トシコロのありのままの暮らし


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福祉の心伝えについて

2015-03-12 11:36:43 | 日記


  「阪神・淡路大震災」に遭われた人たちの恐ろしさの事をブログに書いた後、気が付いた事がある。

  これまで僕は多くの身障者、ハンセン氏病元患者、福祉関係者の本や手記、手紙を読んだり、話を聞いてきたが、大体、論文を読む・論説を聞く感じで、理屈的にとらえてきたのだ。障碍の有無の別なく、僕の多くの旧友たちも同じだった。1980年前後に多く僕と交流した学生ボランティアさんたちも。

  でも、心は本当は理屈ではとらえられないのだよね。福祉で大事なことは、例えば、「在宅で暮らしたい」とか「施設隔離はいやだ」、「身体障碍を持っていても、恋愛や結婚がしたい」などの訴えや叫びだと。あるいは、「ヘルパーさんたちの生活を保障してくれ。議員さんたち、頼む」みたいな。それらは文章化とか、会話化、本にすることは不可能。それゆえ、実際は僕もそれらの本や手記などからは何も得ていないし、僕の多くの旧友たちも同じだと。

  僕も以上に気が付かず、今までは福祉の事を文章化してきた。今後、それは一切やめることにした。僕の今まで書いたものも、多くの他人に誤解を生んできたと気が付いたからだ。あるいは、上べだけしか伝わなかったり。これでは、反福祉行動だったと思う。今までの僕の一番の問題も、福祉などの事を文章化してきた事だったと。今はすでに国会議員さんたちに「訴え」の言葉を送らさせていただいているが、その要領でいい。他の人たちにもそうすればいいと。

  マスコミの発達している現代は、誰でも言葉信仰になり、福祉に限らず、ありとあらゆる事を多弁したり、長文化したりしがちだが、考えものだと思う。