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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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千日回峰行というイベント

2007年10月20日 21時35分02秒 | 社会
天台宗の方々には非常に申し訳ないと思うのだが、私には荒行や苦行を行う修行僧は超人的なマジックを通じて宗教的なイベントを実施するタレントや興行師にしか見えない。
つまり荒行を行う修行僧は引田天功(初代)と紙一重としか思えないのだ。

なぜなら、お釈迦様は「荒行や苦行は無意味だ」とおっしゃっているからだ。

荒行や苦行は仏教とはなんら関係なく、むしろお寺さんが荒行や苦行を通じて仏教を宣伝するのは、これお釈迦様の教えに反することにほかならい。

手塚治虫の長編漫画「ブッダ」を読むと、お釈迦様の一生を楽しく気楽に学ぶことができる。
この漫画のブッダでも「苦行は無意味」と悟ったお釈迦様のエピソードが描かれており、苦行を行ったからお釈迦様が仏教の教えに目覚められたのではないことを子供でも分かるように説明されている。

このお釈迦様が「苦行は無意味だ」と悟ったという話は、なにも手塚漫画の世界だけのフィクションではない。
タイやミャンマー、ベトナムなどの仏教国へ行っても同じ話を聞かされるので、まずは間違いない話なのだ。
ウソだとお思いならバンコクのワットプラケオへ行くと、お釈迦様の一生を説明した壁画があるし、ミャンマーの僧院へ行きご住職に質問すると懇切丁寧に教えてくださることだろう。(通訳は要ります)

「千日回峰行」を行っている滋賀県在住の修行僧が明日の朝「堂入り」というイベントを明日終えるそうだが、テレビや新聞はどういうわけか「立派なお坊さん」のように讃える記事やニュースを報道している。
しかし私に言わせれば、そんなくだらないイベントを喜々として行うのなら、どうしてそれだけのエネルギーを人生に悩んでいる人や困っている人、自殺を考えている若者や道を失った人々の救済に当てないのか。
理解に苦しむ。

僧侶というのは仏教の思想に基づいて人々を救済するのが職務のはず。
断食してお経をお唱え続けたり、自衛隊のレインジャー部隊よろしく山谷を駆け巡ることが仕事ではない。
こういう「イベント」を大切にするあまり、仏教の根幹を見失い葬式でお経を唱えるだけの葬式屋に落ちぶれてしまっているのが今の仏教界だ。

お釈迦様の言う荒行とは人生で経験する様々な出来事に他ならず、お寺にこもって世間と隔絶することが荒行ではない。

大切な人を病や事故で亡くすること。
また自分自身が病で苦しむこと。
さらに年齢を重ねて老い衰えていくこと。
そして誰もがいずれ死にいくこと。

したがって、荒行はこれらに代わるものでは決してない。

これら人生において誰もが逃れることのできない苦や悩み、悲しみなどをいかに乗り越え、人生の意味を見いだすのか。
そのヒントを導き出し人々に伝え教えるのが僧侶の仕事なのだ。
だからこそ僧侶は尊敬される存在でもある。
葬式で読経料をもらって商売している場合ではない。

ということで、修業に励む立派なお坊さんには申し訳ないが「千日回峰行」なんて、高級官僚になるための実技試験(=試験というものは自分自身だけのために存在する)程度でしかないと思えて仕方がない。
意地悪を言うと「自分の名前を売りたいだけじゃないのか」。
そんな感想を抱かせるのだ。


オタクとバブル時代の3Kとの関係

2007年10月15日 21時15分09秒 | 社会
昨日のTBS(大阪はMBS)系テレビで放送された和田アキ子の番組で「初音ミキ」というバーチャル歌手のソフトが取り上げられ、「オタクならではの『キショイソフト』」と扱われ批判を生んでいるようだ。

テレビにとって「オタク」とはキショイ存在でなくてはならず、彼らが繰り出す様々な新機軸は「非難すべき対象」にすぎないのだろう。

最近はなんでも「オタク」ということで済まそうとする気配が濃厚だ。

「あの人は鉄道オタクだから」
「あの人はアイドルオタク」
「あの人は飛行機オタク」
「あの人は切手オタク」

というような使い方で、オタクという言葉を悪い方へ、印象の良くない方向へ持ち出している。

ところがテレビが「オタク」と呼ぶ人たちの多くは、実はある種のスペシャリストで飛んでもない技術を持っている人たちだ。
例えば昨日の「初音ミキ」を使う「音楽オタク」たちも自分で楽器を操り、作曲をしている。
また「漫画オタク」は漫画を読むだけでなく描くこともできる場合が多い。
「鉄道オタク」には技術者が少なくなく、「アニメオタク」のアニメーションに関わる博識ぶりには脱帽せざるを得ないものも少なくない。

要は、学問として確立していない分野に関する「スペシャリスト」をその特異な性格を利用して「オタク」と蔑んでいるに過ぎない。

そして「オタクはキショイ」という人の多くはだいたいにおいて芸がない。

時代を遡ると、バブル時代「3K」と呼んで忌み嫌っていた職業がある。

「キツイ」
「キタナイ」
「キケン」

これは製造業であり、建設業であり、技術職だ。

結局この「3Kは大嫌い」と称していた人々がバブルが過ぎ去ると全く仕事のできない人たちで、現在リストラされて悪戦苦闘の中にいる。

ということで、「オタク」という言葉の裏側には「3K」に共通した芸(能力)無き民の戯言に聞こえるときがあるのだが。
いかがか?

疑わしい海外留学の正当説

2007年10月11日 06時28分26秒 | 社会
「○○社長の息子さんなんか、日本の学校に通ってませんよ。あの社長は日本の教育なんて受けさせない」

うちの会社の顧問をしている60代のUさんがさも当然のように私に対してつぶやいた。

なんでも大阪に本社のある大手化学メーカーA社社長のご子息は日本国内での教育は「良くないので」受けさせず、全員小学生の頃から欧米の学校に通っているのだということだ。

戦後世代。
とりわけ団塊の世代の人たちの間には、どうやら留学正当説が生きており、未だに海外留学は「全て正しいことだ」という幻想を抱いているらしい。

海外留学が正しいという考えの背景には欧米の教育が日本のものより優れているという前提がある。
この前提。
果たして正しいかどうか疑問である。

というのも、第二次大戦後半世紀。
貧乏のどん底から自分の力ではい上がり、国家の経済と科学力を世界トップに座に到達させた国は、どう見回しても我が日本だけ。
戦勝国であるはずのイギリスはアメリカに手形の裏判を捺印してもらわなければ復興できず、フランスなんかは富をかすめ取るためインドシナ(ベトナム)に強盗を働いたが手痛いしっぺ返しを食らってぼろぼろになった。
オランダは独立したインドネシアからどういうわけか「独立に伴う賠償金」をぼったくったが、ヨーロッパ以外の歴史からはほぼ消滅。
隣の中国は言うに及ばず。
で、留学先の中心であり続けるアメリカ合衆国も差別はなくならないし、犯罪は未だに多いし、国民のほとんどは未だに国内のことしか関心がない。

一方、戦前に日本の教育を受けた台湾、南朝鮮は繁栄し、今や日本下請け(=ミニジャパン)から独自の色を出し始めている。

欧米の教育が優れているのか。
いったい外国に何を学びに行くのかわからない。
海外留学は正しいのかどうか。
疑問が浮かばないことが私には疑問だ。

「こん度、語学留学するんです」
と以前通っていた英会話スクールで知り合った20代のOLさんが言っていた。
英語をマスターするなら日本国内でできるじゃないか、と私は思ったが、
「ああ、そうですか。がんばってくださいね」
と一応励ましておいた。

英語に仏語、ドイツ語、イタリア語、北京語、広東語、タイ語にベトナム語、ポルトガル語あたりは言葉をマスターするだけなら日本国内だけで十分だ。

「今度、文化を学びに行くんです」
「熱帯病理学の研究です」
「金融制度の比較研究です」
「航空宇宙工学の研究です」
「政治学の勉強です」

なんて理由なら海外留学大いに結構。

A社社長の子息の留学話を聞いた私は中学時代の同級生K君を思い出した。
K君。
医者の息子。
お金持ち。
1970年代で家にビデオがあった家庭の末っ子。

高校入試にことごとく失敗したと聞いていたら「オレ、アメリカへ行くねん」と言って留学した。

当時留学は高嶺の花で、羨望の的。

しかし、K君の高校で海外留学の話を聞いたとき、私は海外留学の本質を見たような気分になった。

初老の世代を中心に、みんな憧れる海外留学。
果たして正しいのかどうか、疑問である。

フェスティバルゲートの入札

2007年10月10日 07時23分17秒 | 社会
大阪市が総合娯楽施設「フェスティバルゲート」を来年2月に入札にかけると発表した。

「暴力団には使わせない」
「風俗産業にも使わせない」
「契約後5年間は市の指導に従うこと」

いったい誰が応札するのか、注目したいところだ。

200億円の公費(つまり市民が払った税金)を投入して清算した大阪市の失敗ビジネス。
この「初めから成功するはずない」と言われていた計画を立案し実行に移した大阪市。
その市の担当役人たちがなんらかの処分を受けた、なんてことは未だに耳にしていないので、お役所というのは民間企業とは別世界としか言いようがない。

この別世界の役人たちが作り上げたフェスティバルゲートは新世界という、大阪でも有名な観光スポットに位置している。
「串カツ」
「通天閣」
「ジャンジャン横丁」
「将棋クラブ」
「囲碁クラブ」
庶民の街として全国的にその名を知られている。

最近でこそポピュラーになったこの街も、つい数年前までは場末の代表。
私の外国人の友人をして「skid row」と言わしめた土地柄だった。

東京山谷と並ぶ労働者の街あいりん地区の外縁に位置し、すぐ近くには飛田なる遊廓街も存在する。

また、この新世界のある浪速区や国道を挟んで南側に位置する西成区は大阪利権の盛んな地域でもある。
利権の象徴と言われた芦原病院はここからすぐ。
「なんば」という大阪を代表する繁華街からもさして離れていないのに、再開発が遅れているのも、複雑で様々な理由が混在する。
そんな地域でもあるのだ。

したがって市がからんだ公共施設の建設となると、地元の利権絡みの業者があの手この手を駆使して受注にありつこうとするらしい。
例えば、先年新築された西成区役所の建設工事では、あらゆる計画が極秘扱いされ(=良いことではないか)入札直前まで、備品一つも戸板一つもわからないよう職員は計画に対する徹底した箝口令を引いていた。
しかし、これは公正な入札を行うための箝口令ではなく「地元業者に脅されないため」「命を守るため」の箝口令だったような気配もある。

このようなある意味「多様性に富んだ地域」でフェスティバルゲートが公正な価格で建設され、運営されていたとは言い難い。
現在でも警備費用だけで年間数十億円を浪費している「特別な施設」なのだ。

入札を実施し、フェスティバルゲートの健全化を目指すなら、まず計画、開発、建設時点からの洗い直しと、市民の納得のいく関係者処分。
完全開示の今後の計画とその検討を行うべきではないだろうか。

当たり前でくだらない条件を付帯させ、入札したら「あとは民間で考えて」なんて市の対応に腹が立つ。
(関という市長はまったくもって無能です)

なお、フェスティバルゲートは新世界を明るくしたことも間違いない。
あいりん地区の安宿街もバンコクのカオサン並のバックパッカーの街へと変貌してきている。
労働者の街から家族連れで安心して楽しめる街へ。
そのポジティブな変化はまだ始まったばかりなのだ。

レジ袋廃止の愚

2007年10月02日 20時59分08秒 | 社会
今年のベストセラー「環境問題はなぜウソがまかり通るのか 2」(洋泉社刊 武田邦彦著)というペーパーバックを読んでいて、またまたなるほどと感心した。
というのも、レジ袋廃止運動ほど「非論理的なものはない」と同感したからだ。

考えてみればこの本が指摘するようにレジ袋は家に持って戻っても、そのまま捨てる人はまずいないだろう。
さすがにホームレスのおっちゃんのように台車の把手に括りつけて全財産を入れておく、なんて用途には利用しないが、大抵はゴミ袋になって有効に使われる。

このゴミ袋はレジ袋がないと購入しなければならず、非常に効率が悪くなる。
レジ袋なら「無料」でゴミ袋が手に入るのに、レジ袋が廃止されると「有料」になってしまうからだ。

環境問題をレジ袋廃止の理由に挙げているが、これも確かに「非論理的な理由だ」と言わなければならない。

スーパーや商店、役所などが「環境問題」を理由にレジ袋を廃止しようとするのであれば、「お買い物は徒歩か自転車を利用しよう。と言うべきだ。
郊外型大型商業施設を作って売り上げを上げているイトーヨーカードーやイオン・ジャスコはこのへんをしっかり理論つけていただきたい。
排気量1500ccを超えるような乗用車を利用することのほうが、よほど環境に良くないことは間違いない。

お買い物のために往復1リットル以上のガソリンを消費するよりも、徒歩や自転車でお買い物に出かけたほうが、健康にはいいしガソリンもいらない。
第一に、レジ袋1枚の製造にはガソリン1リットル分の油はいらない。

この際、阪神タイガースの海外担当オマリーに出てきてもらって、
「オカイモノハ、デンシャカ、バスデ、スーパーニ、チュウシャジョウハ、オマヘ~ン!」
と叫ばしてはどうだろう。

この本はまだまだ読んでる途中だが、「言われてみれば、あ、そうか」という内容が、今回も一杯だ。

泣き虫弁護士

2007年09月21日 08時38分17秒 | 社会
山口県光市の母子殺人事件の「元少年(=現在はタダの人殺し)」の弁護士が記者会見で泣き出した。

とんでもない男の弁護を引き受けた自分が情けなくて泣き出したのかと思っていたら、「少年がやっと真実を話し出してくれたんです」と言って泣いたという。

まったくもって社会を舐めた弁護士である。
「ボクを舐めないでください」
と法廷で元少年は凄んだそうだが、人を舐めたところが弁護団もまったく一緒。
バラエティ番組でのタレント弁護士の発言に噛みついたのには苦笑したが、泣き出した姿は「さすが、こういう感覚。こういう資質、こういう人格でないと、こういう弁護は勤まらない」と確信させるに十分だった。

まあ、弁護団と少年のタッグは類は友を呼ぶのことわざ通りだったというわけだろう。

それにしても元少年の弁護団の弁護士達はどうかしている。
確かに犯罪者も弁護士を立てる権利は当然あるが、弁護士が犯罪を養護する存在であることに著しい違和感を感じる。
法律を逆手にあれやこれやと卑怯な手を繰り出してくるのも反社会的だ。
弁護士が集団で反社会的な行為をとるような法曹界は、国家衰亡の兆し以外の何ものでもない。

正義とは何か、
日本人の価値観とは、
人間社会の価値観とは、

弁護士達は子供の頃から元少年と同じように十分な家庭教育がなされていないに違いない。

テレビカメラの前で弁護士はガキのようにオイオイ泣いたが、見ていたこっちの方が泣きたくなったのは言うまでもない。

犯罪者の扱い方

2007年09月19日 22時23分22秒 | 社会
元アメリカン・フットボール選手のO.J.シンプソンがまたまた捕まった。
今度は強盗を働いた罪だと言うことだが、前回の妻殺しの容疑と同様に、今回もまた否定にあいこれつとめている。

O.J.シンプソンと言えば、私にはフットボール選手と言うより、映画「カプリコン1」(1977年作)で宇宙飛行士役を務めていた俳優としての印象の方が遥かに強い。
NANAのトップと政府の陰謀で砂漠を逃げ纏うシンプソンの熱演は、SFブームの年の幕開け映画に相応しいものがあった。

昨夜、このシンプソンの逮捕の様子をCNNが伝えていたが、その時のキャスターのコメントが日本のものと異なっていたので、これまた印象に残った。

「犯罪を犯したと言う理由で逮捕された容疑者が無実を主張するのに、ニタニタ笑ってテレビカメラに顔を向けるでしょうか。精神になんらかの問題があるに違いありません」

日本なら「精神に問題がある」と思われたら人相はおろか名前さえ公表しない。
犯罪者の「間違った人権」を守ることこそ正義だと心得る。

「父が嫌いだったから」
という理由で実の父の首を斧で断ちきった女子高生は親殺しなのに匿名だし、山口県光市の一件は言うに及ばず。

図らずも「人権先進国」なんて日本人が勝手に思っているアメリカのマスコミの方が、案外まともなのに驚いた。
O.J.シンプソン。
頭が狂っていても、凶悪犯は顔と名前を公表するのがマスメディアの勤めであるといえるだろう。

台風来襲、愚かなりける出張計画

2007年09月08日 20時29分12秒 | 社会
台風9号が過ぎ去った。

今回の特徴は首都圏を暴風圏に巻き込んで、あちこちに被害を及ぼしたことで経済的被害は甚大である。
でもって、その被害が私にまで及んでしまったのでたまらない。
私は台風が来ているのに甘く考え、出張を予定するほどおろかなことはないものとつくづく考えさせられたのであった。

台風が接近する木曜日。
私は私の勤める会社の大阪本社の連中4名と南アルプス市を目指してレンタカーを走らせていた。
「走らせていた」と言っても私が運転していたわけではない。
私は大勢で移動する際は必ず誰か他の者に運転してもらいようにしている。
運転することがあまり好きではないのだ。
ただ、顰蹙を買ってはいけないので、
「運転、代わろうか?」
と言うことは忘れない。
すると大抵は
「あ、いいですよ。僕、運転しますから」
と答えてくれるのだ。

南アルプス市は大阪から6時間を要する。
その南アルプス市という人をなめたような地名の街へ午後1時に到着するため、私たちは午前6時に大阪を出発した。
私以外の社員は自動車出勤であったが、私は電車出勤であった。

正直、午前6時に電車で行くのは苦痛であった。
6時に会社に行くためには初発に乗らなければならず、私は午前4時30分に起床しなければならなかった。
ところが日頃から真面目な私は午前3時に目が覚めてしまい、それからず~と起きている状態になってしまった。
当「とりがら時事放談」の読者のみなさんは6日のエントリー時間を見ると、私がいかに早起きしていたのか理解できることであろう。

で、なぜ私がマイカーではなく電車で出社したかというと南アルプス市から大阪組みと別れ、東京支社の連中と東京へ戻るつもりであったからであった。

これが災難を呼び込んだ。

南アルプス市という天然水しかイメージできないふざけた名前の街から私は東京支社の連中と中央道甲府南インターを目指した。
時、台風9号が伊豆半島に上陸した時刻なのであった。

甲府南インターに付くと電光掲示板に恐ろしい情報が表示されていたのだ。

「通行止め」

私が大阪へ戻るべきだったと後悔したのは言うまでもない。

台風が来るとなぜ一般道はOKで高速道路が通行止めになるのか理解不能だが、仕方がないので私たち東京組みは国道20号線(甲州街道)を高速が利用できるという上野原ICを目指して走り始めたのであった。
しかし、そこに待ち受けていたのは平成7年阪神淡路大震災直後に経験した気が遠くなるような渋滞だったのだ。

甲府から上野原までは約50km。
この50kmに要した時間が6時間30分。
自転車で走った方がよっぽど早かったであろう。

私は6日中に東京のホテルに入れることを諦めたが、幸運にも上野原からは中央道、首都高と暴風雨にも関わらず順調で、上野原から東京台東区の私の宿まで1時間もかからなかったのであった。
はっきり言ってスピード違反だが、この際お赦しいただきたいと思う。

時速10km以上の渋滞がいかに苦しいものであるのか、久々に思い出した瞬間でった。

で、翌日も朝から京葉線に東海道線、京浜東北線などすべてアウトで顧客を訪問すること叶わず、私は行ったいなにしに東京までやってきたのか。
判断ミスをした自分自身に腹がたった。

東京にいても仕方がないので大阪へ戻ろうと思い、東京駅に行って見たが新幹線がストップしていた。
「なんじゃい、ど~せ~ちゅうねん」
と思い、諦め加減でヒコーキの予約をすると飛ぶという。
私は迷わず羽田発神戸行きのスカイマークエアラインのチケットを購入し、羽田に向かった。

15分遅れで出発したB767は滑走路を強風に煽られながら右に左に揺れつつも離陸に成功。
だが、離陸から約十分間は恐怖のフライトであった。
ジェットコースターよろしく上下左右にドスンバタンと飛行を続けるB767の恐怖を忘れさせてくれたのは、前日6時間30分かけて移動した甲府から上野原までの道路も山並みもクッキリ見えたことだった。

台風一過。
見晴らしの効いた6000メートル上空から眺める景色は素晴らしいものがあった。
しかも、神戸行きは関空行きや伊丹行きと異なり、甲府上空を飛ぶことを知った私は運命のイタズラを感じたのであった。

昨夜、苦労してくぐりぬけた国道20号線。
その真上を飛ぶスカイマークB767。
時速800キロメートルで飛行するB767はたった4分ほどで苦難に満ちた甲府~上野原間を飛行したのであった。

出張に来たことも忘れ、移動の楽しみを噛みしめていた私なのであった。

交通機関の迷惑トラブル

2007年08月31日 21時40分02秒 | 社会
昼休みに弁当を食べながらネットで新聞を読んでいたら気の毒な話が載っていた。

今朝、JR宝塚線の塚口駅で交代したばかりの運転手が運転席に充満していたウンコの匂いで運転できなくなるトラブルが発生した。
なんでも、直前まで乗務していた車掌さんが「便意を催し」我慢できなくなってお漏らししてしまった、というのが原因なのだという。

JR宝塚線塚口駅といえば一昨年の大事故の現場となったすぐ近くの駅。
脱線事故ではJRを痛烈に批判した市井の人々も、今回の事件には気の毒に思うことは間違いない。

以前から鉄道やバスなどの乗務員が勤務途中で「催した」らどうするのか。
大きな疑問だったが、今回この気の毒な事件でその処理方法を納得した。
つまりひたすら我慢するしかないらしい。

「ウンコタレ」のトラブルにより列車が4本運休したとのニュースだったが、JRさん、どうぞこの車掌さんを罰しないであげてください。

とっさの「ウンコ」は容易に我慢できません。

一方赦せない事件は一昨日の鳥取空港。

夕方6時。
羽田に向かってタキシングを開始した全日空機の中で事件が起こった。
これはなにもCAがウンコをちびってしまったというのではない。
搭乗していた女性客の一人が「気分が悪いので降ろして下さい」と体調不良を訴えたからだった。

病人を乗せて飛ぶわけには行かないので飛行機はターミナルに引きかえし、女性を降ろした。

「どうしたんですか?」
との問いに、女性が言ったその言葉に思わず皆はひっくり返った。
「私は閉所恐怖症。乗ってみたけど、ダメだった」

こういう手合は厳しく罰するに限るのだが、何のおとがめもなかったのか飛行機は24分遅れて出発し、件の女性はJRで東京へ向かったという。
是非とも女性の名前と顔写真を公開し、未来永劫ヒコーキには乗せないでいただきたい。

それにしても弁当を食べながら「ウンコ」ネタの新聞記事を読んでいるのもどうかと思う昼休みではあった。

奈良の医療っていったいなんなら?

2007年08月30日 06時58分19秒 | 社会
ダジャレを言っている場合ではない。
またまた奈良で医療機関をたらい回しにされた揚げ句、救急車が事故を起こして乗っていた妊婦が流産をしてしまったという。

「医療ネットはできてたけれど、かかりつけのお医者さんが必要だ」

救急車でたらい回しされるような地域で「かかりつけのお医者さん」を容易に見つけられるかどうかはわからないが、全国的に医療システムの問題が指摘されるなか、奈良は特別問題がありそうだ。

昨年の10月に同じく奈良県内でいくつもの救急病院をたらい回しさせられた患者が、今回と同じく大阪府下の医療機関に向う途中に死亡した。
結局昨年のこの事件の教訓をまったく活かすことができず同じことを繰り返した。

ところで、奈良県は大阪のベットタウンで、その中心となる奈良市、生駒市、大和郡山市、橿原市といった地域は住むには大変便利だ。
大阪までの通勤時間は1時間、自動車で移動すると渋滞さえなければさらに短い時間で移動できることは他の地方に人たちにはあまり知られていない。

「奈良って大阪からものすごく近いんですね」
と東京からの客人はいつも言う。

通勤圏内1時間となれば首都圏では渋滞口として一等地。
このような一等地の住宅地域での医療体制がこれだから恐れ入る。

奈良は大阪のベットタウンであると同時に古い街でもある。
古都というだけでなく、ながくその土地に住み着いている人が多いという意味。
従って高齢者の人口も多い。

ここ数年、奈良県には目立った産業もないこともあり数多くの老人医療施設が多額の公費を注がれて建設された。
あっちの街にも老人ホーム。
こっちの街にも老人ホーム。
自治体に金はないが「福祉」と名が付けば国から金が出るのでたくさん建てた。
一方、奈良では談合体質が恒常化しており、箱物は順番で建設を決めている、と言われる。
管理団体も順番で決める、と言われる。
産官共同作業なのでバレることもない、と言われる。

でも県下のある町役場では二三年に1回の割合で逮捕者を出しているくらいなので、真実なのかもわからない。
もちろん容疑は「収賄」だ。

これに対して医療は整備に金がかかり医者も集まらず、システムを作っても役人や地元の特定業者のポケットに小銭が転がり込むこともないから中途半端なことしかしないのか。

奈良の医療はいったいなんなら。
シャレでも言わないと不安で住めないところになってしまうかもわからない。