とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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民族対立は毛帝国終わりの始まりか

2009年07月14日 12時39分39秒 | 海外の出来事
ウィグルの暴動といえ昨年のチベットの暴動といえ、20年前の天安門事件といえ中国政府の対応はすべて同じ。

なんになんでも力で押さえつける方法だ。

これまで、
「どこどこの地方都市で暴動があった。」
「一揆が発生した。」
なんてことがインターネットを通じて「噂」として流されていた。
そういう比較的小さな規模の反政府的行動は、政府の力によって押さえつけることができていたのだろう。
なんといっても中国メディアはすべてが御用新聞。
情報操作なんか簡単だ。

が、ここにきて中国メディアでさえ隠し切れない国内の騒乱が相次いでいるようだ。

その騒乱の原因は思うに、経済危機。

日経や朝日新聞をはじめ、日本のメディアは分析能力がないからか、それとも中国に進出している企業、イコール己がクライアントに遠慮してか、本当の中国をなかなか伝えない。
伝えないどころか、最近の報道では、
「中国は経済危機を脱出し、世界経済の牽引を始めた」
とさえ言い始めている。

でも実際は、中国が経済を牽引というそれは事実ではない、という意見が欧米のメディアが伝え始めている。

その証拠の一つに電力消費量があるそうで、中国国内の消費電力はリーマンショック以前から下がり始めており、今もその傾向は変わらないのだという。

もし、経済が回復し、工場や都市が機能し始めているのであれば当然、電力消費量は上るはずだ。
それでも経済が回復しているというニュースを流し続けるのは、海外へ向けたメッセージではなく、きっと国内にむけたものに違いない。

「黙って共産党政府について来い!」

と言いたいのだろう。

考えてみれば中国の経済政策なんか建国以来すべて虚偽で固められている。
その建国の父、毛沢東は「大躍進」で中国経済を「発展」させ、それに続く「文化大革命」で文学や思想、伝統などの不要なものは駆逐して現在の国民性の「礎」を作った。
それぞれの時期は政府発表で国家経済が発展し、きらびやかな中国4000年の歴史に新しい年輪を刻み続けていた。
しかし、その背後では何千万人の国民が権力によって命を絶たれていたわけだから、なにが輝きなのかわからない。

で、よくよく考えてみるとこの国には次の公式が成り立つことに気がつく。

「中国の経済発展 イコール 無数の犠牲」

ウィグルで騒動が発生するのもわからないではないのだ。