とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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火付けは死罪

2009年07月08日 07時40分44秒 | 社会
大阪市此花区のパチンコ店の放火事件と、大阪市浪速区の個室ビデオ店の放火事件、そして秋葉原の無差別殺人の根底は同じかもしれない。

社会に対するうっ屈した不満をぶちまけるために、相手を選ばず殺戮していしまうやり方は、まるで殺虫剤で虫を殺す感覚に似ている。
犯人はもはや相手が人間なのか、それとも虫けらなのか。
その判別がつかないほど社会に対する怒りを蓄積していたのだろう。

犯人の男は山口県で警察に出頭。
明らかに裁判での極刑を回避するための計算された行動だ。
こういう輩に人権派などと呼ばれる弁護士(例えば山口県光市の母子殺人事件の犯人を汚した「ドラえもん弁護士」のような存在)がことがややこしくなる。

根本的にこういう犯人だろうが人権は弁護士だろうが、が出てくるその根本的原因は教育にあるのだと思う。
労働組合を組織しする教師や、それらの活動をどうすることもできず、ただただ事なかれ主義で通してきた教育委員会など役所の体質が「残虐な犯罪」という姿になって社会に襲いかかってきているわけだ。

江戸時代。
火付けは死罪と決まっていた。
その処刑方法も「火あぶり」という耳にするだけで残酷な方法だった。
尤も、江戸時代の「残酷さ」は多くの場合、そのイメージだけである場合が多く、物の本によると火あぶりの刑があまりに囚人が苦しむため予め縊死させ、それをさも生きているように見せかけて大衆にさらし、「死罪」による犯罪防止を試みていたのだという。

此花の事件にしろ浪速区の事件にしろ、事態は深刻だ。
火付けは死罪。
少なくともそうしなければ、次の同様な事件が起こるかも知れない。