「『アウンサン・スーチーさんに会いたいんですけど、会えますか?』なんてメールが届くことがあるんです。日本人のお客さんから。会えるわけなんですけど、困るんですよね、そんなメール貰うと」
と言っていたのは、ミャンマーでのお世話になっていたガイドのTさん。
Tさんが勤めていた旅行社には「スーチーさんに会いたい」というメールが時々届くのだという。
日本人にとってミャンマーは映画「ビルマの竪琴」に代表されるように先の大戦で17万人以上の兵隊さんが亡くなった激戦の地というイメージがあるのだが、それは中年以上の年配の人々の話。
若者にとっては「民主活動家アウンサン・スーチーさんの国」という印象が強いようで、日本の社会的感覚でしか考えられないので、政治犯扱いされているスーチーさんに段取りだけすれば会って話ができると思い込んでいるようなのだ。
誠にもって、おめでたい話ではある。
この「おめでたい日本人」をホントに実行してしまったのがアメリカ人ウィリアム・ジョン・イエトーなる自称ジャーナリストの人物。
日本人なら旅行社に問い合わせて「申し訳ありませんが」という返事を受け取った時点で諦めるのだが、この人の場合は人の家の垣根を越えて不法侵入。
自分自身逮捕されたばかりではなく、スーチー女史にも迷惑をかけたのだからたまらない。
スーチー女史が監禁されている屋敷の前を私も何度となくタクシーで通りすぎたことがある。
ここを通りすぎるまでは、私はかの悪評ばかりの軍事政権が女史を刑務所のような屋敷に監禁し、装甲車や機銃で武装した一個小隊くらいの兵士で囲んでいるのだと思っていた。
ところが実際はまったく違っていた。
物々しい雰囲気はまったくなく、ごく普通の屋敷の前に、この国では県境や街境でよく見かける紅白のラインの入った「踏み切り」スタイルの簡易バリケードに似たり寄ったりの粗末なゲートが置かれ、そこを2~3人の兵士が警護に詰めている、といった程度なのであった。
「カメラ出したり写真撮らないでくださいね。ここ、スーチーさんの家です。」
と教えてもらった時は、拍子抜けしてしまったくらいだった。
だから、「監禁」といっても重大犯罪者に対するそれではなく、まるで江戸時代の「蟄居謹慎」に近いものであることを知った。
つまり、無理をすれないつでもスーチーさんの屋敷に忍び込むことはできるし、スーチーさん自身、脱出することも物理的にはそんなに難しい様子でもないことを知った。
いつか、誰かがスーチーさんの家に忍び込むのでは、とも思った。
そんな想像が今回現実化したことで、ミャンマーの日本の封建時代に似た穏やかだが重々しい政治状況は新たな局面を迎えてしまったように思える。
アメリカ政府はイエトーという自称ジャーナリストとなんら関係がないようなことを言っているが、例え関係ないとしても日頃この国でやっている行為を見ると、誰も「お気の毒です」とは言えない状況だと思う。
というのも、アメリカ政府は最近このスーチー女史の自宅近くに大使館を新築したばかりだ。
「ある意味、アメリカ政府の嫌がらせなんです」
というのも地元ガイドさんの話。
正直、一般のミャンマーの人たちはスーチーさんへの期待は薄く、アウンサン将軍の血筋であればむしろバガンに住むスーチー女史の兄に期待しているようなところもある。
いずれもミャンマー国籍の人たちではないという現実も加味されているのだろう。(スーチーさんは英国、兄は米国籍)
ところでミャンマーへ何度か足を運んでみたこの国への私の印象は、「超内向的な性格の国」というもの。
自己主張が気の毒なくらい下手くそで、誤解ばかりを受けている。
そのくせ、海外から手を差し伸べられると頑なに断り続ける異常に頑固でプライドの高い面も持ちあわせている。
基本的に他人にはこちらが恐縮するほど親切で、親しみやすく、陽気な人々の国だけど、余計なことはあまり話したがらない。
という特徴があるのだ。
率直に言って古き良き日本人の性格に良く似ているのだが、日本人は内向的ながら、その内向的な中に漲っているエネルギーを外向きに放つ能力を備えていて、それが世界トップレベルの国家に押し上げているのだが、ミャンマーは基本的に内的に漲っているエネルギーを外に放出することが少ないのだ。
日本のマスコミが十分にこの国について説明をしていないという問題もからんでいるが、ミャンマーが他の東南アジアの国々とさして政治体制が変わらないにも関わらず、旧西側諸国、とりわけ米英から非難の対象にされ続けている原因がスーチー女史以外に別にちゃんとあることを日本人は知らなければならない、と私は考えている。
つまりどういうことかというと、このミャンマーは世界有数の天然資源大国でもあるのだ。
国内からはほどんど全ての種類の宝石が産出する。
ヤンゴン市内の宝石博物館に行くとそのバラエティーさを見ることができる。
また、銅やニッケルなどの先端技術に必要な鉄以外の金属も豊富だ。
さらに、アンダマン海(1987年に北朝鮮のテロで爆破された大韓航空機が墜落したエリア)には膨大な石油が眠っていることが知られていて、ここの開発は世界中の国々が注目しているのだ。
すでにドイツの会社が調査し、中国の会社が開発しようと動き始めている。
スーチー女史を問題にしてこの地域の主導権を握るのが米英の魂胆でもある。
正直、今回のスーチー女史の裁判は私も興味がある。
というのも、英国大使館員の傍聴を許可しているからだ。
ミャンマー人は基本的に英国人、インド人、中国人が大嫌いなのだが、そのなかでもとりわけ英国人を嫌うという。
過去に植民地として100年間も搾取されれば分からないでもない。
その大嫌いな英国人の傍聴を認めているわけだから、いつものようなごり押し、でっち上げ判決も出せないだろう。
なお、スーチー女史はかつて大阪府高槻市に住んでいたことがあり、日本語が話せるということを聞いたことがある。
そんなこともあって、
「スーチーさんに会いたい」
メールを送る、おめでたい日本人がいるのかも分からない。
と言っていたのは、ミャンマーでのお世話になっていたガイドのTさん。
Tさんが勤めていた旅行社には「スーチーさんに会いたい」というメールが時々届くのだという。
日本人にとってミャンマーは映画「ビルマの竪琴」に代表されるように先の大戦で17万人以上の兵隊さんが亡くなった激戦の地というイメージがあるのだが、それは中年以上の年配の人々の話。
若者にとっては「民主活動家アウンサン・スーチーさんの国」という印象が強いようで、日本の社会的感覚でしか考えられないので、政治犯扱いされているスーチーさんに段取りだけすれば会って話ができると思い込んでいるようなのだ。
誠にもって、おめでたい話ではある。
この「おめでたい日本人」をホントに実行してしまったのがアメリカ人ウィリアム・ジョン・イエトーなる自称ジャーナリストの人物。
日本人なら旅行社に問い合わせて「申し訳ありませんが」という返事を受け取った時点で諦めるのだが、この人の場合は人の家の垣根を越えて不法侵入。
自分自身逮捕されたばかりではなく、スーチー女史にも迷惑をかけたのだからたまらない。
スーチー女史が監禁されている屋敷の前を私も何度となくタクシーで通りすぎたことがある。
ここを通りすぎるまでは、私はかの悪評ばかりの軍事政権が女史を刑務所のような屋敷に監禁し、装甲車や機銃で武装した一個小隊くらいの兵士で囲んでいるのだと思っていた。
ところが実際はまったく違っていた。
物々しい雰囲気はまったくなく、ごく普通の屋敷の前に、この国では県境や街境でよく見かける紅白のラインの入った「踏み切り」スタイルの簡易バリケードに似たり寄ったりの粗末なゲートが置かれ、そこを2~3人の兵士が警護に詰めている、といった程度なのであった。
「カメラ出したり写真撮らないでくださいね。ここ、スーチーさんの家です。」
と教えてもらった時は、拍子抜けしてしまったくらいだった。
だから、「監禁」といっても重大犯罪者に対するそれではなく、まるで江戸時代の「蟄居謹慎」に近いものであることを知った。
つまり、無理をすれないつでもスーチーさんの屋敷に忍び込むことはできるし、スーチーさん自身、脱出することも物理的にはそんなに難しい様子でもないことを知った。
いつか、誰かがスーチーさんの家に忍び込むのでは、とも思った。
そんな想像が今回現実化したことで、ミャンマーの日本の封建時代に似た穏やかだが重々しい政治状況は新たな局面を迎えてしまったように思える。
アメリカ政府はイエトーという自称ジャーナリストとなんら関係がないようなことを言っているが、例え関係ないとしても日頃この国でやっている行為を見ると、誰も「お気の毒です」とは言えない状況だと思う。
というのも、アメリカ政府は最近このスーチー女史の自宅近くに大使館を新築したばかりだ。
「ある意味、アメリカ政府の嫌がらせなんです」
というのも地元ガイドさんの話。
正直、一般のミャンマーの人たちはスーチーさんへの期待は薄く、アウンサン将軍の血筋であればむしろバガンに住むスーチー女史の兄に期待しているようなところもある。
いずれもミャンマー国籍の人たちではないという現実も加味されているのだろう。(スーチーさんは英国、兄は米国籍)
ところでミャンマーへ何度か足を運んでみたこの国への私の印象は、「超内向的な性格の国」というもの。
自己主張が気の毒なくらい下手くそで、誤解ばかりを受けている。
そのくせ、海外から手を差し伸べられると頑なに断り続ける異常に頑固でプライドの高い面も持ちあわせている。
基本的に他人にはこちらが恐縮するほど親切で、親しみやすく、陽気な人々の国だけど、余計なことはあまり話したがらない。
という特徴があるのだ。
率直に言って古き良き日本人の性格に良く似ているのだが、日本人は内向的ながら、その内向的な中に漲っているエネルギーを外向きに放つ能力を備えていて、それが世界トップレベルの国家に押し上げているのだが、ミャンマーは基本的に内的に漲っているエネルギーを外に放出することが少ないのだ。
日本のマスコミが十分にこの国について説明をしていないという問題もからんでいるが、ミャンマーが他の東南アジアの国々とさして政治体制が変わらないにも関わらず、旧西側諸国、とりわけ米英から非難の対象にされ続けている原因がスーチー女史以外に別にちゃんとあることを日本人は知らなければならない、と私は考えている。
つまりどういうことかというと、このミャンマーは世界有数の天然資源大国でもあるのだ。
国内からはほどんど全ての種類の宝石が産出する。
ヤンゴン市内の宝石博物館に行くとそのバラエティーさを見ることができる。
また、銅やニッケルなどの先端技術に必要な鉄以外の金属も豊富だ。
さらに、アンダマン海(1987年に北朝鮮のテロで爆破された大韓航空機が墜落したエリア)には膨大な石油が眠っていることが知られていて、ここの開発は世界中の国々が注目しているのだ。
すでにドイツの会社が調査し、中国の会社が開発しようと動き始めている。
スーチー女史を問題にしてこの地域の主導権を握るのが米英の魂胆でもある。
正直、今回のスーチー女史の裁判は私も興味がある。
というのも、英国大使館員の傍聴を許可しているからだ。
ミャンマー人は基本的に英国人、インド人、中国人が大嫌いなのだが、そのなかでもとりわけ英国人を嫌うという。
過去に植民地として100年間も搾取されれば分からないでもない。
その大嫌いな英国人の傍聴を認めているわけだから、いつものようなごり押し、でっち上げ判決も出せないだろう。
なお、スーチー女史はかつて大阪府高槻市に住んでいたことがあり、日本語が話せるということを聞いたことがある。
そんなこともあって、
「スーチーさんに会いたい」
メールを送る、おめでたい日本人がいるのかも分からない。