3388 野球ブログ

日米を問わず名選手を紹介。

与田順欣

2013-04-20 17:07:21 | Weblog
昭和44年のキャンプでの投球フォームです。この投手に関してはサイドスローだとか、変化球投手という評価が書かれていたりするのですが、実際は腰の入りの十分なオーバースローからの投球フォームで、球の速さは素晴らしいものがありました。同僚の田中勉投手の重く凄みを感じさせる投球と異なり、糸を引く様な綺麗なストレートを投げていました。昭和40年代初頭のパリーグでの右腕投手の球の速さでは、衰えを見せ始めていた米田哲也や尾崎行雄を田中勉と共に凌いでいたかと思います。しかし武器となる変化球と制球に欠け、球の速さのみに頼った投球だったかと思います。その為、安定した成績は挙げられず、又奪三振率も球速の割には高いものではありませんでした。与田という名前で速球投手と言えば、多くの人は中日ドラゴンズで一時活躍した与田剛を思い浮かべるのでしょうが、私には二人の名前が同時に浮かんでくる位、昔の事とはいえ彼の印象はもの凄く強いものであります。黒い霧、八百長行為の実行により、45年のシーズン前半に永久追放されていますが、彼の低めに決まるストレートの素晴らしさは未だに忘れられません。

中村勝広(2)

2013-04-19 12:19:44 | Weblog
中村勝広の所属チームの阪神タイガースは、当時セリーグで最も注目していた球団であり出来るだけ観ていたのですが、前回も触れました様に、どうしても彼の特色がもう一つ思い出せません。打撃に関してですが、年度毎の最高打率は0.280、レギュラークラスの出場数の場合最低で0.231、通算打率が0.246とある意味もの凄い数字を挙げる事もない代わり、もの凄く落ち込む事もない数字という感じがします。脇を締めている感じの打法に見えましたが、スイング自体は決して速くはなく、又パワーにも優れてはいませんでした。二塁の守備では当時の日本記録の守備率をマークしていましたが、よく言えば堅実な守り、悪く言えば無理をしない守備とも言え、彼からは所謂身体能力の高さを感じた事はありませんでした。脚力に関しても、平均点前後位のレベルだった様な記憶があります。同チームの個性豊かな田淵幸一、江夏豊とは対極の位置にあったのが中村勝広だった様な気がします。




通算成績     939試合      648安打     打率0.246     78本塁打      219打点

中村勝広(1)

2013-04-18 20:44:39 | Weblog
昭和47年、ドラフト2位指名で阪神タイガースに入団、57年の現役引退まで同チームのみに在籍した右投右打の内野手です。現役引退後、阪神タイガースの監督、オリックスバファローズのGM、監督更に昨年は古巣阪神タイガースのGMに就任をしていますが、何故彼が球団の重要な部門に重用されるのか、私には正直全く分からないものであります。監督やGMとしての手腕の評価は、選手への評価と違いもの凄く難しいものと思いますが、彼が重要部門に起用される度にいつも何故という疑問が消えないものです。選手としての実績や人気が抜群の場合、日本はメジャーと異なり即監督になったりするケースはありましたが、中村勝広はどう贔屓目に見てもそうと思える選手ではありませんでした。週刊プロ野球データファイルでの彼への5段階の評価では、スピード4、パワー3、テクニック3、フィールディング4、パフォーマンス3となっていますが、私にはどの項目も3のレベルに思えてなりません。よく言えばまとまりのある選手、悪く言えばどこにも特色のない選手というイメージが強いものです。

報道の虚実? (6)

2013-04-17 18:37:45 | Weblog
前回の続きです。そのキャスターは張本勲放送の回では、張本勲の守備をベタ褒めし、彼の現役時代にゴールデングラブ賞があれば、間違いなく毎年連続して受賞していたであろうとまで語っていました。選手の打撃、守備や投球等に関しての評価は各自それぞれ違っており絶対的なものではないので、今回彼の張本勲の守備に関する評価に敢えて異論を唱えるつもりはありませんが、張本勲の守備力を高く評価した人は、長く野球を見て来ていますが彼以外私は知りません。今回触れたいのはゴールデングラブ賞に関してであります。この賞は1972年ダイヤモンドグラブ賞という名称で設定され途中から名称変更になっていますが、基本的には同じ賞なので、1981年まで現役の張本勲には、受賞のチャンスは10年間もあった訳なのです。もしこれらのミスが生放送の番組の途中での勘違いからの発言なら細かく指摘するつもりはありませんが、どう見ても録画番組です。前回の藤井選手取り違いも含め、十分チェックする時間はあったかと思います。某球団の事しか関心も興味もないこの方が、自分の思い込みのみで十分な調査を全くせず発言した様に思えてなりません。

報道の虚実? (5)

2013-04-16 13:22:15 | Weblog
これは報道の虚実(?)と言うより番組、もっと言えばキャスターの発言の虚実に該当するかと思いますが、少し触れてみます。[巨人の魂アンコール]という番組があります。私が見たのは数年前のCS日テレG+でしたが、当時の登場人物の年齢からしてその時でも再放送だったかと思います。この番組はその都度、一人の元読売ジャイアンの選手の現役時代を本人の語りや画像と共に振り返り、キャスターがその選手に就いて紹介したりコメントを語る形の1時間番組で構成されています。そのキャスターのあまりにも無知というか知識のなさ、勉強不足には、度々驚かされたものです。駒田徳弘選手の通算満塁本塁打数が第3位という事に関して、彼は2位を藤井選手と資料を見ながら紹介しましたが、その紹介の仕方から阪急、オリックスで活躍した藤井康雄選手という事が全く分かっておらず、多分名前だけ頭の片隅にあったのでしょうか?藤井勇選手を連想している様な話し方でありました。次回続けます。

張本勲(33)

2013-04-15 18:49:07 | Weblog
張本勲が小差で競り合っている試合の終盤、守備要員に交代させられることを好ましく思わないという事は、それなりに結構伝わっており有名でありました。特にイニングの最初からではなく、一旦守備に就いた後或はそのイニングで味方がピンチになった時に交代させられる事を最も嫌がっていた様です。イニングチェンジの時の交代は場内アナウンスがあるだけですが、一度守備に就いてからの交代は、レフトからベンチに戻らなければならない為、打撃は超一流ながらも守備は?というイメージを観客により持たせる事もあり、更にはレフトからの距離が長い事もあり本当に屈辱に感じていたかと思います。高橋善正投手の完全試合の時の監督が、張本勲の入団時からの打撃の恩師、松木謙治郎や優勝時の監督水原茂であったならば、折角の完全試合へのチャンスなので交代させていた様な気もしますし、又張本勲も自身の守備力と記録の重さを考え従った様に推測します。その時の監督田宮謙次郎としては、大記録達成時にチームの看板選手にその場にいさせてあげたい気持ちと遠慮が重なり、交代させられなかった事に繋がるかと思います。それにしても最後の飛球、ベンチ及びファンの方が張本勲よりも震えていたのは間違いないかと思います。

張本勲(32)

2013-04-14 07:28:16 | Weblog
先週のTBSサンデーモーニングで、ダルビッシュ有が最後の一人で完全試合を逃した話題の際、張本勲が高橋善正投手の完全試合達成の時、最後の打者のレフトフライ捕球の際震えたと話し、守備に自信がないから自分の所に来るなと思っていたと珍しく謙虚に話していました。その時即疑問に思ったのが、完全試合達成かという試合に何故張本勲の代わりに、守備の上手い選手を起用しなかったのかという事でした。当日の試合状況はどんなものかと思いネットで調べて見るとスポニチの記事がありました。昭和46年8月21日、後楽園球場、東映フライヤーズ4対0で打者は代打和田博実でした。記事によると張本勲は飛んで来た平凡な打球をいつものシングルハンドキャッチではなく、拝むようにして大事そうにつかんだとあります。4点差、完全試合をも達成しそうな投手の出来からして9回裏の攻撃の可能性は非常に低かったと思います。当時の監督は前年途中からの田宮謙次郎、それ以前の監督松木謙治郎や水原茂と違い、前年当時の打率の日本記録を更新し、その年数字こそかなり落としたものの、相変わらずの打棒を誇る張本勲に対して変な遠慮があったかも知れないと思ってしまいます。次回続けます。

バートロコロン(Bartolo Colon)(10)

2013-04-13 17:28:22 | Weblog
吉井理人著の(投手論)では、バートロコロンのエキスポズ時代に就いて、ツーシームとフォーシームを見事に使い分け、走者なしの時にはツーシームを75%程度の力で殆どど真ん中に投げボールを動かす事で打ち取り、ピンチの時にはフォーシームを80%位の力で155km以上の剛球を投げていたと書かれています。更にその効果に就いては、フォーシームは球速が上がるだけではなく、いい回転でボールが伸びてくる為、ツーシームを見慣れている打者は手が出なく、見事な力のコントロールと書かれています。流石にプロの見方、正にその通りかと思います。現在のバートロコロンは、球速こそかなり落ちたものの、基本的な投球スタイルは全く変わっておらず、最近の5、6年間はツーシームとフォーシームだけで投球数の8割から9割を占めており、残り僅かがスライダーとチェンジアップという感じになっています。特にツーシームに関しては、動き方を自在にコントロール出来る様な投球をしており、打者からすれば何種類もの変化球に感じている様にも思えてしまいます。

バートロコロン(Bartolo Colon) (9)

2013-04-12 06:44:52 | Weblog
先日50試合の出場停止処分後、初登板し勝利を挙げました。球速の衰えは明らかなのですが、相変わらずのフォーシームとツーシーム中心の投球でベテランらしさを見せてくれました。その試合での最速は94マイルで、往年の球速とは程遠いものですが、投球の巧さで打者には結構速く感じていたかと思います。最近発刊された本で、バートロコロンに触れられている記述があるので、昔のバートロコロンがどんな投手か見当が付くかと思い少し引用してみます。(マウンドに散った天才投手)では、あの伊藤智仁投手がアメリカでのリハビリ中に、マイナーの招待選手で来ていたバートロコロンとブルペンの隣で投げ、そのめちゃくちゃな球の速さに、初めてストレートを投げるのが嫌になり次元が全然違ったという文章があります。全盛期には150kmを超し、もの凄く切れ味のあるストレートの持ち主の伊藤智仁投手にも、桁違いの速さを感じさせた投手がバートロコロンと言っていいかと思います。

続 渋谷誠司投手

2013-04-10 19:14:24 | Weblog
左腕快速球投手という言葉で即思い起こされるのは、一般的には黄金の左腕金田正一を筆頭に梶本隆夫、小野正一、鈴木啓示、江夏豊、比較的最近では石井一久等が思い浮かびます。各投手皆それぞれに素晴らしい実績を誇り、球の速さには定評があったのですが、実績こそ遥かに劣るものの、私にはこの左腕投手、渋谷誠司投手の名前は絶対に外せないものです。特に昭和38年、入団2年目の年、255.2イニングを投げ、14勝17敗、防御率3.13、奪三振185個の成績を挙げた渋谷誠司の球の速さは、未だに忘れられるものではありません。同年同じチームの大投手金田正一は、前年まで多少続いていた彼としてはやや低迷の時期を脱し、30勝17敗、防御率1.98という素晴らしい数字を挙げ、その速球にもかっての金田正一を彷彿させるものを見せてはいたものの、渋谷誠司の常に投げられる素晴らしい速さの球に匹敵出来るものではありませんでした。ストレートの平均球速では、間違いなく渋谷誠司が上回っていたと思います。