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歴史的に見た新聞

2015-03-17 11:24:47 | 日記


  あれから、新聞を歴史的に見てみた。江戸時代の日本の「瓦版(kawaraーban)も新聞の一種に入れて。

  「報道」なるものは中世や封建時代にはなかった。それがヨーロッパでも、日本でも、町人たちが知力や経済力を持つようになった近代や江戸時代に、諸々の出来事を世間に伝えようとして、「新聞」の卵が生まれ、町人文化を盛んにして、封建社会の基盤を崩していった。マルクスは「ブルジュワジーの経済発展」が封建制を崩したと言っている。それも事実だが、その他に新聞の卵の功績も見逃せない。封建制末期においては、新聞は社会や福祉の進歩に貢献したわけである。

  でも、20世紀になり、次第に各国の新聞は独り歩きをして、国王などの領主に代わり、人々の心をいつの間にか、支配してしまった。でも、新聞は人間の知性が作ったものである。知性は大事だが、それでも、人間の心や人生は割り切れないものがある。本当は心や人生は非常に大きいのに。そこに問題点があったように思われるが。

  ヒットラーなどのナチス一味は盛んに新聞とラジオを操作して、人心を掌握した。又、ナチス一味も、少年時代から「イギリス兵の戦死者39人、ドイツ兵の戦死者25人」式の新聞記事やラジオ放送を聞いていたはずである。それで人間がロボットみたいに思えて、後に自国民を徴兵したり、「悪いロボット」だとして、ユダヤ人やロシア人などを徹底的に虐殺した。又は、「欠陥ロボット」として、障碍者を虐殺するとか。そのような気がしてならないわけである。

  「新聞の功罪」についての正式な歴史評価はまだ出ないと思う。未来において、きちんとした歴史的評価が下されるだろう。

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