不思議なことに、漢字を廃止する議論が、世の中から消え去った。中国では、中華民国時代、日本では大正時代、知識人の文化は、日本から中国への流行現象があった。全てをローマ字化し、貧しい大衆にも文字文化が共有できるようにという主張である。旧制の富山高校にも、「ローマ字会」があり、この運動を進めていた。中国でも、その時の中国共産党の幹部である瞿秋白は、ラテン化、つまりローマ字表記を提唱した。しかし、長い歴史的な経験を経て、表意文字を棄て、表音文字に変えても、もとの語彙を掘り起こしで学習する手間は省けない。朝鮮半島では、ハングルという表音文字に活路を求めた。これは、コーリアンの格差社会を超える試みに寄与したかにみえたが、元の漢字の語義に立ち返るとなると、両班という儒教の使い手の知識がいる。それで、日本の朝鮮統治では、漢字を用いた教育体系に戻した。漢字とハングルまじりが、実は一番の便利で、かつ格差社会を解消する武器になった。朝鮮半島では、日本統治の結果、社会階級変動が起こった。元の貴族が没落した。
今は、IT技術が漢字文化という難物を飲み込んだ結果、また、中国が上級知識人には、略字化された簡体字に加え、元の漢字を教育した結果、漢字の古文が読める中国人は、急速に日本の文章理解を深め、黙読で日本語の文章をかなり理解するようになった。今や、明治文献は、中国人学者の方が良く読める時代になった。
従って、日中は「同文同種」ではないが、デジタル文字の世界で、どの入力の方式でも、同じ漢字を表示できる利便性から、「漢字を使う」都市国家の連携が生まれた。シンガポール、香港、台北、東京・・・という漢字情報のネットワークが出来上がった。これに、英語混じり、となると、インドより東の世界では、余りコミュニケーションに困らないことになった。このようにみると、北朝鮮は自己で「文化封鎖」を行い孤立化していることが分かる。もし北朝鮮が、韓国に先駆け、漢字とハングル混じり、さらに英語の短文挟み込みに大転換すると、それが「経済封鎖」を溶かすことになる。強国化は、核武装では図れない。在日の朝鮮族には、特殊な民族使命がある。