富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

R.ヴィルブラント著・赤松要訳「カール・マルクス」を読む

2018年01月28日 | Weblog

古本屋で買って書庫に放置していた昭和初期の翻訳書である。調べると、原本は国会図書館にある。翻訳の発案者は、福田徳三という日本の大学における経済学教育の元祖ともいうべき大先生だ。弟子の赤松要さんの留学費用を支援する訳業として企画された。

当時の翻訳文だから、難儀した。27日の午後から、28日午後3時かけて読了した。マルクスの運動が惨めに破たんした理由につき、非常に深い共感と、酷評を交えながら、階級闘争至上主義、国際主義への憧憬、ある種の詩人の執念として描きだしている。マルクスという書き手の現象学的な解体に成功している。非情に質の高い本だ。なぜ、読んだか?富山湾岸社会主義運動の拠点であった旧制富山高校の研究のためである。この書が蔵書にあるのか、ないのか・なぜないのか?「ノン・マルクス」を旗印とする福田厚生経済学が、この地では根付くのに時間がかかったといえる。【家内が、お茶の時間、と叫んでいるので失礼】


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新世代はどんな暗闇を歩いているのか。

2018年01月28日 | Weblog

新世代は、平成の年間に生まれた人たちである。日本の教育制度では、3歳から5歳の単位で「年齢集団」の色合いが異なっている。教科の内容が変化するためだ。ケーブルTVで、富山工業高校の吹奏楽の定期公演を見ていると、現役世代は、みんな基本的なダンス世代である。教員の幹部は、グレンミラーのスイング・ジャズ世代である。校長がエレキギターを弾きこなされたのには驚いた。工業教員というのは、面白い。現役高校生は、世代別の輪切り構造のなかで世代をタテに繋ぐ糸として、音楽を捉えている。言葉の力よりも、基本、物理的な解析が可能なサウンドの世界に繋ぎ目を求めている。

これは、現代における杏壇である。孔子の学習塾では、「詩経」305篇の暗誦が教育の基本である。これには、楽譜があり、楽器演奏があり、ダンスが伴っていた。孔子は、打楽器の奏者である。弦楽器には、目の不住な奏者を先生として招き塾生の指導を任せた。孔子は、諸国を行脚しながら、中華世界の音楽を総合的にまとめた。それが「詩経」である。孔子の直弟子は、歌詞の採録、音符の写譜など、共同の作業を行っている。ここで、言語文化としての「中華文化」の祖型がうまれる。孔子の孫の子思の「中庸」も、集団演奏して和音が調和する瞬間の境地から導かれている。孔子の音楽は、辛うじて変形した形だが、日本の皇室に残されている。だから、日本は「小中華」とも言われる。

日本の次世代は、世界を共有しうる地平に来ている。東大卒や早稲田大学卒の女子たちは、過去に考えられない「軽い文化」のジャンルに進出している。これを大衆迎合なんて言わないほうがよい。でも、これは暗闇のなかの歩行である。ただ言えることは、大正デモクラシーよりは進化していることだ。なぜなら、啓蒙者の自尊、自大がないからだ。しかも、文化の身体化という一点がしっかりしている。

 

 


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