トシコロのありのままの暮らし


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真のボランタリーと、セフティ・ネットの両輪

2015-03-02 14:20:13 | 日記


  「バリアフリー床屋」を書いた後、思った事だが、確かに基礎年金や公的ヘルパーは障碍者や高齢者が生きていくためのセフティ・ネットであり、欠かせないものだ。それは必要であるし、より充実を政治家の皆様にお願いしたい。

  でも、セフティ・ネットも人の作るものであり、しかも、障碍者などの状況も一人一人違うから、どうしても穴ができる。それを人々が連帯して埋めていく努力も福祉社会には欠かせないし、それこそが真の「ボランタリー」だと思う。今回の床屋さんの姿勢から、学んだ事である。誰でも少し考えれば判るだろうが、ヘルパーさんだけに百%介護を任せて、他の人たちは全然関わらない社会も、冷たい社会なのだから。また、ヘルパーさん自体も一般市民であり、他の人たちとは変わらないわけだし。諸々の事情でヘルパーさんにはなれなくても、同じ人間として介護の事に関心を持ち、心を開いて関わり合う社会こそ、暖かい、真の福祉社会と言えるのではないだろうか。その場合、国や地方自治体の介護費用も少なくて済むから、財政の為にもなるし。

  従来の「床屋さんが家に来て散髪」の方式では、その準備や後始末、切った髪の掃除の為のヘルパーを臨時に頼んでいた。それが今回は必要なくなった。もちろん、寝たきりなどで、どうしても床屋に行けない人たちには訪問床屋や、その準備などのヘルパーさんが必要だが、介助があれば行ける身障者は行った方が良いし、身障者本人も気持ちが良いわけである。

   もう一つ付け加えると、ボランティアの本来の意味は「市民同士の助け合い」である。40年前の日本では、ボランティアする人たちもその意味が判らず、必要もないのに障碍者にやさしくしたり、遠い施設に慰問するような人たちもいたわけだが。その意味もきちんと理解する必要があろう。

  良い床屋に出会い、貴重な体験を僕はしたものである。