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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

なるちゃんのタイ冒険

2005年08月08日 21時04分12秒 | 書評
二年ほど前「いつもの観光じゃつまらんな」と思い、バンコクを訪問したときに一日タイ語教室へ入学してみた。
場所はスクンヴィットのとあるビルの中にあり、生徒のほとんどは日本人だった。
それも私のような旅行者ではなく、現地駐在員のオバハン、もとい奥様方であった。
幸いなことに、この日の旅行者向け一日レッスンの受講者は私だけで、他の受講者もおらず、ましてや奥様方の受講者に混じって受講ということもなかったのだ。
ラッキーであった。そしてあり難い学校であった。
私がタイ語を習ったこの学校ではタイ語会話以外にタイ舞踊、タイ料理、フルーツカービング、工芸品作りなどのカリキュラムがあった。
受付で待っていると、それこそ、ダンスなどの教室からはオバハン、失礼、奥様方のけたたましいどら声が聞こえてきて、非常に喧しい、いや、賑やかなスクールなのであった。
「先生、ここは日本人の奥さんの生徒さんが多いんですね」
と訊くと、
「ヒルハ、オクサンガ、オオイデス。ヨルハ、ダンナンサンタチガ、シゴトヲオワッテカラ、ナライニキマス」
と、にこやかに教えてくれた。
昼間は亭主たちにたっぷり働かせ、料理洗濯はメイドまかせ。日本じゃ家賃やローンが高くて狭いマンションなんかに住んでいたくせに、急にセレブな生活かい?オウオウ!結構じゃないかい。
と心の中で呟く私であった。

「なるちゃんのタイ冒険」は、そんな贅沢三昧の駐在員の奥様方ではなく、メーカーの駐在員(たぶん)のごく普通の奥さん(作者)が現地の日本語誌に連載していた4コマ漫画をまとめたものだ。
その内容は、いわいる為替差益で贅沢三昧に暮らす俄セレブな奥様方の日常ではない。
普通の30代前半の主婦の目から見たタイでの日本人の生活とタイ人の日常文化が描かれており、決して住むことなどなく旅行で度々訪れる私のような者にも、十分に楽しむことの出来るユーモア溢れるコミックなのだ。

バンコクへ嫌々赴任した作者がドムアン空港を降り、市内へ向かう途中「高層ビルでいっぱい。都会じゃーん」と思うのはタイを訪れる多くの人に共通する感想だろう。
また、一時帰国した幼稚園児の息子が「大きくなったら何になりたい?」という叔母の質問に「おおきくなったら....日本人になりたい!」と天真爛漫に答えるエピソードなどはタイの駐在員でなくとも笑える意味深長な話だろう。
そのほか、幼稚園で「将来のお仕事は?」の質問に「シーローの運転手になりたい」という子供の答えは、笑いたいようで笑えないタイに住む日本人ならではのエピソードだ。

仕事や学業の都合で海外で生活する日本人が数百万人にも及ぶのに、その生活風景があまり紹介されことはない。そういう事情の中で少なくともこのコミックはタイの一般的な日本人の生活を描写しているだけに、希少価値のある書籍ということができるだろう。

もし手に入れば、是非読んでいただきたい気楽なコミックだ。

なお、私はこの本をバンコクのシーロムにある東京堂書店で購入した。タイバーツで定価が記されていたので、日本では手に入れることが出来ないコミックだと思われる。(アジア文庫で売ってるかも)
欲しい人はバンコクやチェンマイの東京堂書店へ行ってみよう!

中国の嘘

2005年08月06日 21時33分51秒 | 書評
「上の方から君たちの取材にストップをかけるようにお達しが来た」
「...........」
「私の経験から言うと、これは君たちが事の敏感な部分に触れたことを意味している」
「............」
「注意して取材を続けろ。くれぐれもだ。失敗は許されんぞ。行け」
と編集長が発破をかけた二人の記者の名前はボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。
もしかすると記憶に間違いがあるかも知れないがロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが主演した映画「大統領の陰謀」の1シーンだった。
本人が金欲しさで告白することにより「ディープ・スロートとは誰だなんだ?」という長年の謎が解き明かされ、今年再びちょっと話題になったのがウォーターゲート事件だ。
この事件はワシントンポスト紙の二人の記者によって真相が暴かれ、合衆国史上初めて大統領が途中辞任するという事態に発展。
これこそジャーナリズムが守った自由と民主主義の象徴的な出来事だった。

ところで、これを現在の中国で再現するとどうなるのか、というのが次の会話である。(作:私)

「上の方から君たちの取材をストップさせるよう、命令が来た」
「...........。」
「君たちは国家の重大機密を漏えいした容疑で解雇だ」
「!!!!!」
その明くる日、二人の記者は公安に逮捕され、人民裁判にかけられ「死刑」または「無期懲役」の刑が科せられる。そして無期刑の記者もやがて行方不明となりその後の消息は杳として知れない。
また取材活動を容認していたかどで新聞社は解体、廃業。
しかもそういう処分をしたということは一切外部へ報道されることはない。

NY在住の中国人ジャーナリスト、何清漣の著書「中国の嘘」は、上述した嘘のような話が現実に存在し、しかもそれが現在の中国の基幹を成しているという恐怖の真実を描いた、驚愕のノンフィクションである。

共産中国という国はその発足以来、情報を操作することを国是とし、共産独裁主義に対する反対意見を封じ込めることに努めてきた。
近年経済が急速に発展し、自由主義の仲間入りをしようと試みているように見かけられるが実態は、党の意向にそぐわないものは、個人、団体、国内組織、海外からの組織にいかんに関わらず問答無用で処分する恐ろしい国であることを本書は実例を紹介しながら論理的に証言している。
地方政府の役人はごろつきと化し、必要であれば法律をねじ曲げ、あるいは新しい法律をでっち上げ、自分たちに対する意見を封じ込める。
私たち自由主義の国であればごく当たり前の記事(役人の汚職、公害問題、経済問題など)でも特定の人物の気に召さなければ、記事はもとより、それを書いた記者や会社までが処分されてしまうという暗黒社会顔負けの実態が今の中国なのだ。

最も興味深いのは、本書の後半で詳細に記されていたインターネットについてのフィルタリングである。
たとえば、台湾、チベット、ウィグル、法輪講というキーワードが含まれているメールあるいはホームページは自動的にアクセスができなくなる技術や、そういうワードを用いてのサイトの製作やBBSへの書き込みを監視し、書き込んだその人物を特定するシステムを構築しているなど、まるでSF映画のようなサイバー警察による思想言論の弾圧世界が現実になりつつあるのだ。
しかも、そのシステム構築には欧米、そして日本という自由世界の技術が不可欠で、システムそのものを構築する作業には旧西側のハイテク企業が手を貸しているのだという。
「思想にとらわれて、ビジネス上のビッグチャンスを逃してはならない」
という倫理観の欠如した信じられないような理由で、中国政府の人権弾圧に手を貸しているのだ。

9.11同時多発テロ事件のニュースに狂喜した中国民衆。
全ての政治的失態は「日本とアメリカの責任である」と発表する政府。
日本やアメリカに留学経験のあるものまでが、自由に物事を考えることに蓋をして、中共の卑劣極まる思考に同調する。

孟子が唱えた愚民政策の行き着く先が中国にあり、「話せばわかる」と思い込んでいる日本人の政治家、社会活動か諸氏に是非とも目を通していただきた、戦慄の一冊なのである。

~「中国の嘘」何清漣著 扶桑社刊~

ドイツ=鉄道旅物語

2005年07月27日 23時46分38秒 | 書評
いつかヨーロッパを旅してみたいという欲求がある
それもドイツへ行ってみたいという欲求だ。
しかしミュンヘンのオクトーバーフェスタへ行って色んなビールをたらふく飲んでみたい、という欲求ではない。
そういう夢は確かに否定できないが、私が言いたいのは鉄道を使って旅してみたいという欲求だ。

本書はそういう希望の一片をささやかながらも叶えてくれる鉄道紀行だった。

で、なぜ私がドイツの鉄道旅行に憧れるかというと、日独同盟や第三帝国に憧れている、というようなことではなく、子供の頃からドイツの鉄道模型に親しんできたという原因がある。
メルクリン社。
世界でもっともな会社歴を持つドイツの鉄道模型会社。
ドイツの人なら知らない人はいないと言われているくらいの老舗だ。
(尤も、ドイツの人ならだれでもと言うのはウソで、先日紹介したスティーブは知らなかった)
孫子の代まで楽しめる頑丈で長持ちの鉄道模型として有名で、私はこのメルクリン社の鉄道模型をささやかながらコレクションしている。

実は本書を買ったのはゲッピンゲンにあるメルクリン博物館が数ページに渡り紹介されていたのがきっかけだった。
ドイツを旅したらこの博物館には立ち寄りたいと考えていたのだが、メルクリンのカタログ以外、この博物館を紹介した文章にであったことがなかったので、書店で本書を見つけたときはとても嬉しかった。

肝心の中身は鉄道紀行の正攻法で「鉄道ファンなら楽しめる」内容になっており、それなりに読む価値はあるだろう。
しかし鉄道を紹介しながら紙面の関係からかドイツの各町々の歴史や人情を紹介することに関しては力量不足の感は拭えなかった。
そして外国のシステムを紹介する人の共通した傾向が本書にも少しばかり見られて辟易とした。
どういう傾向かというと「どこかの国では、こんなことはできないだろう」調の他国を称賛、自国を貶す、という昔のマンガの「ザーマスおばさん」のような部分が見られたことだ。
この手の文章はえてして偏った考えで書かれているケースが多く、この著者の場合は一ヶ所で自分の指摘の間違いを詫びている部分があったので、まだましというところか。

とはいうものの、カラーの美しいイラストや、ICE 登場前のドイツの鉄道を走るICの風景を描写しているところは、十二分に楽しめる。
あまり難しく考えず、「鉄チャン」になれば楽しめる。
そんな一冊だといえるだろう。
それにしても「DB」マークを付けたローカル列車に乗ってドイツの田舎を旅したいものだ。

~「ドイツ=鉄道旅物語」光文社刊 野田隆著 横溝英一作画~

古道具 中野商店

2005年07月19日 20時06分29秒 | 書評
「面白い店があるんです。是非お連れしたくて」
と東京にある得意先のO氏が上野駅から車で10分ばかりのところにあるとあるお店に連れて行ってくれたのは二月ほど前のことだった。

店を見てビックリ。
表はもちろん店の中も不思議な「商品?」で溢れていた。
骨董品ともリサイクルショップとも覚束ない古道具が山積みされたその風景は、圧巻としか言いようがなかった。
オロナイン軟膏や金鳥の看板。
コルゲンのケロちゃん人形や不二家のペコちゃん。
一枚10円で売られている石原裕次郎や青い三角定規、ちあきなおみ等のEP盤。
刑事ドラマの取り調べシーンに出てくるような電気スタンド。
ネジ巻式の振り子付き柱時計、などなど。
がらくたもこれだけ集めれば立派な商品に見えてしまう。

「凄いでしょ」
呆然とした私の表情を眺めつつ横からO氏が嬉しそうに声を掛けてきた。

「中野商店」は言ってみればこういう感じの店なのかもしれない。
骨董屋でもリサイクルショップでもない、微妙な響きが「古道具」という言葉の中に滲んでいるのだ。
このちょっと身近とは言い難い変わったお店を舞台に従業員の一人である「私」が女性主人公。
ニートな雰囲気が漂うタケオとの、じれったくて、はっきりしなくて、あやふやなままの恋人関係。いや恋人とも断言できない不思議な男女の関係が展開される。
そんな心理描写が面白い。
二人を取り巻く人物も一風変わっていて魅力がある。
当の店主の中野さん。
中野さんのお姉さんのマサヨさん。
中野さんの恋人で骨董店主のサキ子さん。
どの登場人物も憎めない、とっても愛すべき人たちばかりだ。

この小説はドラマチックでないようで、かなりドラマチックなところが魅力的な恋愛物語。
現代ならどこにでもあるような若者の姿を見事なまでに活写した、読後に爽やかな余韻が味わえる都会派ドラマが心憎い。

~「古道具 中野商店」川上弘美著 新潮社刊~

翼を持ったお巡りさん

2005年07月08日 05時59分52秒 | 書評
小学生の時、学校から冬になると耐寒訓練ということで大阪、奈良、和歌山の府県境にある金剛山に登山させられた。
大阪府最高峰といってもたかだか標高千メートル。
この千メートルの山へ登らされるのが面倒くさく「登山なんか大嫌いだ」と思っていた私は「なんで山にはエレベータがないんだ」と勝手な不満を感じていた。

昨今、この登山がブームになっており、経験もなく、訓練もしていないような団塊世代の中高年が「お上りさん感覚」で標高2000メートル以上の山へ登山し、遭難しては世間を騒がせていることを度々目にする。
その都度、動けなくなった遭難者の救出に活躍するのがヘリコプターだ。

本書は富山県警察航空隊の活躍を綴ったドキュメンタリーだ。
ヘリコプターでの救出活動は古くから行われてたと思っていたが、実際、多くの場所へそのままヘリコプターで救助に向かうことができるようになったのは、つい最近であることを本書によって知ることになった。
大ざっぱに言うと、昭和の時代は救助用ヘリコプターに標高の高い山岳地帯で縦横無尽に活躍できるに十分な性能を持ったヘリコプターはなかったということだ。
これは意外だった。
平成8年に富山県に導入されたイタリア製のA109K2という機種が導入されて初めて、ほとんどの地点への救難活動が可能になったのだ。

本書には多くの救出事例と、救出された人々の感謝の言葉が掲載されている。
黒部の深い谷の下で、身動きできなくなり「死」を意識したとき、遥か彼方からやって来るヘリコプター。
それが驚くべきことに果敢にも狭い谷底に降りてきて遭難者を救出するとき、それこそ人はその救助隊を「神の翼」と呼ぶのだろう。

もし私がテレビのプロデューサーだったら、本書を10回ほどのテレビシリーズにするだろう。
県警察航空隊の活躍はきっとスリルと人間味にあふれた素晴らしいドラマになるに違いないと、思ったからだ。

~「翼を持ったお巡りさん」谷口凱夫著 山と渓谷社刊~

大阪100円生活 バイトくん通信

2005年07月03日 20時02分27秒 | 書評
その昔、阪急下新庄駅を下車して徒歩10分ほどのところに双葉荘というモルタル2階建て四畳半と六畳流し台付き風呂なしというアパートがあった。
ここの二階に二人のオーストラリア人の友人が住んでいた。
この二人、高校大学時代の友人同士でワーキングホリデービザを利用して日本へやってきていたのだった。
日本在住の同郷の紹介で住みついたのがこのアパートで、私は彼らとは彼らのアルバイト先の英会話スクールで知りあったのだった。
国では、そこそこの家庭で育ち、寄宿舎生活をしていたような二人だったが、住みついたのが下新庄の安アパート。
「そこ、どや街やで(注:本文は英語で)」
と冗談を言ってやったら、本当で気にして沈んでしまったのだった。

しかし一ヶ月もすると二人は下新庄の生活に慣れてきた。
陽気な方のクリストファーという男は、なぜか押し入れが気に入り、そこで寝起きしていた。
もう一方の神経質な性格のロジャーはどこで手に入れてきたのか炬燵で寝起きしていた。
何れにしても凄まじい生活環境で、未洗濯の衣服の類い、書類やゴミクズ、エコノミストのような硬派な雑誌と得体のしれないエロ本(超デブ専のノンカット雑誌を初めとする洋物類)が混在し、あちらこちらに散乱していていた。
この凄惨なアパートの室内を訪れるごとに私はある4コマ漫画を思い出していた。

いしいひさいちの4コマ漫画「バイトくん」は「がんばれタブチくん」と並ぶ同氏のもっとも長いシリーズだといっていい。
この「とりがら時事放談」のご意見番の一人が確か氏の後輩だったと思うので間違えたことは言えないが、タブチくんがシリーズを終了していることから考えるとバイトくんは今も続く名作と言っても過言ではないだろう。
実はこの「バイトくん」の生活する舞台が大阪市東淀川区の下新庄であり、彼らの寝起きする中野荘というアパートはちょうど私の外国人の友人の住んでいた双葉荘とイメージが場所も光景もピッタリと符合するものだったのだ。

「大阪100円生活」は30年近くにわたる「バイトくん」から新旧に関わらず選りすぐりの作品と、いしいひさいち氏本人のコメントで構成されている漫画集だ。
このバイトくんの面白さは、いしい漫画の原点と呼ぶべきエッセンスがちりばめられているところだろう。
貧乏学生たちが織りなす「アルバイト風景」「ほとんど行っていない大学生活」「三流大学生に厳しい就職活動」「恐るべき食生活」は誇張されてるとはいえ、妙にリアリスティックで悲惨な分だけ笑えてしまうのだ。
舞台が東京ではなく大阪というのも共感を持てる重大要素だ。
生活する場が下新庄で、通う大学は東淀川大学(ほんとは関西大学)、阪急淡路駅前の商店街での買い物風景や、淀川河川敷での花火大会などなど。
全国に名のある漫画で大阪が大ぴらに舞台になっている作品は「じゃりん子チエ」と本作だけだろう。

いしい漫画の一番の魅力は社会に対する冷徹な目、批判精神だ。
最近作の「大問題」に見られるような政治風刺漫画のユーモアは、すでに30年前のバイトくんに見て取ることができる。
本書はそのいしいひさいち作品の原点を知る上でも、十分に楽しめるマンガ&東淀川エッセイだ。

~大阪100円生活「バイトくん通信」 いしいひさいち著 講談社~

「特攻」と遺族の戦後

2005年07月02日 21時23分12秒 | 書評
ミャンマーの首都ヤンゴンから車で1時間半ほど東に走るとバゴーという街がある。
このバゴーの中華レストランで昼食を食べている時、私の通訳兼ガイドを務めてくれていたティンさんが、「このバゴーにも日本人の兵隊さんのお墓があります。行ってみたいですか?」
と訊いてきた。
彼女は私がガイドブックに載っていたヤンゴン近くの日本人墓地に立ち寄ってみたいと言っていたのを覚えてくれていたので、そう訊いてくれたようなのだ。
「ええ、是非」
この地で先の大戦中に戦死した肉親は、私にはいない。
戦後生まれの私は戦争など知らないし、幼いころの戦争といえばテレビのベトナム戦争であるし、大戦は映画やテレビの世界しかわからない。
身内で戦死しているのは父の三つ上の兄である伯父がただ一人。その伯父も潜水艦乗りをしていてレイテ作戦で戦死しているからミャンマーやタイは関係ない。
だから、ビルマの戦闘は本の中でしか知らないし、ヤンゴン近くの日本人墓地についても、ただ単に訪れる邦人の少ないミャンマーという国で、お参りする人が少ないと「なんだか気の毒だな」と思った、ただそれだけの単純な動機だった。

ティンさんと運転手が私を連れていってくれたのはバゴーの町外れにあるお寺だった。
鬱蒼としたジャングルに囲まれた境内で、建物が多少くたびれていたものの美しく掃き清められていた立派なお寺だった。
ご住職に挨拶してから、お墓の世話をしているという女性に案内してもらい境内を歩いていった。
日本人墓地はその一番奥にあった。
低い柵で囲まれた石造りの墓碑は手入れが行き届き、ゴミ一つ落ちていなかった。
「誰もお参りしていなかったら可哀想だ」
と思っていた私の心配は無用だった。無用どころか日本人兵士の墓はミャンマーの人々の手で大切に守られていたのだ。
柵の入り口を開けてもらい、線香を手向けて手を合わせた。
墓の後ろの壁には日本語のプレートが埋め込まれていた。
それによるとビルマ戦線で戦死した日本人兵士は17万人にも上り、ミャンマー国内にはいたるところに日本人兵士の墓があるという。
私の訪れた墓は四国の師団の兵隊さんたちで、辛うじて生き残り祖国へ帰った同師団の人たちがこの墓を造り、プレートを埋め込み、そしてミャンマー人が守ってくれているのだった。

墓の前に立っていると、周囲の緑に反射する陽光が目にまぶしい。
湿った暑さが汗となり、額から頬、頬から首筋へと流れた。
現在でもミャンマーへの空路はバンコクやクアランプールを経由しなければならず、日本からは10時間以上をも要する。
まして、半世紀前に船や陸路でやってきた日本兵たちにとって、ここは途方もない遠い場所であったに違いない。
この祖国を離れること数ヶ月の遠いミャンマーで遠い祖国の家族や山河を思いながら、戦闘で負傷し、あるいは病魔や栄養失調で斃れていった17万人のことを考えていると、妙に感情が高ぶってきた。
そして不覚にも汗に混じって涙が出てきてしまったのだ。
自分でも不思議だった。
単なる旅行で来ただけなのに。
単に好奇心で立ち寄っただけなのに、涙がでてくるのだ。
それは、ここミャンマーで亡くなった多くの兵士たちが可哀想で涙が流れたのではなかった。
敗戦はしたものの、これら17万人もの日本兵たちの犠牲の上に現在の日本の繁栄があるのだ。そして今現在、その反映を享受しているはずの祖国はなんと情けない国になってしまったのか。
それらを思うと、現代人の一人として、私はこの墓に眠る先人に対し申し訳なく過ぎて涙が流れてしかたなかったのだ。

フジサンケイビジネスIの記者、宮本雅史氏の著書「「特攻」と遺族の戦後」を読んでいて、私はこのバゴーの日本人兵士の墓地を訪れた時のことを思い出した。
特攻隊についての認識は戦後60年を経過し、大きく変わっている。
ある時はねじ曲げられたりあるいは、妙な方向に讚えられたりして、難しい時代に入っているのだ。
しかし本書には特攻隊に志願した者、あるいは特攻隊員にならざるを得なかった人々の信条というものが、その何千分の一であろうが綴られていて、読み進むにつれて私はバゴーで兵士の墓を前にしたときと同じ気持ちになったのだった。
正直、本書を私は通勤途中の電車の中で読んだのだが、涙が溢れてきて仕方がなかった。
電車の中で本を読みながら涙しているオッサンなどというものは傍から見ていて気持ちの良いものではないはず。
しかし、涙はどうにもならず家でだけ読むことにしようかとも思ったのだったが、内容が素晴らしく一刻も早く次に読み進みたいという気持ちが高ぶり、結局電車内で読み続けたのだった。

本書の凄さはその内容だ。
著者の宮本氏の記述よりも、その中で引用されている特攻隊員が残した本物の遺書の内容が心を打つのだ。
特攻隊員の年齢は17歳から30代半ばまで。
恋さえ経験せずに散華した少年や、妻子を持ちながら散っていった男達の素直な気持ちが遺書を通じて私たちの心に響いてくるのだ。
死に往く者が、生きる続ける者へ残したメッセージは当時の人々が今の私たちとは比べ物にならないくらい「命」そして「人生」というものを大切にしていたかということを物語っていた。
そして何れの言葉からも、自分たちの攻撃が日本を勝たせる、日本を、そして家族を幸せにすると信じていたことだ。

靖国神社問題が巷の注目を集めている。
また中韓を中心にした外国にどういうわけか頭が上がらず、土下座外交を止めない政治家、外交官がいる。
人権というキーワードを悪用し、親を姉弟を殺してもなんとも感じない子供を産み出している日教組や共産党のような人たち、日本国民がいる。

本書を読むと、
「情けない国になってしまったものだ。あの人たちに、なんと申し訳したらいいのかわからない」
という現代人の情けなさ、そして自分の力なさに愕然とするのだ。

「この人たちへの感謝なしには、日本人は戦後の反映と幸福を享受する資格はないとさえ思う」
これは帯に紹介されている櫻井よしこ氏の推薦の言葉だ。
まさにその通りだと私も思った。

~「「特攻」と遺族の戦後」~宮本雅史著 角川書店

暁の旅人

2005年06月25日 21時20分39秒 | 書評
日本は奇跡としか表現のしようがないいくつもの幸運に恵まれ、これまでその歴史上の危機をを乗り越えてきた。
とりわけ幕末維新のドタバタは、人材、経済、世界情勢に恵まれて、他のアジアの国々のように欧米列強の植民地になることから免れることができたのだ。
政治面では島津斉彬、松平春嶽のような開明的な指導者をはじめ若く高い教養を持つ多くの活動家が現われた。また封建制度を維持しながらも経済的には現在とほとんど変わらぬ高度な資本主義システムを確立していた。
そして、ヨーロッパでの普仏戦争やアメリカ大陸における南北戦争も日本にとって植民地化を免れる大きな要因になった。

吉村昭がその最新刊「暁の旅人」で描いた初代陸軍軍医長の松本良順は、幕末維新の難しい時代、オランダ軍医ポンペに師事し、日本の医療技術を近代的な西洋医学へ導いた科学の分野に於ける人物の一人だ。

吉村昭の描く歴史時代小説は、緻密に調査した取材をもとに書き進んでいくという一種のノンフィクション趣を持っている。
このノンフィクション的な醍醐味こそが魅力的な理由の第一要素だろう。
もともと、この吉村昭は半世紀近く以前に発表した戦史小説「戦艦武蔵」で注目を集め人気作家としての地位がスタートした。
その後、多くの戦史小説を発表されたが「戦後半世紀が経過し、戦争体験者の証言も年とともに正確さを失ったり、その証言ができる人そのものが故人となるなど、証言を得ることが難しくなってきた」という理由で、十数年前から主力を時代小説に置き換えるようになってきた。
かといって時代小説においても、ノンフィクションの香りがするスタイルを捨てることはしなかった。

今回の「暁の旅人」でも、そのリアルな人物および情景描写で私たち読者を魅了してくれているのだ。

この松本良順の姿を通じて、とりわけ強烈に感じたのは、当時の日本人のどん欲な知識吸収欲だ。
奥医師は漢方医で構成されていたが、その女性的な策謀で蘭方医が追放されたあと、良順は奥医師として幕府に仕える身となる。
しかし、ちょうど長崎出島に赴任してきたオランダ医ポンペに師事することを希望し、やがて許されるところから、良順だけではなく、その周囲の人々までが大きく時代を動かせていくことになる。

専門の通事でさえ苦心する専門用語が錯綜するオランダ語での講義。
タブーを破っても実行された死体解剖。
その解剖実習に献体した罪人たちの姿。
基礎科学から学習するという始めての経験。
などなど。

社会を幸福にするための技術習得がいかに難しく、そしてその難しい命題に対する日本人の気高いチャレンジャー精神が胸に迫って来るのだ。
一般に幕末の徳川政権には良き政治家官僚がいなかったように描かれることが少なくない。
しかし、この小説には多くの優秀な官僚や政治家が登場し、新政権を誕生させた人たちだけが今日の日本を形作ったのではない、ということがこの小説から伺えることもまた興味深い。

~「暁の旅人」吉村昭著 講談社~

旅はゲストルーム

2005年06月16日 21時58分55秒 | 書評
旅行をするときのホテル選びの基準はいったいなんだろう。
私の場合は、まず価格。
お金さえだせば、金額に応じたそれ相応のクラスの宿屋を選べることぐらい誰にだってわかる。
しかし「限られた予算」で「良い宿」に泊まることこそ、旅のテクニック。醍醐味というものだろう。

ちょくちょく東京に出張するが、首都圏のホテルは高いばかりで、部屋が狭くくつろげない。
以前宿泊した水道橋駅近くのホテルなんか、1泊8000円近くもとりながら、朝食はないし、ドアを開けるとすぐベット、というよな狭い部屋で、風呂はお湯を溜めて浸かることがほとんど不能なユニットバスの最悪のビジネスホテルだった。
また浅草雷門近くのビジネスホテルは宿泊料金6000円代ながら窓がなかった。
いや厳密には窓はあったがカーテンを開けると窓の向こうは廊下で、フロアを行き来するひとから丸見えだった。

同じ首都でもタイのバンコクは宿が安い。
1泊3000円も出せば中級ホテルの良い部屋へ宿泊することができる。
私の定宿はスカイトレインという高架鉄道の駅にも近く、ロビンソン百貨店やスーパー、ファーストフード、屋台街もあって非常に便利。しかも宿専用のプールやジムもあって楽しめる。
部屋は広くてたいていツインをシングル使い。窓も広くてカーテンを開けると、向かいに地元の人たちのアパートメントの景色が広がる。
これが1泊たったの2000円ちょっと。しかも朝食付きなのだ。
経済感覚の違いといってしまえばそれまでだけど、ホテルという尺度では東京とバンコク。どちらの首都が住みやすいのか一目瞭然という気がしてならない。

「旅はゲストルーム」は日建設計出身で東京芸大の講師である建築家浦一也氏が描いた世界各国のホテル目録と言ってもいいような楽しい変種の旅本だ。
著者は若いころから宿泊したホテルの部屋を実測することを繰り返してきた。それは建築家としての趣味であったのかも分からない。また自身の建築家としてのレベル向上のための訓練だったのかも知れない。
しかし、ハネムーンの時まで、自分の花嫁にスケールの片側を持たせて初夜のホテルを実測したなど、プロとして凄いということを通り越して滑稽ですらあるのだ。
その記録はホテル備え付けの便箋に50分の1の尺度で書き入れて、水彩絵の具で着色する。
本書は、この実測した「作品」と、そのホテルについての解説やエピソードをエッセイ風に書き著したものをまとめたものだ。
カラーで描かれているホテルの部屋の間取りは美しく興味深い。しかも、一般の旅行本と違って、それぞれの部分に詳細な寸法が入っていて、建築家である著者らしい。専門家や、インテリア・建築を学ぶ若い人たちにも楽しみながら勉強ができる書物に仕上がっているのだ。
似たような書籍にイラストレーター妹尾河童氏の「カッパが見た」シリーズがあるが、あちらはデザイナーが見た視線から部屋の詳細が捉えられているとすると、こちらは明らかにプロの建築家の視線から見つめられているもののだ。

私の知っているホテルもいくつか取り上げられているものの、どちらかというと1泊100ドル以上はするような宿ばかりなので、今のところ想像を膨らまして読むしかないところが、辛いところだ。
それはともかく、本書を読むと、巻き尺を持って、宿泊しいる部屋を測ってみようかな、という変な気持ちにさせてくれるのが面白い。見て、そして読んで楽しい一冊だった。

~旅はゲストルーム 測って描いたホテルの部屋たち~ 浦一也著(光文社 知恵の森文庫)

アマゾン・ドット・コムの光と影

2005年06月10日 21時39分17秒 | 書評
今から約7年ほど前、代理店を通じて私の会社のもとへ大阪の中堅出版社の配送センターの改修工事をやらないか、という依頼が入ってきた。
出版業の多くは東京に集中していて大阪で名のある出版社は数えるほどしかない。
代理店を通じて依頼をしてきた会社はその数少ない会社の一つで名前を聞くと読書家ならば少しは耳にしたことのある名の会社だった。

数ヶ月に渡って事務方と現場に聞き取り調査を実施した。
本の本体はどう収納するのか、表紙や帯はどうするのか、絶版になっていない無数にある少量の在庫数の専門書はどう管理するのか、パートでも迷うことなく作業ができるシステムが組めるかなど。
ともかく書籍の管理は大変で、なかなか手間のかかるものであることを実感した仕事だった。
話を仲介してくれた代理店が東京のある大手出版社の管理システムを手がけたことがあることも手伝って、私の作った提案が受け入れられた。
「いい感じですよ。社長さんも、あとは発注するだけですね。と、言ってくれていますし。」
と代理店の営業担当は教えてくれた。

正式発注はまだかまだかと待つうちに半月ほど経ったある日、代理店の営業担当が電話をかけてきた。
「すいません。注文になりませんでした。」
「え、どうしてです?」
「社長さんからお話があって、出版界の事情が急きょ変わってきたので、申し訳ないが計画は白紙に戻したい。と、おっしゃったんです。」

この出版界の事情の急変とは一体なにかと考えていたら、それから程なくアマゾン・ドット・コムが日本法人を立ち上げ販売活動を開始した。
このアマゾンの日本進出こそ急変の正体だったのだ。

「アマゾン・ドット・コムの光と影」はノンフィクションライターである著者がアルバイトの身分で千葉市川にあるアマゾン・ドット・コム・ジャパンの配送センターに潜入し、その内部で展開されている非常に冷酷で、かつ緻密な業務実態を、他の多くの取材から得た情報を交えて構成している驚きのルポルタージュだ。

アマゾンが日本に進出して6年が経つが、私自身も書籍やCD、DVDをアマゾンで購入することが少なくない。
特に書籍は一般書店で買い求めると探すのが面倒であるのと同時に、取り寄せが発生した場合、いつ入荷してくるのか分からないものを延々と待ち続けなければならない欠点がある。
一方アマゾンでは注文してから送られてくるまでの時間をある程度知ることができるばかりか、ある一定価格以上の金額で注文すると送料が無料になるという便利さもある。
この見事なまでにテキパキとしたデリバリー体制は実は商品管理をアマゾンから任されている日本通運が雇った400名以上からなるアルバイトによる人海戦術であることを、今回初めて知ることとなった。

仕事柄、アマゾンの配送センターがどのような仕組みなのかとても興味があったのだが、実に原始的な方法がとられていることに新鮮な驚きを感じたのだ。
しかし読み進むうちにその「原始的な方法」が実は21世紀の冷酷な労使関係を見事に機能させることによって成り立っていることに、さらに驚愕することになるのだ。

アマゾンの成功は、出版業界や流通業界の地図を塗り替えるだけではなく、日本社会の慣習まで変えてしまう力が潜んでいることを、本書は私たちに知らせてくれている。

~潜入ルポ アマゾン・ドット・コムの光と影~ 横田増生著(情報センター出版局刊)