不二越の社長の発言に立腹された方がおられる。孔子は、怒らない、怒る前に「中」という奥底識の平静をとりもどすように説いた。批判してもらえなくなると、すでに、国際ランク、国内ランクの外にあるとみなされていることを自覚しなくてはならない。このブログでは、関西の大学教育につき批判的に書いている。それでも、関西の大学は、外国語のコミュニケーションのレベルは、極めて高い。それは、ミッション・スクールが発達しているからだ。同志社と関西学院大学と神戸女学院の3校が強い。それと、大阪外語の流れをくむ大阪大学外国語学部もすごい。それに、関西人は心理が開放性なので、どんどん外国人と個人と個人でつきあう。
富山の農家では、いきなり彼氏がメキシコ人とか、タイ人となると、仏壇にお詫びしなくてはならない事態となる。この根底が、富山の常識を生む。世界史の年表を開くと、富山人の農業、農村、農民のうち、もっとも改革が遅れているのは、何であるか分かるはずだ。明治に農民であった子孫から、今やニューヨークで活躍しているひともいる。農村も、自動車交通の網のなかで変化している。一番に変化の速度化が遅いのは、富山の農政である。明治時代に、富山県庁の農政は大改革をおこない、農田の周囲の暴風の樹林を取り除き、一面が水田という景観に変わった。福野農業学校が、富山の最高学府の役目を果たした。戦後の農地改革も大きな変化である。
「富富富」は、トライ・アンド・トライだとして大目に見もらえるのは、県内だけである。石川は、外食産業の需要から品種設計をしている。富山の先端農家では、ウーケさん、鶏卵用の資料米、ゆたかな米粉の生産へ、さらには、他府県への種もみの供給へと、それぞれに磨かれた専門需要市場を開拓済みである。合板用のノリの原料も作られる。販路にある需要家が、求める米の品種や特性を決め、さらに、作り手の利便性、機械の回転効率と、需要家のニーズとをが、うまくすり合わされてせる。ここには、厳格なマネジメント科学が機能している。全体としてみると、非常に複雑な多元の連立方程式が機能している。だから、農政が実は非常に難しい数理科学の助けを要している。