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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

アホの壁

2005年06月23日 05時50分19秒 | 社会
スカイマークエアラインズのチケットで極力避けてきた日航機材の飛行機に乗ることになった。
トラブルに巻き込まれるのでは、という不安とは逆に良いこともあり、おかげでJALの機内誌を読むことができた。

今回読んだJALの機内誌には医学博士にしてベストセラー作家の養老孟氏のエッセイが掲載されていた。
「キリスト教的考えがもたらすもの」
と題されたエッセイはもっともなことを主張しながら、その一方「やっぱり日本はダメだよね」という「知識人」によくある論調に終始していて、実に興味深い内容だった。

氏は前半で、
「「学校の神父さんから善行は人が見えない場所で行ってこそ善行です」「それじゃ悪いことを働くときと同じですね」だからボランティア活動を就職や学校の成績のポイントにするという考え方はおかしいのだ」
という論調を主張する。
日本人は自主的活動や善行をアピールするということを旨としているが、その考え方はキリスト教的考え方からすると、とても愚かなことなんだよ、とたしなめてくれているのだ。
そして後半で次のような意味合いのことを主張する。
「世界の人々は神という普遍的な存在を意識しながら成長する。キリスト教やイスラム教では神が存在し、その中から世界の動きというものが理解できるようになるのだ。普遍的なものを持たずに成長する日本人は、だからダメなんだ」
と見下してくれるのだ。

本当にこの人がベストセラー「バカの壁」を書いたのか。
そのバカの壁を読んだことがないので、内容をどうのこうのと云う資格は持ち合わせていないけど、ベストセラーになったくらいだから、きっと多くの人々に共感を呼ぶ内容が溢れているのだろう。
しかしこのJALの機内誌のエッセイでは自国の文化や宗教観も知らないで、よくもまあ抜けしゃあしゃあとこんなことが語れるものだと感心する。

キリスト教を批判する気は毛頭ないが、キリスト教を例にとって「日本はダメだ」を繰り返す文化人にはあきれ返ることが少なくない。
ともかくキリスト教を信奉する大学の偉い先生には理解できるが、家の宗教が仏さんの我々一般庶民には理解のできない「アホの壁」が存在していることは間違いない。

ゴルフは大嫌いだ

2005年06月21日 20時44分12秒 | 社会
私はゴルフが好きではない。というよりも大嫌いだ。
これほど私をイライラさせるスポーツはない。というよりゴルフなんぞスポーツではない。
もしゴルフがスポーツであればハイキングもスポーツであろう。しかしハイキングをスポーツという人は少なく、ただ歩くだけの健康維持活動の一環のように言う人が多い。
一方ゴルフは棒を振り回しながらボールを追いかけるしかハイキングとの違いはないにも関わらずスポーツ扱いされているのだ。

かくいう私も仕事の都合でゴルフをプレイしなければならないことがあるが、こういう日は一日中憂鬱である。
まず朝早く起きなければならないのが気に入らない。
どういうわけか仕事で朝早起きしなければならないときに文句を言うヤツほどゴルフ好きが多いらしく、ゴルフへの早起きに文句をつけない。
そして服装やマナーに煩い。
やれジーンズはいけないとか、プレー中は大きな音をたてるなだとか、スコアが悪くても腐らずにニコニコしろだとか無理なことばかり要求するのだ。
社交性のあるスポーツで仕事には便利だという意見も気に入らない。社交性を求めるのであればダンスでも踊っとれといいたい。
そして一番気に入らないのは金がかかることだ。
プレー料金が安くなったとはいえ、プレー料金や食事代、交通費、コンペの会費などを考えると少なくとも3万円は必要で、一泊どまりなど、ひどいときは5万円以上もかかってしまうのだ。
その代償が、イライラと神経のすり減らしなのでこれに怒らないヤツはきっとロボットかバルカン星人か私の会社の経営者だろう。

自慢ではないが私は全予算7万円で海外旅行を実行してくる旅行の達人である。
7万円といってもケチイ韓国や中国ではない。
きらびやかな観光地タイのバンコクやチェンマイ、高級リゾートのフアヒンなどをまわってくるのだ。しかもこの7万円は関空とバンコクの往復航空運賃、宿泊費、飯代土産代を含めての金額だ。
ゴルフに5万円も出すくらいなら、タイのバンコクや、バンコクから自動車でカンボジアのアンコールワット見物などをしている方がよっぽど人生豊かなものだと主張したい。

先日、会社の飲み会で大手総合商社M社から出向してきているZ部長が命令口調で私にいった。
「ゴルフしなきゃだめだよ。いくら仕事ができてもゴルフができなきゃ話にならない。参加なさい。」
もともと仕事もできんくせにうちの会社へやってきて威張る、自慢する、仕事はできないオッサンと思って気にくわなかったので、酔いの勢いも手伝い噛みついてしまった。
「あんたさんみたいに、高給取りと違いまっさかい。ほっとといてくれはりますか」
となぜかワザとらしい関西弁でからむ私。
「うちの会社はお宅さんの会社みたいにアメリカの航空機メーカーから金貰ったり現役総理大臣に金わたして「これピーナッツ代金です」なんてようやらんところですから、金ないんですわ。ま、Z部長さんはM社に勤めながら怪我でもしたら大変やと、海外勤務経験のない優れたお人さんでっから関係ないことかも知れまへんけど」
と言わなくてもいいことを酔った振りして言ってしまった。

このようにゴルフは場外でもよからぬ人間関係を形成する実に社交的なスポーツだ。
だから私はゴルフが大嫌いだ。

歴史教育と戦争とビジネスと

2005年06月20日 23時17分31秒 | 社会
先日、傭兵上がりの日本人がイラクで武装組織の攻撃を受けて死亡したというニュースが注目を集めた。
日本人傭兵が現実に存在するということも驚きだったが、そういう傭兵くずれを雇い入れ紛争地域で警備員や戦闘要員を派遣する戦争ビジネスを請け負う民間会社があるということも大きな驚きだった。

実はこの戦争をビジネスにしているのは何も外国人に限った話ではないことに、私たち日本人も薄々感づいている。
もちろん日本人が直接戦闘に参加したり、武器三原則を破って兵器取引をしているということではない。
憲法九条の呪縛にからめ捕られている日本社会ではそんなことは不可能で、想像することもできないだろう。しかし、平和という中和剤を用いれば戦争も即ビジネスにつながっていくのだ。

東京にある著名な学校の生徒の発言が静かな物議をかましている。
その発言とは修学旅行で訪れた沖縄に関するものだった。
「沖縄戦の悲惨さを説明してもらいましたが、退屈で眠くなってしまいました。」
というものだ。
この発言は戦争に平和という解毒剤注入してビジネスに結びつけた結果生まれた結論かもしれず、さらに平和を一方的に叫び続けて中身のない教育を行ってきた結果かも知れないのだ。

沖縄県や広島、長崎県を訪れる修学旅行生は必ず、沖縄の地上戦や原爆被害が関係付けられた施設や史跡を訪れたり、戦争体験を体験者から直接に、あるいはまた聞きに聴講するプログラムが組み込まれている。
平和教育の一環として学校側も訪問地に選定する理由に事欠かない地域であるため、旅行会社もその点は抜かりはない。
学校という百名を超える団体を確保することは旅行業者にとって重要な大口ビジネスなのだ。
大勢の人数に要する宿泊施設、バスなどの移動手段、博物館の入館費、土産物や食費など。
一件あたり数百万円から数千万円の売り上げになるのだ。

今回の問題発言となった沖縄県は観光業がその県の経済を支える重要な産業だ。
リゾートを求めて訪れてくる観光客も少なくないが、太平洋戦争の激戦地を訪れるという目的でやって来る修学旅行生をはじめとする旅行者も少なくない。
言葉は悪いが、ひめゆりの塔や防空壕跡そして戦争体験談の公聴など、観光イベントには事欠かない。
これらを目玉商品に沖縄旅行を企画するのは「平和教育」という中和剤を利用した一種の戦争ビジネスといえるのではないかと思われるのだ。
実際「戦争反対」の表の顔に「戦争を題材に金もうけ」という裏の顔が存在する。
たとえば米軍基地問題がその一つだ。
「米軍に土地を貸して、国からがっぽりとお金貰っている人が大勢いるんですよね。そんな人、私たちみたいに働かなくてもいいんですよ。」
と、地元の人もはっきり言う。

戦後60年が経過して、いくら沖縄だ広島だといっても、それはすでに歴史の一部になっている。
両親が、ともすれば祖父母でさえ戦争を知らない世代の若者が戦争体験談を聞いたとしてもリアリティがなく「退屈で眠く」なっても不思議ではない。
世界は政治経済で動いている。
平和の理想ばかり話しても、なんら現実感も緊張感も生まないのだ。
イラクを伝える政治経済問題のように、第二次大戦も当時の政治経済問題を伝えなければ、いくら体験談を話しても、落語や講壇と一緒でリアリティがなく、眠くなるのは当然なのだ。

(東京の有名校の事件はカウンセラーさんに教えていただきました)

惚け老人列伝

2005年06月17日 21時34分12秒 | 社会
小泉首相の靖国参拝に注目が集まっている。
「中韓の感情を考えて、A級戦犯が合祀されている靖国神社へ総理が参拝するのは相応しくない」
という理解しがたい主張を一部の政治家や左巻きのマスコミたちが声高に叫んでいて、とてもよく目立っている。
こういう輩には、中韓という外国人の感情は理解できても日本という自国の国民の感情を理解する能力には乏しいようだ。
この「総理が靖国に参拝するのは止めたが良い」などと言っている反日政治家になぜか中曽根康弘元総理が仲間入りをした。
もしかして、惚けたか?
この人、総理在任中はちゃんと靖国参拝を実行し、おまけに「日本は不沈空母」発言までかましたお人。今なら反日デモではすまない発言や行動をビュンビュン飛ばした超保守的総理大臣だった。
今回の発言は、もしかして靖国神社と孔子廟の区別がつかなくなってきている兆しなのかもしれない。

薬害エイズの元凶だった帝京大学の故阿部英副学長が政治評論家の櫻井よしこ氏を相手どって裁判を起こしていた。
「週刊誌や自著のなかで、自分の名誉を傷つけられる内容を書かれた。」
と、ご自身の顔に傷がついたことに怒り心頭してでの行動だった。
一審の判決を下した裁判官は一般教養を持ち合わせていなかったのか「原告勝訴」を宣言したが、一昨日の二審では普通の判事が「原告敗訴」の宣言を下した。
「記事には信憑性があり、著しく名誉を損なったとは言い難い。」
という至極もっともな判決がくだされたのだ。
自分の名誉のためなら、エイズに感染している血液製剤も平気で流通させた阿部教授の根性を、この名誉棄損裁判は見事にシンボライズしていると言えるだろう。
だいたい普通の感覚があれば、罪を犯してそれを報道されたのだから反省こそするべきで、教授のとった態度は地位あるものの成り上がり根性にほかならない。
それともこれも惚けた老人の成せる技か?

惚け老人と言えば忘れてならない人がいる。
渡辺恒雄、読売新聞社社長その人だ。
この人は先述の惚け惚け老人中曽根さんとお友達で、お互いに好き勝手なコメントを発表しては顰蹙を買っている。
7ヶ月前、プロ野球選手志願者への不正贈与が発覚し、その責任をとる形で読売ジャイアンツの社長を退任した。
ところが先週「巨人の成績が不振なのを建て直さねばならん」とばかりに会長職で球団に返り咲いた。
ジャイアンツのチーム内はもちろんのこと、当のジャイアンツファンを含めた全てのプロ野球ファンが「あんたは要らん!」と言っているのに、そんな声には馬耳東風。
プロ野球が人気商売であることをまったく理解していない惚け老人。
惚けているから、他人の言っていることが理解できないのかも知れない。

日本列島惚け老人。
本当の高齢化社会の恐ろしさは、老人の人口が増えることではなく、以上のお三人様のような「惚け老人」が増えることなのかも知れない。

付録・・・私が勝手に選んだ「迷惑な惚け老人」に進化しそうな有名人リスト
河野洋平
田中真紀子
岡田克也
菅直人
みのもんた
桂三枝
西川きよし
島田紳助
崔洋一
山田洋次
野村克也
筑紫哲也
田原総一朗
福島瑞穂
田島陽子

などなど

てるてる坊主

2005年06月11日 21時27分54秒 | 社会
最近、とんと見かけなくなった子供向けのおまじないの風習に「てるてる坊主」がある。
私は小学校低学年の頃、遠足の前日になるとよく母にてるてる坊主を作ってもらった。
母はちり紙を丸めててるてる坊主の頭の詰め物にして、それをもう一枚のちり紙で包み込み首の部分を糸で縛って軒先に吊るしてくれた。
顔はマジックで書き込み、必ず笑顔だったと思う。

今の子供にてるてる坊主などといっても分からないかも知れない。
知っていても「それって一休さんのお母さんのこと?」などと勘違いしているかもわからず、ここのところ再放送もされなくなってきているテレビの一休さんを知らない子供に到っては「首つり人形」などと不吉なことを言うかも知れない。

てるてる坊主の起源とはいったいなんだろうかと、調べてみたが一向に分からない。
インターネットで検索してみても、てるてる坊主の歌や、てるてる坊主をサイト名にしているいくつかのブログやホームページが見つかるだけだ。

てるてる坊主は雨の日を嫌って晴れの日を望む風習なので、ちょっと変わっているといえるだろう。
日本には雨を神様に祈願する雨乞い祭りは各地に存在する。とりわけ年間の降雨量が少なく、河川や天然の湖沼などの自然資源の少ない地方には「干ばつ」は大きな問題である。
降雨量はそのまま農作物の収穫に影響してくるところから、農耕国家たる我が国は「雨が降るのは自然の恵み」と考えていたふしがある。

てるてる坊主はその「雨乞い」の風習とは対照的な習慣だ。
なんせ雨が降らないことを願うお呪いなどきっと農耕国家ではあまりないのではないかと、とも思われてならない。
ただこのてるてる坊主というものは子供のお呪いという意味が強いので、雨乞いの祭りや儀式ほど深刻なものではないのかも知れない。

梅雨が始まると、時々てるてる坊主を思い出す。
仕事が天候に左右されるときは大人になった今でさえも「てるてる坊主」にすがりたくなる気持ちになる時がある。

てるてる坊主。
いったい誰が、いつから始めたのか興味が尽きないのだ。

ファーストフードのクオリティ

2005年06月08日 20時42分23秒 | 社会
仕事が忙しいと不本意ながらファーストフードを利用することが多い。
とりわけ利用するのがファーストフード最大手のマクドナルド。安いだけでなくシステムが一番わかりやすく細かな注文をする必要もないのが便利なところ。
店の数が多いのも利用回数が多い原因だろう。

次によく利用するのがロッテリア。
ここは別に好んで利用しているというわけではなく駅から会社への通り道の一つにあるので、よく利用するのだ。
また店の近くで従業員が割引券を配っていることが多く、ついつい貧乏性の私はそれを使ってみようと店に入ってしまうのだ。
味はマクドナルドより落ちるものの、一昨年にバーガーに使うパンの改良が図られてからずいぶん美味しくなった気がする。という私は味音痴か。
三つ目に利用するのはケンタッキーフライドチキンかモスバーガーとなるが、ケンタッキーはどちらかというと昼食や朝食に食べるものではなく夕食にビールと一緒にいただくというのが私のスタイルなのでファーストフードといってもほかの店とは別にしたいと考えている。
モスバーガーはその社長の自宅の台所で生まれたというだけに、他のハンバーガーショップとは一線を画すものがあるが、いかにせん価格が高い。
バーガー一個が三百円もするのはおそらくこのチェーンだけだろう。
無農薬野菜を中心に「健康指向」を売りにしているのも特徴だ。

このモスバーガー並に高価格な印象なのがウェンディーズ。
三つ編みのお下げ髪のヤンキー少女のイラストが印象的なバーガーショップだが、今一つ親しみがないという欠点がある。
バーガーが四角形なのが印象的で、私はここのマッシュルームの入ったバーガーが好きなのだが、どうしてもセットで頼むと七百円を超えてしまうのが欠点だ。

ところでハンバーガではなくサンドウィッチを商品にしたサブウェイというチェーンがある。大阪、東京の街中に登場してずいぶんと経つが、なかなか入る機会がなかった。
先日、朝食を食べようとJR総武線の快速の止まる某駅近くのサブウェイに入った。
客は一組のカップルと若いサラリーマンが一人がいるだけで、ガラガラ。
とりあえずメニューをみて注文することにした。
初めての店というのはオーダーの仕方がわからない。そこでセットを注文したのだが、陰気な女性店員がなにやらもぞもぞと「無愛想に」訊いてくるのだ。
「パンはどの種類にしますか。」「野菜はどの種類も大丈夫ですか。」
ということを言っているのだが、「無愛想」にボソボソと、しかも次第に威圧的になってくるものだから、何がなんだかわからないのだ。
かなりの不快を感じつつやっとのことでオーダーしたものを受け取って席に着いた。
本を読みながら食べているとサラリーマン風の男が席を立ち、トレイの上のゴミくずをごみ箱に捨てた。
「ごちそうさま」
男は今どきの若者には珍しく、店の店員に声をかけて店を出ようとしたのだ。
しかし、「無愛想」な女性店員は何も言わない。忙しそうにも見えない。ただ黙々と私の後に入ってきた客の注文を処理しているだけ。

ファーストフードのクオリティ。一番重要なのはマニュアルではなく店員の質だ。

地球にやさしい

2005年06月05日 20時41分08秒 | 社会
「「地球にやさしい」なんて言葉は、人間の思い上がりだ。云々........」
大阪市のビジネス街を歩いていて、とあるお寺の前にこんな言葉が掲示されていた。
「地球にやさしい」と「人間の思い上がり」
この二つの言葉には、微妙に考えさせられる「何か」があった。

そもそも人間が地球に対して優しく振る舞うなんてことは、このお寺さんの言うとおり恐れ多いことなのかも知れない。
つまりそういうことは子が親に対して尊大な態度をとることと同じじゃないかといえるのだろう。
地球が人を生み出したのであって、人が地球を生み出したのではない。だから地球に対して敬意を払って当然なのに、「優しい」などと、調子に乗ったらきっと大自然に叱られることになる。
とういうのが、この言葉の趣旨なのか。
仏教はこの世のすべての事物が時空を通じて関係しあい、お互いの行いが互いに影響しあうことを教えているので、こういう考え方が生まれてきたに違いない。

地球に優しいダム開発。
地球に優しい開拓事業。
地球に優しい核実験。

この「優しい」という言葉ほど、疑ってかかる方がいい言葉はない。

「あたしの彼。とってもあたしに優しいの。」
などと言ってる女の彼氏はホントは誰にでも(どんな女にも)優しかったりするものだ。
また、
「ボクのパパ、ほんまに優しいねん」
などと無邪気に話している幼児のパパは、ホントは夜ごとに折檻を加えてくる人かもわからない。

極め付けは旧社会党の村山富市だ。
「人に優しい政治を目指します。」
と宣って、総理大臣の地位に就いた後、存在さえも反対のはずの消費税率をアップして、阪神大震災の救助に向かおうとしている自衛隊部隊の出動を阻害した。

愛地球搏は地球に優しい博覧会だと聞いている。
「優しい」がコンセプトにあるくらいだから、もしかするとこの中になにやらおぞましげな陰謀がくすぶっているのかも知れない。
それとも業績絶好調の博覧会のスポンサーT社の「思い上がり」の表現ではあるまいな。

救急車

2005年06月01日 21時19分30秒 | 社会
一人の中年女が消防署に駆け込んだ。
「すいません! 助けてください!」
「..............。」
「助けてください! 子供が池で溺れそうなんです。」
鼻をほじりながらぼんやり空を見つめている消防署職員。
「早く!」
「ハン?」
「子供を...........。」
「いくら払うの?」
「?」
「子供を助けるのに、いくら金を払ってくれるかって訊いてるねん。」
「子供を助けるのに金が要るんですか?」
「当たり前やがな。命を張って助けても、金貰われなんだら、働き損やないけ。お宅みたいな貧乏人に、払う金あるように見えんしの。」

関西弁はともかくとして、これは中国でホントにあった話だという。
子供を助けるのに費用がかかるから「救助費用は先払い」と、職員が突っぱねている間に、溺れていた子供は黄泉の世界へ旅立った。
とりわけ公務員の民度の低い中国のことなので、これくらいは当たり前かと思わず納得してしまうが、いかにも拝金主義の残酷なエピソードだ。

韓国から来た親子連れのスキーヤーが長野県のスキー場で遭難したのはこの冬のこと。
もちろん日本は中国じゃないからすぐさま捜索隊を派遣して親子を無事に救出。大事にいたらずメデタシとなった。
ところがこの韓国人親子はとんでもないヤツ等で、救出後に国際的にも認められている遭難者自己負担の救出費用約10万円を「新聞報道で、私たちが日本でスキーをしていたことがバレてしまった。名誉を傷つけられたから払わない」と宣って無視を決め込んだ。
帰国して数ヶ月を経過した今現在も払われていないという。

消防庁が救急車の有料化を計画していると報道された。
救急車の要請があまりに多いので、病院間の移動業務や、さして緊急性の認められない出動には料金を請求するのだという。
大した病気でもないくせに、寂しいばかりに救急車を呼ぶ人が少なくないという。だからといって、救急車のような真の意味で公共性が重要なシステムに「料金制度」を導入するのはいかがなものか。
まさか日本人は中国や韓国じゃないので金を払えと言われれば払うかも知れないが、これでは先進国の名がすたるというものだ。

あ、そういうえば救出されてもその費用を払わない日本人がイラクにいたことを思い出した。
日教組や朝日新聞の天声人語で育てられた日本人は、だんだんと民度が中国、韓国のように低下しているのかもしれない。
救急車有料化はそのためか。

動物園狂騒曲

2005年05月30日 21時33分42秒 | 社会
先々週あたりから「レッサーパンダが後ろ足で直立に立ち上がった」なんていうつまらないことが話題になっている。
なんでもレッサーパンダが後ろ足で立ち上がることは珍しくないのだが、件の千葉動物園のレッサーパンダは十数秒も立ち上がり周囲を見渡すので珍しく、来場者の目を惹いているというのだ。

同じようなアホらしい話が、神戸の王寺動物園にもある。
NHKニュースによると王寺動物園のヤギは飼育係の訓練の結果、お手ができるようになったというのだ。
断っておく必要ないと思うが、飼育係が「お手」をできるよになったのではなく、ヤギが「お手」をできるようになったのだ。
このヤギは2年間の訓練の結果、犬が得意とする芸である「お手」「お代わり」「伏せ」ができるということで、千葉動物園のレッサーパンダと同じように目を惹いているのだという。

このように「アホらしい」動物の一発芸で入場者を増やそうというのは、動物園をとりまく市場に驚くべき変化が生じたためだと思われる。

北海道旭川市にある「旭山山動物園」。
この日本最北に位置する小さな市営の動物園は数年前までは閑古鳥が鳴いていて、「もう閉園も視野に入れて」というような状態だった。
そこへ民間出身の優れもの園長が就任し、事態が一変。
動物の習性を観察できるように各飼育小屋を改装。
その結果、普通の動物園ではとうてい見ることのできなかった動物の動きや生活ぶりを観察できるようになり「面白い動物園」として認識されるようになった。
特に人気のゴマアザラシ館など、大の大人が水槽の前で一時間眺めていても飽きないほど面白い。

口コミで広がった「旭山動物園」の噂は全国に広がり、昨年の夏は月間で上野動物園を抜いて来場者日本一に輝いた。
先月、各地の動物園の年間入場者数統計が発表されたが、旭山動物園は上野動物園、名古屋の東山動物園に次いで第三位。
大阪の天王寺動物園は4位と後塵を敗した。

この冬、旭山動物園を訪れると私のように日本国中から多くの客が訪れていてビックリした。
「富山市からお越しの○○さん」
とか、
「北九州市からお越しの△△さん」
などという場内アナウンスが頻繁に流れるのだ。

小さな動物園の大きな成功。
多くの地方動物園の「アホらしい」PRは、旭山動物園に刺激された「アホらしくない」いい形の奮起だと思えるのだ。

祝! 日本海海戦完勝100周年

2005年05月27日 21時46分20秒 | 社会
世界の歴史が変わった日露の戦い「日本海海戦」から今日でちょうど100年を迎えた。

あの日(1905年5月27日)、初夏の香り漂う晴天の対馬海峡を品質の目茶苦茶粗悪な石炭を炊き、濛々たる煙を吐きながら世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊がウラジオストクを目指して航行してきた。
日本海軍を壊滅し、憎きサルの国日本を滅亡させるために..........。
パトロール勤務についていた我が帝国海軍の哨戒艦信濃丸はこのロシアの大艦隊を発見。というより、夜が明けて気がついたらバルチック艦隊の群れの中を航行していた。
信濃丸は直ちに連合艦隊にこれを連絡。
連絡を受けた、連合艦隊司令長官東郷平八郎は参謀秋山真之作成による日本史に残る名電文を大本営に向け発信する。

「敵艦見ゆの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動。これを殲滅せんとす。本日天気晴朗なれども波たかし」

19世紀が白人国家による世界制覇完成の時代とするならば、20世紀は白人国家から有色人種の国々が自由を獲得し独立していく時代であったといえるだろう。
この日本海海戦はその分水嶺として非常に意義深いもので、我々日本人が誇りとすべき歴史的大イベントなのである。

ところがこの日露の戦いを左巻き先生が多い現在の小中学校や高等学校では子供たちにあまり詳しく教えないらしい。
「日本は戦争でアジアの人たちを苦しめた悪い国なんだよ」
と中韓の腰ぎんちゃくのようなアホばかりな先生たちは、自分の組合に都合の良い嘘の歴史は教えても、国家や世界のためになる本当の歴史は教えないのだ。
もし日露戦争を教えたら、どうしてアジア各国が独立を成しえたのか、そしてどうして日本の悪口を言うのは中国、韓国、北朝鮮、朝日新聞と労働組合だけであるのかが、子供たちにわかってしまうからなのだ。
嗚呼、これを嘆かずしてなんとする。
私の友人たちなら私も含めて若いにも関わらず、たとえば「広瀬」「杉野」という二人の名前を聞いただけで目に涙を浮かべるくらいの愛国者である。
愛国心ある子供たちを育てねば。それが我々の使命である。
国を愛するもの、すなわち世界を愛するもの。
国にたてつくもの、すなわち左巻きの破壊者、スターリン、毛沢東、ポルポトなのである。

ところでなぜ、混乱を極めるイラクで、日本の自衛隊だけが大きな被害も出さずに、イラク国民から支持を得て復興援助活動ができるのか。そしてなぜ自衛隊に対してだけ、米英その他全ての国が驚愕した「日本軍に協力しようデモ」がサマワ市民の手によって自然発生したのか。
さらに、宗教も政治も関係ないのになぜパレスチナの人々が日本を最大の支援国として訪れてくるのか。
誰もその理由を説明しようとしない。
それは間違っても憲法九条のおかげじゃない。
100年前の先達の偉業の成せる技なのだ。
ラジオもテレビもない時代。もちろんインターネットなんか想像もできない時代に、日本の勝利がユーラシアを駆け巡り、私たちを自然に世界の、しかもアジア初の名士ならしめたのだ。
そう、「日本は正義の国」だと伝えられたのだ。

中国、韓国、北朝鮮がなんと言おうとこの事実は変わらない。
大和、琉球、アイヌ、台湾の我が日本諸民族よ、100年前の祖先の偉業を思い出し、毅然とした態度で世界に臨もう。
何といっても世界のほとんどは日本の味方。いつものように誠実に対処すれば、人類だれもが私たちを理解してくれるのだ。
伝説が生まれた今日この日。
国を守り、家族を守り、アジアに希望を与えた我々の祖先に恥ずかしくない日本を創ろう!