おバカな人は、ワークとライフのバランスだという。これは、初級の英語の単語を並べて思考するから、使われた言葉の深み以上の答えが出てこない。まして、ワークは時間的に短い、しかも。断続的な時間の単位にたいし、ライフは生命、人生を意味する哲学の最重要な命題を背景にする時間である。個人には「絶対時間」であるが、集体では「相対時間」である。ライフとワークのバランスとは、パブリックな時間とプライベートな時間のスケジュール管理の問題に過ぎなくなる。けれども、和製英語で議論すると、実は重厚な欧米の哲学のレースからも脱線する。また、日本語から漢字文化を奪いと、考えた結果を漢字で周辺国に発信できないことになる。
まず、「働」という漢字は、日本人が創造した和製漢字である。中国語の「打工」などの形而下の身体運動ではなく、「周りに気配りしながら、作業をする」という意味である。そこには、「公的な連携」を意味する社会分業への参画という形而上の意味がある。この「公的な連携」を何世紀にもわたり継続的に持続させるには、世代間の分業が欠かせない。日本が突出して、平均75歳まで健康ですごせる人材力を達成したから、他の国にはまだ生まれていない非常に面白い、多様な社会分業の可能性が生まれたのである。多様な人がいるから、多様な働き方ができる。これは、過去の社会主義者が思いもつかない社会協業へと道筋へと、日本の社会は進んでいることになる。これを企業内の分業という閉鎖回路で考えると、解決の出口は見つからない。それは、歴史の哲学の問題なんだ。国民総生産という総量を大幅に低下させることなく、逆に、歴年の維持につながれば、働く「輪」により、心の「和」をめざした聖徳太子の「憲」(のり)を活かすことになる。「輪になって踊ろう」という歴史の哲学である。表意文字のもつ漢字を大事にすると、「働き方の愉快革」という言葉遊びもできる。和製英語では、議論が深まらない。