トシコロのありのままの暮らし


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仏教の「愛」の見方など

2020-04-15 10:02:06 | 日記
愛も「我執の延長」という見方である。つまり、自分・エゴへのこだわりの延長。ケンカや戦争も我執のもつれから起きると。


  判りやすいし、少なくとも、人間本位の愛は以上の通りである。あるいは、そのような性質が愛に元々あるにしろ、そこに「神の意のままに」という事があれば、マザー・テレサみたいな事もできるのだろう。とは言え、どれだけの人がマザー・テレサみたいになれるのだろうか。僕の出会った全クリスチャンも、無論、マザー・テレサみたいではなかった。少なくとも、聖書を読む・聖餐式を受けるでは、そのようにはならないわけである。

  仏教は、「死に行く弱い自分の身にこだわる事は愚かしいこと」と説いている。死を見つめ合う事がつなぎとか連帯、思いやりを産むと。慈悲とか。平等にもなると説かれている。

  その仏教的な価値観は明治維新直後の廃仏運動で打撃を受け、余り受け継がれなくなった。戦前政府は天皇の現人神化を強制した。ムリがあり、また、国家神道からは大した価値観は生れず、終戦で終わった。戦後も仏教価値観は復活せず、かと言って、何かの道を求めてキリスト教に行く人たちも、日本には聖書の伝統はなく、又、世界的な人間中心の発想にも流されて、クリスチャンのかなりも中途半端な信仰・小さな愛しか持てなかった。そのあがきの一部が僕の見た島田療育園の挫折であり、ある教派の牧師のレイプ事件だった。どちらもマザー・テレサとは違い、真の神に相手にされなかった、自らも神を本当は相手にしなかった。悲しく、寂しい状況である。...。