富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

日本では、右翼の方が学力上位にならねばならない。

2018年01月06日 | Weblog

右翼というのは、第二次大戦を敗北だと、深く反省し、自決する覚悟で戦後の再建を誓ったひとである。なぜ、昭和17年生まれの僕が文句をいうか?それは、右翼のメディアに知性が無かったからだ。受験に誘導され、左翼へのめりこんだ。もし、川端康成たちが、昭和25年から35年にきちんとした学力上位の優位性を構築していたら、日本の昭和後期は、いま少し違った姿をとっていた。今、改めて左翼の大物学者の作品を読むと、非常に大きな誤訳というか、ウソがあることを知る。こうした僕たちの左翼でも懐疑派が生まれ、教授になってから大学の講義でつぶやき、やがて、良心的な古典の改訳版が出されることで、ようやく東大法学部政治学のウソまでみぬくように成長した。今後は、東大を中心に、右翼系が語学力が高く、古典を正しく理解するように努めて欲しい。バシュラールの「新しい科学的精神」の関根克彦さんの翻訳は、見事である。左翼の唯物論のアドバンテージを破砕している。

 

 


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もし北朝鮮が、韓国に先駆け、漢字とハングル混じり、さらに英語の短文挟み込みに大転換すると、

2018年01月06日 | Weblog

不思議なことに、漢字を廃止する議論が、世の中から消え去った。中国では、中華民国時代、日本では大正時代、知識人の文化は、日本から中国への流行現象があった。全てをローマ字化し、貧しい大衆にも文字文化が共有できるようにという主張である。旧制の富山高校にも、「ローマ字会」があり、この運動を進めていた。中国でも、その時の中国共産党の幹部である瞿秋白は、ラテン化、つまりローマ字表記を提唱した。しかし、長い歴史的な経験を経て、表意文字を棄て、表音文字に変えても、もとの語彙を掘り起こしで学習する手間は省けない。朝鮮半島では、ハングルという表音文字に活路を求めた。これは、コーリアンの格差社会を超える試みに寄与したかにみえたが、元の漢字の語義に立ち返るとなると、両班という儒教の使い手の知識がいる。それで、日本の朝鮮統治では、漢字を用いた教育体系に戻した。漢字とハングルまじりが、実は一番の便利で、かつ格差社会を解消する武器になった。朝鮮半島では、日本統治の結果、社会階級変動が起こった。元の貴族が没落した。

今は、IT技術が漢字文化という難物を飲み込んだ結果、また、中国が上級知識人には、略字化された簡体字に加え、元の漢字を教育した結果、漢字の古文が読める中国人は、急速に日本の文章理解を深め、黙読で日本語の文章をかなり理解するようになった。今や、明治文献は、中国人学者の方が良く読める時代になった。

従って、日中は「同文同種」ではないが、デジタル文字の世界で、どの入力の方式でも、同じ漢字を表示できる利便性から、「漢字を使う」都市国家の連携が生まれた。シンガポール、香港、台北、東京・・・という漢字情報のネットワークが出来上がった。これに、英語混じり、となると、インドより東の世界では、余りコミュニケーションに困らないことになった。このようにみると、北朝鮮は自己で「文化封鎖」を行い孤立化していることが分かる。もし北朝鮮が、韓国に先駆け、漢字とハングル混じり、さらに英語の短文挟み込みに大転換すると、それが「経済封鎖」を溶かすことになる。強国化は、核武装では図れない。在日の朝鮮族には、特殊な民族使命がある。

 


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富山県の高校再編への視点:教員OBが身を投げ出せ

2018年01月06日 | Weblog

箱根駅伝で、4連覇を達成した青山学院大学の原監督は、「一番(の秘訣)はですね、やっぱり寮で夫婦が学生たちと共同生活しているチームって、青山学院だけなんですよ。派手なことをやっているわけではない。あの狭い部屋で、夫婦そろって学生たちの面倒をみさせていただいている夫婦は、私と家内だけ。そこで生活面を整え、陸上のデータを管理した上で、常に新しいものを求めることがトータルとして青学のカラーになっている」と語っている。

これは、人口減により、マイナス思考に堕ちこんでいる富山県立高校の再編に大きな視点を提供している。中心地の集約するにしても、辺境部の高校を維持するにしても、青年教育には身を投げ出す夫妻の存在が欠かせない。これは、実は、イギリスの名門の大学が、教授夫妻と寝食をともにする教育が基本となっていることだ。だから、国力が衰えても、イングランドの未来はない、という危機感は出てこない。もちろん、一番にきついのは、原監督の夫人である。

富山では、小学校区、中学校区には、高齢者の良き人材が集まっている。都市部から遠い親戚でも、先祖のお墓がある縁者を寄宿制で育てる熱意があれば、歴年の流出人口の流出は防げる。また、富山大学の他府県からの学生も、寄宿させることで、高齢者も外孫を増やせる。現役世代の応援になるから、まず教員OBが富山型の寄宿の全人教育に取り組むべきだ。県の財政資金を人口減の地域に引きとどめるために県会議員を利用する「楽な地域貢献」では、「地域の名が廃る」。だから、「地域も廃る」といえる。教員OBが、海外旅行に人生の総仕上げを謳歌するから、地域も廃る。

 

 

 


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なぜ、みんなはSNSに暴走するのか?

2018年01月06日 | Weblog

答えは、簡単である。活字メディア、東京キー局の放送これら伝統メディアは、権威を失ったからだ。難しい言葉では、知的、道徳的なヘゲモニーを失ったからだ。なぜ、失ったか?この答えは、容易に見つからない。ただ、SNSに暴走するのは、自己表現を発信できる非伝統メディアであるからだ。そこには、古い言葉で言えば、「地の声」が聞こえてくるからだ。その「地の声」に伝統メディアは、対抗せずに、吸収しようとする。伝統メディアと非伝統メディアとの相互の補完がうまれた。詳しいデータや、事件の最終的な経緯の整理は、伝統メディアに頼れる。しかし、SNSでは、伝統メディアの側の、社説、読者投稿欄、TVのコメント、お一人様の意見にすぎないので無視される。ノーム・チョムスキーは、有名な言語学者だが、研究の壁にぶつかり、堕落して、「メディア・コントロール」(集英社新書)という評論を書いている(古書としては、30円くらいの価値しかない)。副題は、正義なき民主主義と国際社会という副題がついている。2002年の作品(英文原書)である。SNSは普及する前夜の作品である。生成文法の大家であるから、伝統メディアと非伝統メディアとの相互関係を論じるべきだった。大事なテーマなのに、プロ中のプロが挫折すると、その専門分野は閉鎖回路となる。大きな成果は、グーグルにビジネス効果と分析装置として超えられてしまった。SNSで発せられたキーワードは、毎日、毎日、アメリカでも、イギリスでも、中国でも、日本でも、動態的な統計が行われ、解析されている。名目は、テロの防止である。それだけでなく、政治にも能動的に活用されている。僕は、見捨てられたチョムスキーの理論は、古代中国における漢字文化、漢語の成立の研究に活かせると思ってる。富山大学には、尾崎文庫がある。そこで、尾崎さんがチョムスキーを読んでいた証拠をみつけた。漢語の言語学者のコレクションである。日本人が、漢字文化の起源を解き明かす日は近い。これは、重要な日本のアジアにおける国防のソフトとなるからだ。ノーム・チョムスキーは、滅びかけた古代ヘブライ語で成功し、英語を対象として挫折、そこから名声を利用して評論家となり、・・・消えていく。かれの理論は、中国古代言語研究において成功するであろう。

 

 


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