信による遠隔地授業のシステムの実験の第一号として取り組みやすい。だから、僻地、山間の分校という地域崩壊の危機を救うために国庫補助を要請する根拠のあるマイナス資産を、富山県の独自判断で廃校するのは、負債を資産に転じるマネジメント科学に反する。山間部の伝統文化の継承者をその村に暮らしながら、高校の教育課程を学力保障するには、IT電気通信の成果が生かせる。そのような国庫補助を呼び水に、トップランクの大学進学のためにも都市中心部へのIT活用により、全国著名な講師を招聘して、その遠隔地の授業システムを稼働できる。生徒は、スマホで解答し、同時進行で理解力の進度も確認できる。

昭和の時代の高校のイメージしかないから、秘密会にして、高校再編で切り捨てる高校を決めるのは、愚論すぎる。再編したいのは、教育界の幹部の頭なんです。


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国立大学は理科系、私立大学は文科系が国家戦略になった

2018年01月09日 | Weblog

2020年から、受験生は劇的に減少し始める。当然、入学定員を縮小しないと、国立大学に誰でも入れることになる。そして、私立大学の中・下層は、定員割れで苦しむことになる。また、教員養成系の学部は、全科目の教員をそろえており、これが国立大学の教員といえるかどうかの学問水準がない教員が多い。それで、このブログでは、国立大学は理科系を主体に、私立大学が日本の文科系の研究・教育をする分業を提案してきた。ある時期に、このブログで提唱したページへのアクセスが高まったことがある。最近、得た情報では、教員養成系から、昔、文理学部、法文学部を名乗っていた文学部、人文学部は、教員の定年を待ち科目廃止、学科廃止、学部廃止へと進展する。さらに、有力私学が高給で力量ある若手を引き抜き、廃科目、廃学科、廃学部が進展している。これは、予測済みのことである。これは、北陸でも、早速、金沢大学、富山大学へ波及してくる。すでに、筑波大学は昨年12月に改革を決定したそうだ。関係学部が反対声明をだしたようだが、それは廃止の対象者の自白調書となる。2018年には、2020年以後の改革が全面に出てくる。

文系の学問は、宗教や思想から独立した客観真理は存在しないからこそ、国家の統制から遠ざける必要がある。だだし、情報科学に関係する言語学、マネジメント科学を支える心理学は、今後、広義の数理科学系に編成できる。反対に、私立大学は宗教など独自の校風に応じ、日本社会の文系人材を供給できるシステムなので、国からの補助金を受けることができる。このように、有力な国立大学と有力な私立大学という基幹を固めないと、国家として少子化時代に耐えられない。このブログで、私が提唱してきた当たり前のことが、実現の途についた。これを進学の準備におきかえると、国立大学は広義の数理科学系に収れんされるので、数学と英作文の能力は、1.2倍の競争率でも1点違いでのトップ校をおちるという少数激戦となる。文系では、有名私立も超難関となる。その結果、幼児教育、小学校、中学・高校の一貫教育という流れが本流となる。

この流れを否定する情報もあるが、私が論じているのは、歴史の流れである。


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