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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

ユーコンの疾走

2005年10月14日 21時31分18秒 | 書評
かなり前になるが、NHK-BSの紀行番組「地球に好奇心」で、アラスカを舞台にする犬ぞりレースの模様が放送されていた。
「アイディタロッド犬ぞりレース」
摂氏マイナス30度以下の中。全長1000km以上もの極寒の大地に敷かれたコースを疾走するレースだ。
50以上のチームが犬ぞりを編成し、到着順を競うという極寒のサファリレースなのだ。
テレビを見ていて刺激的で冒険性に溢れたレースだと感じたことを覚えている。

日本ではあまり知られていないこのレースは1970年代に始まった。
そしてこれは世界で唯一の犬ぞりレースであり、今や世界で最も有名なレースのひとつでもある。
毎年3月に開催されるこのレースには数多くの有名企業がスポンサーにつき、レースの模様は様々なメディアによって刻一刻と伝えられる。
コースは大会委員会において整備され、メジャーな競技として万全の対策がなされている。

1925年、犬ぞりレースが始まる遥か昔、整備などされているはずもないこのルートを命がけで疾走した犬ぞりチームたちがいた。
一つの街を疫病から救うため、マイナス50度を越える極低温の世界を血清を抱え、走り抜けた男達と犬たちがいたのだ。

「ユーコンの疾走」はベーリング海峡を臨むアラスカの町ノームで発生した伝染病「ジフテリア」から人々の命を救うために、血清を抱えてリレー搬送した犬ぞりチームたちを題材にしたノンフィクションだ。

この時代、氷に閉ざされた冬の大地の輸送手段は犬ぞりしかなかった。
航空機は複葉機の時代で、とても零下数十度の気温の中を飛行できる代物ではなかった。
ジフテリアという恐ろしい伝染病が発生したノームという街は、ゴールドラッシュで開けた町で、今でも市販の世界地図を広げると北極圏の最果てに、その位置を確認することが出来る。
この街にジフテリアが発生したのは船の運航ができないまさしく真冬の時期で、街には医師と看護婦が一人づつしかおらず、しかも治癒させるための血清がまったく無いといっていいくらい不足していたのだ。
血清を運ばなければならない。
そしてその唯一の方法が犬ぞりだったのだ。

本書ではその経過が人間模様とともに細かく描かれているわけだが、とりわけ人間と犬の関係が大いに興味をそそる。そして彼らの無欲とも言っていい義務意識に感銘を覚えずにはいられないのだ。
「人を助けるのはあたりまえのこと」
と考え、命を賭けて氷とブリザード吹き荒れる大地を走り抜ける彼らの姿に、私たちは純粋に感動することになる。
ともすれば「売名行為ではないか」と思わざるを得ないような昨今のNGOやNPOなどと呼ばれる団体の献身活動に対して、痛烈な批判を投げ掛けられているようにさえ思える。

「あなたのおかげで、今、私はこうして生きていることができます」
事件後数年を経過し、ある夫人にそう話しかけられたネイティブ・アメリカンの犬ぞりドライバーは、その言葉をたったひとつの勲章に人生を送ったという。

アイディタロッド犬ぞりレースは、ノームへの血清リレーを記念したレースでもあるのだ。

~「ユーコンの疾走」ゲイ&レニー・ソールズベリー著 山本光伸訳 光文社文庫~

機長からのアナウンス 第2便

2005年10月06日 20時08分06秒 | 書評
私は旅行に出かけるときには必ず3~4冊の書籍を持って行くことにしている。
もともと飛行機やバス、列車の中で読む為に持って行っていたのだが、狭いわが家よりも快適で広々としたホテルでごろごろしながら読むのも「なかなかな贅沢だ」ということを学習し、より多くの冊数を持参するようになったのだ。

先日のミャンマー旅行では出発前に突然仕事が忙しくなり、旅行に持って行くための本をなかなか買い求めに行くことが出来なかった。
そのため出発当日、すでに数回読んだことのある司馬遼太郎の歴史小説を2冊と他の作家の本を1冊、バックパックにぶっ込み、家を飛び出したのだった。

チェックインを済ませ、出国手続きもとり、出発ロビーへ出てみると、これまでになかった書店が出店されているのが目に留まった。
関西空港の出発ロビーはもともと店舗が少なく一部の高級ブランド店か航空会社系列の売店ぐらいしかなかった。
そこへ小さいながらも書店が出店したのだから、かなりの進歩といえるだろう。
出店したのは老舗書店丸善である。
この書店でなにか1冊買うのも良いな、と考え本棚の眺めてみるとさすがに飛行場。航空機関係の本が並んでいる。
私は20年目の節目で数多く発売されている日航123便関係の書物で「日航123便墜落の真相」だとかいう題名の書籍を随分前から読みたいと思っていた。
これだけ航空機関係の書物が並んでいるのだから、きっとあるだろうと思ったのだが、やはり「墜落」にまつわる書籍は空港の書店だけに置いてなかった。
残念である。
ま、冷静に考えてみると、飛行機に乗りながら「御巣鷹山関連の書籍」を読むなんてことは、やっぱり遠慮したほうが自分のためだけでなく、近隣に座った人の為にも良いのでは気付いたのであった。

そこで、購入したのが「機長からのアナウンス 第2便」。
この本の第1便はこのとりがらコラムの仲間内、京都の船長さんから借りて読んだことがあり「面白いな」と思っていたので第2便も面白いかもしれないと思い買い求めたのだ。

著者は長年ANAで機長を務めた作家内田幹樹である。
前回の第1便もそうだったが、私たち利用客が知らない飛行機についての様々なエピソードをあるときはユニークに、またあるときは問題提起として色々と語ってくれる面白い書物なのだ。
今回とりわけ印象に残ったのは筆者が見習い副操縦士として勤務を始めた頃の日本の空は、まだまだ自由に飛び回れたというヒコーキ野郎的な精神が残っていたことを紹介している部分だった。
羽田から富山へ向かうのにわざわざ有視界飛行で飛んで行くベテランパイロット。
「あの川は○○川だよ」と地形を案内してくれる話だとか「目印の川を間違えたので着陸すべき空港がどこにあるのかわからなくなった」というようなちょっぴり怖いが面白い話。
前方がまったく見えなくなった状態で、ビビりながら着陸態勢に入っていると、隣の機長はいつもと変わらぬ表情で、ごく自然に横の景色を見ながら着陸してしまったので「どうして、そんなに平気なんですか?」と若き頃の著者が聴いたところ「艦載機の着艦は前方が見えないんで、横をみて着艦するんだよ」と言った元海軍のゼロ戦乗りの機長の話などなど。
実に楽しい空の話であった。
おかげで関空からバンコクまでの片道のフライトで読了し、「くそ、もう一冊なにか買っておくんだった」とその時は後悔したのであった。※

~「機長からのアナウンス 第2便」内田幹樹著 新潮文庫~

※その後今回の旅行は読書どころではなくなってしまい、結果的に旅の間に読めた本はこの一冊。ミャンマー大冒険では書籍は不要だ! でも次回はどこかのベンガル湾あたりのリゾートビーチでゆっくりと読書したいです。(贅沢言うな! ハイ、すいませんです)

ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ?なに?

2005年10月05日 21時44分34秒 | 書評
夏休みになると、NHKラジオ第一放送で「子ども電話相談室」が放送される。
上は小学生高学年ぐらいの子どもから下は幼稚園入園直前の幼児までが、電話を通じて各界で活躍する先生方に「質問」をする番組だ。

勤務中、自動車を運転しながらこの番組を聴くのはなかなか楽しい。
他愛のない質問に対して、専門の先生方がいかに「分かりやすく答えるのか」というのを、いつもヒヤヒヤしながら聞くのが楽しいのだ。
夏休みの番組なので「クマゼミはどうして鳴いているのですか?」というような、セミになってみないと分らない質問や、「宇宙の果ては何処にあるんですか?」というような、今もって科学では解明されていないような謎を、子どもは平気で訊ねてくるので面白いのだ。

各先生は分かりやすく説明しているつもりでも、やがて専門的な語彙を使わねばならなくなり、やがて「....ということで、わかったかな?」と子どもに無理やり納得させてみたり「....ということで、あとはお父さんかお母さんに訊いてみようね」などと責任の所在を曖昧にしてしまうことも少なくない。

私は独身で子どももいないので、子どもから困った質問を浴びせられる機会はほとんどないが、このコラムの仲間である神戸の提督閣下や京都の船長さんなどは、分けの分らない質問を自分の子どもからぶつけられ、つねにどう言い逃れするのか悪戦苦闘されたことがあるだろう。

「ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ?なに?」はドイツのフリージャーナリスト、ベッティーナ・シュティーケルがノーベル賞受賞者を回答者に実施した、子ども相談室をまとめたユニークな一冊だ。
回答者も当然のことながら第一級。
有名なところでは旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ元大統領やチベット亡命政権のダライ・ラマ14世などが名前を連ねている。
冒頭の「どうしてプリンは柔らかいのに、石は硬いの?」という質問には物理学賞受賞者が答え、「どうしてお金持ちの人と、貧しい人がいるの?」という質問には経済学賞受賞者が答えている。
このように、「自分が子どもに質問されたら困る」というような疑問に対し、ノーベル賞受賞者という、いわばその分野でのチャンピオンがどのように答えるのか、読む前から目次を見ただけでとても興味津々になってくる本なのだ。
結果的に解答がNHKの子ども相談室と同じような傾向になっているものも少なくなく、「当たり前の質問」に「分かりやすく答えること」の難しさをあらためて認識せずにはいられなかったのだ。

ともかく、第一線の専門家が答える「なぜ?」と「なに?」。
大人のこっちも「へー」とか「はー」とか関心し、読んで損はない一冊だった。

なお、私はダライ・ラマの「愛情て、なに?」に対する答えが、一番記憶に残った。

~「ノーベル将受賞者にきく子どものなぜ?なに?」ベッティーナ・シュティーケル著、畔上司訳 主婦の友社刊~

アポロとソユーズ

2005年10月03日 19時57分04秒 | 書評
つい先日、アメリカ航空宇宙局(NASA)は2018年頃に再び人類を月へ送る計画を発表した。
今回は月面基地を建設し火星への有人飛行計画に発展させる意図があるのだという。

そもそも一部の映画やテレビ番組の世界では月面基地はとっくの昔に完成されているはず。シャドーのメンバーや、コーニッグ指揮官が活躍し謎の石板TMAワンも発見されていなければならない、時代は今や2005年なのだ。
世間一般はなにを、今さら月旅行、という気持ちもないではない。それにそんなお金、一体誰が負担するの?ということもある。

でも、今では白けたこの月への旅行を2つの陣営に分かれた人類がしのぎを削って挑戦していた時代があった。
それが「アポロとソユーズ」の時代なのだ。

1961年にソ連のユーリ・ガガーリンが宇宙船に乗って初めて地球を一周した。
この快挙に刺激されたライバルアメリカの大統領JFK(注意:ウィリアムス、藤川、久保田、のことではない)が「我が合衆国は1960年代中に人類を月へ送る」と演説したことからアポロ計画がスタートした。
このマニフェストはケネディの死後1969年に実現され月着陸船イーグルが静かの海に着陸し、アポロ11号の船長ニール・アームストロングが人類として初めて月面を踏んだのだ。

今日に至るまで、私たち一般大衆はこの月旅行をめぐって競い合った米ソの宇宙飛行士たちが、どのような生活を送り、どのような考え方を持っていたのか知る機会が少なかった。
本書「アポロとソユーズ」は米ソそれぞれの宇宙飛行士であるデイビット・スコットとアレクセイ・レオーノフが5年間の歳月をかけて共著したユニークな証言文集だ。
スコットはアポロ15号に乗り初めて月面を自動車で走行した宇宙飛行士であるし、レオーノフは人類で初めて宇宙遊泳を行った宇宙飛行士なのだ。

二人の証言には興味深い内容がふんだんに含まれている。
我々が安全に帰還したと思っていた飛行やオペレーションが実は死と背中合わせの危険な旅であったことや、数少ない交流の機会をとらえては米ソお互いの飛行士としての情報交換を行っていたことなど様々である。
技術的な面も、たとえばアポロ宇宙船に搭載されていたコンピュータのメモリ量がたった36Kバイトであったことや、月着陸船は自動操縦ではなく飛行士が自分で操縦して着陸させていたこと、つきの砂には匂いのあることなど、実に興味深いのだ。

アポロ計画もソユーズ宇宙船も想像を絶するような多額の費用を投入した宇宙計画だった。
「福祉や教育に振り向けたらどうなんだ」
という意見が当時からあり、現に予算の関係でアポロ計画は17号をもって終了している。
しかし、もし借りに、米ソが威信を懸けて競争し、そして実現させた人類による月着陸がなかったなら、今のような社会は存在しなかったかも知れないのだ。

ソ連(現ロシア)のレオーノフが本書の中で語っている言葉がとりわけ印象的だったので、最後にちょっと無断引用させていただく。(すいません。気に入ったらみんな買って読もうね)
「中継映像で言い表せないほどの衝撃を受けたのは、これまでに二度しかない。アポロ11号の月着陸の映像と、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターのツインタワーが爆破され、多くの人が亡くなった同時多発テロの映像だ。月着陸は人類の英知を表している。人類の知識と勇気の勝利である。同時多発テロのほうは、人が落ち込む悪の深みを表している。<以下略>」

~「アポロとソユーズ」デイビット・スコット、アレクセイ・レオーノフ共著
奥沢駿、鈴木律子共訳 ソニーマガジンズ発行~

社長の顔が見たい

2005年09月13日 20時56分25秒 | 書評
読んでいて、思わず「そうだよな~」と同意したり、「なるほど、今までそういうふうに感じていたけれど、言葉で表すとはっきりするな」というような、目からウロコがたっぷり詰まったエッセイ集だ。
それもそのはず、著者は日本財団の前会長、曾野綾子さんなのだ。

一編を除き見開きの2ページが一つの作品になっているので大変読みやすい構成になっている。そして、その一編一編の文章が「あ、そうか」という美味しいスパイスを使って味付けされているのが心憎い。
その心憎さも半端ではない。
今の日本人が公の場ではなぜか言えなくなっている微妙なことを整理してきっちりと指摘しているところが心憎いのだ。

それにしても近年の日本は言論の自由を失っている。
こと教育界の問題や、対中韓関係、子供や老人、障害者問題に対する発言は迂闊なことが言えない状態になっている。
だからかどうかはわからないが、政治家やマスコミは、たとえそれが正論であったとしても、一部の人々(市民団体や政治政党など)からの批判をかわすために、声に出して公にすることを避けようとするのだ。

従軍慰安婦問題にしても商売のための売春はあったが、いわゆる国家が主導したなどという性奴隷などなかったという結論は出ているのに、事実をねじ曲げる中韓の主張を報道して、自国の正論は主張しないし報道もしない。
大阪教育大学付属小学校の被害児童の教室を「凶悪事件の記憶がトラウマになるから」という理由で建替える、などという、どう考えても妙な理屈を正当化し、反論を許さない。
海外へ修学旅行に行った中高生が単なる物見遊山のグループツアーになっているために、外国を知るという勉学にまったくつながっていないことや、婦女子の海外留学といえばインドやアフリカ、中南米、アジアではなくカナダ、アメリカ、豪州、西欧に偏るのもおかしな話だが、すべて反論することは許されないのだ。

つまり、現代日本は「なんだかおかしい、でも言えない」という「自己規制の呪縛」に拘束されていると言えるだろう。

本書はそういう不自然な風潮に対する違和感について、自然でユーモアに富んだ巧みな口調で語られており、読んでいるとある種の安心感に包まれてくるのだ。
いや、痒いところに手が届いている、と言えばいいだろうか。
マスコミの偏向報道や政治家、官僚の色眼鏡に影響されずに普通の日本人の価値観を再確認することのできる安心の良書である。

~「社長の顔が見たい」曾野綾子著 河出書房新社刊~

お断り:「社長の顔が見たい」と言っても総帥の顔が見たいという意味ではありません。念のため。(内輪ネタ)

正午二分前

2005年09月01日 21時49分32秒 | 書評
今から82年前の1923年9月1日午前11時58分。
関東大震災が発生した。
そう、今日は関東大震災の日。防災の日。
昨年末のインド洋大津波が発生するまで人類史上最悪の地震被害といわれていた関東大震災。
この地震被害を外国人の目から捉えて描いたのが本書「正午二分前」である。

不思議なことに、地震被害に関わるノンフィクションは非常に少ない。
関東大震災にしろ10年前の阪神淡路大震災にしろ被害状況をまとめたレポートや学術資料は数多く存在するのに、「その時人々はどう惨劇に立ち向かったのか?」ということを記した著作物にほとんどお目にかかることがないのだ。
関東大震災についてのノンフィクションは唯一吉村昭の「関東大震災」があるのは知っているが、他について私は知らなかった。
そういう地震についてのノンフィクションが少ないこともあり、本書は珍しい存在であるうえ外国人によって書かれたということが読者の興味を一層そそる要素になっているのだ。

それにしても一世紀近く前の地震に対する日本人の態度、政府の態度、国際社会の行動が10年前の地震とそっくりなのには驚いた。
どういう部分がそっくりかというと、たとえば10年前の地震で外国特派員が「日本人は統率がとれていて驚嘆する。地震が発生したあとの人々は驚くほど冷静であった」と伝えたエピソードがあったが、関東大震災の時もまったく同じで略奪や強盗がほとんど発生しなかった。
一部情報の欠如から「朝鮮人が反乱を起こす」というデマが広まり一時的にパニックに陥って自警団という名の暴力集団に殺された人も出たようだったがそれは例外。
関東大震災の時は内閣が解散したばかりだったので仕方がない面もあるが、政府の対応が遅れたのも同じだし、政府が対策や見舞いを発表する前に皇室が先に国民を見舞ったのも同じ、政府が外国海軍の援助を断ったのも同じであれば、市井の中から忽然とリーダーが出現し人々の混乱を収拾したのも同じ、民間企業や個人のボランティアが出現して無償で復興を手伝ったのも同じだった。
本書に記されている一つ一つのエピソードが驚きで、ほとんどが初めて知る事実であった。

ところで、重大災害時に人々はどう対処すべきかというのは重要な問題で、現在もいつ襲いかかってくるかも知れない東海地震や南海地震に対して、数々のシュミレーションが試みられている。
世界の地震の15%は日本の周辺で発生しているという。
日本政府は5世紀から地震についての細かい記録を残しており、これも世界でも稀な貴重な資料だという。
ところが、地震という災害に対して他のどの民族よりも敏感な日本人が、地震についての文芸作品を残していないというのは、いったいどいうことなのだろうか。

今回、本書を書店で見つけなければ、また手に取って読まなければ、大正時代の大震災のことなど歴史年表の一コマだと受け止め続けていたことだろう。
その災害の場所には現代の私たちと寸分違わぬ生身の人間がおり、彼らが何を経験し、何を目撃し、そしてどう考え、どう行動したのか、なども知らずに過ごしていたに違いない。
大きな災害は歴史を動かす途方もない力を持っているということにも気づかずにいたかも知れないのだ。
それらを知り、語り継いで行くことはとても重要なことだと痛感した。
本書を読んで思ったこと、それは「誰か、阪神淡路大震災や昨年の新潟地震を語り伝える者は現れないか」ということだ。

~「正午二分前 外国人記者の見た関東大震災」ノエル・F・ブッシュ著 向後英一訳 早川書房刊~

ザ・ゼネコン

2005年08月30日 19時39分06秒 | 書評
「今日は事務所の中、静かですね」
「所長がおれへんからや」
「どこか、行ったんですか?」
「大きな声では言われへんけど、役所の人とゴルフや」
「へ~」

大阪阿倍野区のとある再開発地区の巨大な現場事務所。
大学を卒業したものの、真当な社会人にならなかった私はアルバイトの身分でこの建築現場で働いていた。
建築現場といっても肉体労働ではなく、竣工検査に備えた建築事務所や市の建築指導課に提出する資料作成の仕事をやっていたのだ。
たまたまこの日、現場の所長の姿が建築JV、設備JVともに見られないので雇い主の上司に訊いたら上記の返答。
設計会社(誰でも知ってる大手)と建築会社(これも誰もが知っている大手)と設備会社(これも業界通なら誰でも知っている有名企業)の偉いさんが、大阪市の営繕や建築指導課、などのたぶん偉いさんを招待してゴルフコンペに行ってたのだ。
費用はもちろん建築JV,設備JVの全額負担。
役所の役人が払うわけなし。
考えてみれば1985年のこのとき、すでに大阪市役所は腐っていたというわけだ。

高杉良の小説「ザ・・ゼネコン」では、このような業者と役所の癒着の現場は詳しく書れていないが、中堅どころのゼネコンの、ドロドロとした内部が分かりやすく描かれている。
なかなかスリリングな物語だ。
メインバンクから出向を命じられて社長秘書として勤務する30代の山本という社員が主人公。
この山本が、なかなか骨のある人物で、上司にびしばし意見を述べる本当の社会ではなかなか出世のできないような男なのだ。
この勇ましい若者の目を通して、ゼネコンの談合体質、経営者一族の骨肉の争い、政治家との癒着などを見てゆくことができる。
さらに、この物語はフィクションとは言いながら限りなく現実の名前に似させた大手のゼネコンや有名建築家、政治家が登場するので、読む者のイマジネーションを膨らませてくれる。これがまたたまらなく面白い。
これほどまでい白々しい偽名を使われた本人たちが出版指し止めや名誉棄損で訴えなかったものだと感心する。それほどこの物語はリアリティに富んでいて、矛盾を感じさせない力作なのだ。

本書が単行本で刊行されたのは2年前。文庫本は今年発刊されたばかりだ。
ドラマはバブル前期の元気な時代を舞台に描いているが、やがて訪れる底なしの不況の時代を読者は経験しているだけに、それを意識して書かれた本書は、実に意味深な要素を含有している。

ともかく建築業界で働くビジネスマンも、この世界を目指す若者も、読んで損のない業界小説であることは間違いない。

~「小説 ザ・ゼネコン」高杉良著 角川文庫~

陛下の御質問

2005年08月25日 07時00分08秒 | 書評
「時に農林大臣、桑名のシジミはどうなった?」
昭和34年、伊勢湾台風の被害状況の視察を終えて上奏するために皇居へ参内した福田赳夫農林大臣(当時)に昭和天皇はこうご質問をされた。
「桑名といえば蛤ではないか」と思った福田赳夫であったが、「シジミのことは、追ってご報告いたします」と答えた。
帰ってから調べてみると、蛤の産地とばかり思い込んでいた三重県桑名では蛤がまったく獲れず、蛤の産地は松島であることがわかった。そして桑名はシジミの一大産地だったのである。

昭和天皇が崩御されてから17年の歳月が流れた。
この間、陛下の人となりを紹介した書籍が数多く出版されてきたが、本書もその一冊である。
本書はその中でも、陛下が側近や時の閣僚たちにお話になった、とりわけ鍵となるお言葉と、それにかかわる人々の証言を集めた証言集である。
ほとんどが戦後のお言葉で占められているのであるが、天皇と政治の関わり方の微妙なニュアンスを表現している、内容は濃いが、軽い気持ちで読むことのできる一冊である。

シジミの一件は、本書の前半で紹介されているお言葉のなかでもとりわけ印象に残ったエピソードだった。
福田農林大臣は陛下にちょっとからかわれたわけではあるが、これは一般の人が普通知らないことでも昭和天皇は国のことを良くご存じで、国民の生活およびその保護と向上に極めて高い関心を示されていた証の一つだと思った。
私たちがテレビや新聞を通して接していた昭和天皇のお姿は、実際のそれとかなりかけ離れていたものであったことが窺える。
「あ、そう」「うん、そう」
などに見られた簡潔過ぎるほどの相槌の言葉は、相手に対する心遣いの表れであった。
もし普通の人のように好悪の別をはっきりとされたり、政策上の注文になるような言葉をお話しになると、その社会的、政治的影響の途方もない大きさになる。これらはその影響を熟慮された上での、工夫に工夫をかさねられた陛下独特の話し方だったのだと思えるのだ。
その証拠に、陛下はキッパリとものを述べられる方であったことが紹介されていた。それは元共産党委員長の田中正弦が拝謁を賜ったときのお言葉である。
この時、田中は大胆にも陛下に対し「昭和16年12月8日の開戦には、陛下は反対でいらした。どうしてあれをお止めにならなかったのですか」と問うた。
これに対し、陛下は、
「私は立憲君主であって、専制君主ではない。臣下が決議したことを拒むことはできない。(明治)憲法の規定もそうだ。」とおっしゃった。
実に英明な方であったのだった。

現在の日本の繁栄は昭和天皇と国民が敗戦の瓦礫のなかから手を携えて作り上げてきたものだと言われることが少なくない。
昭和天皇が崩御したとき、テレビで街頭インタビューを受けた一人の女子高生は「自分のおじいちゃんが死んだみたいに悲しいです」と語っていた。
この一言こそ、天皇と国民の関係を位置づけていた言葉だろう。
昭和天皇の危篤の報が流れ出したころ、世の中はバブルに浮かれ、平成の世になり、やがてはじけた。
まるで今の日本人は、眼光鋭かった一家の父親が病気になって寝込み、やがて亡くなると、自分の意のままだと思い込み財産を使い果たして破産する放蕩息子に似ていないだろうか。

本書を読んで、一個の「人間」としての天皇像が浮かび上がって来るとともに、皇室と国民の本当のありかたを改めて考えさせられたのであった。
そして、本書から先の大戦の終戦の聖断を下された時、陛下はまだ44歳であられたことを初めて知った。
現皇太子殿下は45歳。
これから30年先、40年先、私たちはどういう国を建設していくことができるのだろうか。
しっかりと熟慮していかなければならないと思ったのだった。

~「陛下の御質問 昭和天皇と戦後政治」岩見隆夫著 文春文庫~

南方特別留学生が見た戦時下の日本人

2005年08月22日 21時04分41秒 | 書評
先の大戦が始まろうとしていたちょうどその頃、我が国は初めて国費でアジアからの留学生を受け入れた。
それは多分に国策の意味合いが強かったとはいえ、タイを除き当時はどの国も列強の植民地であったことを考えると、幻の「大東亜共栄圏」を目指した政策であったことが窺える。
本書はその南方特別留学生の中でもインドネシアからやってきた人たちを1990年代中頃にインタビューした証言集だ。

本のタイトルからして当時の日本人についての印象を語っているのかと考えたが、実際は日本人と日本についてだけではなく、他の国から来た留学生や、日本統治下のインドネシアについても多くが語られていた。
筆者はいわゆる革新系の学者ではないようだが、生まれた年代からして団塊の世代であり、インタビューの中で無意識に「日本のやった悪いことについてどう思いますか?」調の質問をぶつけるところがある。
つまり日本の統治下は苦労したということを引き出したいようなのだが、インタビューされている元留学生は乗せられず、率直な意見を語っているのが面白い。

インドネシアでは軍人が多かったので日本人は尊大な人が多い印象を受けたが、実際に来て見ると親切な人ばかりで差別はなかったというのも、ある意味現在の日本人よりも当時の日本人の方が外国人アレルギーが少なかったのではなかったのかと思えてならない。
食糧事情の悪いときに、家に喚んで食事を食べさせてくれた人の話や、近所の子供との話など手に取るようにイメージすることができるのだ。
本書を読んでいて、乏しい時代の日本人の方があるいは現代人と比べて国際的に人間として長けていたのではないか、と思えるところが少なくないのだ。

また他の国から来た留学生の個性についてもいくつか触れられている。
共通しているのは、フィリピン人はアメリカンナイズされているので、日本人を小馬鹿にし、いつも自己主張が強かったこと。
そしてミャンマーの留学生は規則をきっちりと守り、何があっても反抗せず、こつこつと勉学に励んでいたことなど。現在の彼らに重ね合わせてもなるほどと思えることが多いのだ。

戦後それぞれが日本と関係のある職業(外交官や銀行員、商社マンなど)に就き、一人として日本へ留学したことを後悔せず、むしろ良き青春の時代であったと考えていることが嬉しかった。
そして意外だったのは、日本に対して一番批判的な意見を持つ人が日本に帰化してしまったことだった。

ともかく本書は戦中の東南アジアと我が国との生な関係の一部を知ることの出来る貴重な一冊といえるだろう。

~「南方特別留学生が見た戦時下の日本」倉沢愛子編著 草思社刊~

おじさん入門

2005年08月16日 13時02分21秒 | 書評
おじさん入門といタイトルの「おじさん」という言葉の部分に引っ掛かりを感じ、一瞬、書店で平積みされている中から一冊を取り上げようとした手を止めてしまった。
「おじさん入門って。まだ『おじさん』と呼ばれるのには抵抗あるな」
とか、
「こんな本持ってレジに行ったら『あら、こんな本買うて。おじさんのイントロダクトリーやねんね』」
などと店員に思われてしまうのではないか、などとしょーもないことを色々想像してしまったのだ。
しかしそこはお気に入りの作家・夏目房之介の新刊なので買わねばならぬ、という義務観念の方が優先されたのは言うまでもない。

夏目房之介の作品、つまり氏の本業のマンガに出会ったのは20年以上も前、週刊朝日に連載されていたデキゴトロジーというコーナーの挿し絵マンガでだった。
この「デキゴトロジー」というコーナーは世の中のおかしな出来事を紹介した連載ミニ記事だった。
「ほんまかいな」と疑いたくなるような話がコンパクトにまとめられていて、とても楽しめたのだ。
もっとも、雑誌そのものが週刊「朝日」なので「ほんま」ではないかもしれないが。
どういう記事が載っていたかというと、たとえば「日頃楽だからという理由で亭主のパンツ履いて生活している若い主婦がちょっとした事故に巻き込まれ、骨折をしてしまうが、医者の前で「トランクス」を履いていることがバレルのが恥ずかしく、必死に這って家へ戻り、自分の下着に着替えてから救急車を呼んだ話」や「大学で日本史を専攻し一心に勉学に勤しんだ結果、大好きだったテレビの時代劇が「嘘ばかりなので」ちっとも楽しめなくなってしまった大学のセンセイ」の話など、ちょっと変な実話が紹介されていたのだ。
その記事に添えられていたのが夏目房之介のマンガだったのだ。

本書はマンガではない。
エッセイ集だ。
夏目房之介の作品にしては、かなり小品で、どちらかというとプライベートなことが多く書かれており、本人も「あとがき」で述べているとおり、どこが「おじさん入門」なの?というところが確かになくもない。
正直いって、団塊の世代の老後の過ごし方が書かれているのではないか、と思えるような内容なのだ。
どっちかというと夏目房之介の書物にしては、ちと詰まらんのでは、というのが率直な感想だ。
マンガ評論や自身の祖父・夏目漱石について書いた最近の書籍と比べると、プライベートな部分とはいえ、かなりライトな話が多いのだ。

ともかく、今作も各エピソードにマンガがちょこっと添えられていて、気軽に楽しめるエッセイ集だといえるだろう。

~「おじさん入門」 夏目房之介著 イーストプレス刊~