トシコロのありのままの暮らし


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連帯について想う

2020-04-07 11:27:29 | 日記
 コロナ流行で僕が一番先に思った事は「死」の問題だが、その次は「連帯」である。少し述べる。


  危機の時はかなりの人々が「連帯して乗り越えなければ」と思うようになるし、又、その思い以前に、連帯の方向に向かうわけである。僕の多くの縁者たちもそのような傾向が今は強い。自分・人間の弱さも悟り。確かに、「人間は弱い」と悟り合わなければ、連帯も生じないわけだから。常に死が満ちていた鎌倉時代に書かれた「歎異抄」でも、「御同胞」という言葉がよく出てくる。まさに「連帯」を現わす言葉である。封建時代の枠組みがあったので、限界があったとは言え、そこから人間は平等という考え方も生じ、日本社会の底辺に受け継がれ、明治憲法の「四民平等」や、戦後憲法の「法の下に平等」という考え方にも絡んだかもしれないとさえ思う。日本型民主主義とか。

  でも、このような歴史があるにも関わらず、人々は時々連帯を忘れる時代もある。昭和初期の「エロ・グロ・ナンセンス」流行で政治や社会の事を忘れる人たちが多かった事や、戦後も最初は連帯したが、後にどういうわけか、連帯を忘れ、1980年ごろの首都圏では、身障団体やボランティア団体でさえ連帯ができず、挫折も多かった。その後はもっと連帯に遠ざかった。東日本大震災の時に叫ばれたが、すぐ忘れられたようだった。でも、今回のコロナで連帯するような人たちが多くなった以上、大震災の時の事はムダではなかったと思うわけである。

  僕、及び、旧友たちの経験からも、連帯は恋愛や結婚と大いに関係すると思う。どうも連帯を欠いた場では、対異性は肉体的な魅力しか見えない。でも、連帯すれば、するほど、精神的な魅力も見えてきて、人間らしい恋愛も可能になる気もするわけだ。確かに、連帯を欠く場では、各人が独り言ばかりしか言わないわけだから、他人の細かい心の様子も伝わってこず、目に見える肉体魅力しか見えない。言えている。それで結婚しても不幸になるだけだ。離婚とか。

  でも、連帯が下敷きになれば、異性の細かい魅力も伝わってきて、特に性格が合う異性と恋に落ちる事も多くなるわけである。同性同士の友情にも言えるし。何事も、連帯が先決だろう。

  連帯の件は経済構造にも影響するが、これからの経済は誰にも予測できないので、それは今は書かない。

  人間は皆弱いから、連帯するわけである。