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大学に「工学部」が出来たのは、日本が最初

2018年01月23日 | Weblog

科学史の書物を読んでいて、何気にそれを読んだ。明治初年、「大学」(後に東京大学、東京帝国大学となる)の「工部」という中央政府の役所の後押しで「工科」が成立する。日本では、理学のよりも「工学部」が先に成立する。このとき、シビルエンジニアリングを意味する「土木学会」が、日本の科学研究をリードする。この土木は、五行説の「土」と「木」から来ており、中国の漢時代の初め、「淮南子」という本に出典があるらしい。後進国らしく、まず需要のある解決課題に対し、外国から知識を導入し、いきなり実用に取り組んだ。悠長の純科学を学問として体系化する余裕が「国家資本」にはなかった。税収効果の期待できる産業のためのシビルエンジニアリングである。ところが、不思議に明治の末に至っても、中国人の留学生が日本の工学部で学ぶケースは少なかった。

中国では、アメリカ留学組がシビルエンジニアリングの全盛期を迎える本場でまなび、アメリカ政府も上海領事館を媒介に「中国―アメリカ工程学会」を組織していった。「工程」とは、エンジニアリングである。孫文も広い意味でそうである。これが、中国の理工系の基軸にあることは、中国工程院という制度を観ればわかる。このアメリカ発のエンジニアリング思想が、中国国民党の国民革命の土台にあり、南京政府が中国近代の頭脳となった。

この南京の頭脳を攻撃したのが、日本の陸海軍である。さらに、ソ連・コミンテルンの指導下の中国共産党の誤った「唯物論哲学」である。この「唯物論哲学」は、日本から輸出され反アメリカの傾向をもっていた。今、中国の歴史は、南京政府の遺産を消さないで、中国科学院と中国工程院の「院士」制度で、科学技術の二輪車を回転させている。中国近代科学は、日本に遅れたが、アメリカから直輸入された。そのため、日本のような孤島の進化を免れている。ただ、障害は、中国共産党中央の「唯物論哲学」が、陳腐化していることである。それは、日本の工学部でも同じである。「心理学とエンジニアリング」とのクロス領域が極めて弱い。現象学という認識論のエンジニアリングへの導入が遅れたため、情報工学の市場化で、日本は永久に3流化の道をたどっている。

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