何といっても、第一は、アダム・スミス著の「道徳感情論」(高哲男訳、講談社学術文庫)を挙げたい。そのうえで、「諸国民の富」であるが、日本語訳はまだ誤訳と誤った解説を除けていない。第二は、内山俊彦「荀子」(講談社学術文庫)である。孔子に始まる儒教が、儒学となり、中国2000年の統治思想として揺るがない地位を占めたのは、荀子の思索が起点となる。第三は、河合隼雄「母性の社会:日本の病理」(講談社プラスアルファ―文庫)である。僕たち日本人が、母性を抜け出せないために縛られる情感を病理として自覚しないと、世界が見えないことを教えてくれる。第四は、欧米を知るには、ルソー「社会契約論」(中山元訳、光文社古典新釈文庫)は、翻訳の意味が通るだけでなく、解説も無理がない。第五は、世界中にあれだけ影響力のあったマルクス関係では、日本人の理論家である廣松渉を以て最高峰とされる。『新編輯版ドイツ・イデオロギー」(岩波文庫)だけは、参照に値する。無理が少ない分、初期マルクスは、理解しやすい。その後、マルクスは間違いを重ねることになる。ただ、原典は素朴で、正しい。しかも、孔子や荀子には及ばない。第六は、チョムスキー「統辞構造論」(福井直樹・辻子美保子訳、岩波文庫)は、ばらばらな単語が、統語され文章として定型になる原理は、自然言語を対象とする情報科学だけでなく、過去の学問を再検討する思考の仕方にヒントとなる。第七は、G.バシュラール『新しい科学的精神』(関根克彦訳、ちくま学芸文庫)は、量子力学、元素周期律表に親しんだ人なら、科学に内在する美意識が覗ける。そこからバシュラールは、ポエム(詩)域に到達する。孔子が編纂した「詩経」に触発された荀子、そして、天の理としての量子力学に見せられたバシュラールが、ポエムにいきつくことで、人文、社会、自然の3分野の科学は、最低限、この7冊を読めば見えてくる。「総合科学」とか、「総合化の理論」は、読者の脳のなかに合成され、各人、各様の専門バカからの脱出を助けてくれると思う。自分で、自分の言葉を統合し、他者と共有できる言語に高めないと、共感の構造には達しない。
1961年から63年、神戸大学教養部で、最初に総合科学を教えてくださった湯浅光朝先生にたいし、50年後に捧げるレポートである。